『白い結婚、黒い逆転。――辺境公爵は書類で愛を囁く』

鷹 綾

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1-2 辺境からの求婚書類

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了解しました。
それでは『白い結婚、黒い逆転。――辺境公爵は書類で愛を囁く』第1章第2節、
1-2「辺境からの求婚書類」(約3200文字)をお届けします。


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🌹第1章 断罪と契約婚

1-2 辺境からの求婚書類

 春の終わり、まだ朝霧の残る山あいの村に、薄い羽音が響いた。
 郵送鳥――王国公式の文書を運ぶ鷹だ。
 レティシアは宿の窓辺で、湯気の立つ紅茶を手にしていたが、その音を聞きつけて振り返った。

 「また、誰かの手違いですかしら?」

 彼女のもとに届くはずの文書など、本来もう存在しない。
 宰相家は失脚し、レティシアは“国を追放された女”。
 法的には、王国の誰とも関わってはならない立場だ。

 けれど、窓辺に降り立った鷹の足には、明らかに王国印の封蝋が結ばれていた。
 黒い双翼と銀の剣――“辺境アルヴェン公爵領”の印章。

 レティシアは首を傾げながら封を切る。
 中には、数枚の上質な羊皮紙と、一通の簡潔な手紙。

 > 『宰相令嬢レティシア・ファルネリア殿
 >  貴殿の才覚と実務能力、ならびに法務知識に深い敬意を表する。
 >  本状をもって、当方より婚姻契約の提案を行う。
 >  条件は下記の通りである。
 >  一、同居別室。
 >  二、感情不干渉。
 >  三、互恵契約のもと、家格および名誉の保全を保証する。
 >  
 >  辺境公爵 グレイ・アルヴェン』

 ――まさかの求婚書類。
 レティシアは思わず息を呑み、次の瞬間、小さく吹き出した。

 「愛も、口説き文句も、一切なし……。
  まるで婚姻届というより、契約書ですわね。」

 けれど、その文面に込められた端正な理性が、彼女の胸を打った。
 “互恵契約”“名誉の保全”。
 どの文言も、彼女が最も大切にするものだった。

 彼女は机に広げた書類を指先でなぞりながら、心の中で静かに思う。
 ――この男、書類で会話するのが得意そうね。

 “氷の公爵”グレイ・アルヴェン。
 その名は、王都でもよく知られていた。
 王政の監査官として数多の汚職を摘発し、
 大臣ですら彼の署名一つで職を失うと言われている。
 冷徹、寡黙、無表情。
 けれど、彼が一度承認した書類は、絶対に嘘がない。

 ――なるほど、誠実な人だわ。感情を交えないというのは、誤解されやすいけれど、信頼できる性質でもある。

 レティシアはペンを取り、考える。
 この求婚は、情ではなく打算。
 けれど、それは決して悪ではない。
 感情が人を裏切ることを、彼女は身をもって知っていた。

 「お互いに干渉しない、ね……それなら、理想的ですわ。」

 そう呟き、彼女は羊皮紙の裏面に小さなメモを走らせた。

 > 『条件を確認しました。
 >  条項三に“名誉の保全”とありますが、これには“実家に対する連座免除”も含まれますか?
 >  承諾されるなら、署名をもって同意とみなします。
 >  
 >  ――レティシア・ファルネリア』

 完璧な文体。
 恋文ではなく、法文としての返答。
 ペン先の動きには、わずかな喜びすらあった。
 “書類の世界”に戻れる――そう思うと、胸が温かくなる。


---

 翌日。
 宿の窓を開けると、再び一羽の鷹が飛来した。
 脚には返信の封筒。
 レティシアは微笑を抑えきれず、すぐに開封する。

 > 『条項三の件、了承した。
 >  加えて、ファルネリア家の領地に対する監査免除を行う。
 >  契約成立をもって、貴殿の法的身分を回復する。
 >  ――グレイ・アルヴェン』

 「……この人、本当に抜け目がない。」

 書類の書き方一つに、誠実さと覚悟が滲んでいる。
 自分の立場を理解した上で、最も安全な逃げ道を与えてくれている。
 “愛の言葉”などより、よほど心に響いた。

 レティシアは机の上の古びた鏡を見た。
 頬は少し痩せ、瞳の輝きも薄れている。
 けれど、その奥底には、かすかな決意の光があった。

 「感情を棄てたはずなのに……不思議ね。
  こんな冷たい契約書に、心が少し温かくなるなんて。」

 彼女はインク瓶の栓を開け、丁寧に署名を記す。
 > 『レティシア・ファルネリア――受諾』

 インクが乾くのを待ちながら、手紙の最後に小さな追記をした。

 > 『追伸:結婚式は形式のみで構いません。
 >     必要書類をお送りください。』

 それはまるで、仕事の完了報告書だった。


---

 それから三日後。
 王都を出て、七日ほどの道のり。
 辺境アルヴェン領――雪の残る山岳地帯の小都市へと、レティシアは馬車を走らせた。
 粗末な荷物一つ、護衛もなし。

 「まさか、こんな形で“花嫁”になるとは思いませんでしたわね。」

 独りごちた声が、冷たい風に溶けた。
 王都では断罪の的、今は亡き家の娘。
 けれど辺境では、誰も彼女を知らない。
 ただ一人の“契約者”として、新しい人生が始まる。

 馬車の窓から見える景色は、驚くほど静かだった。
 雪解け水が川を流れ、山の斜面には小麦の新芽が芽吹いている。
 貧しくも、整った土地――効率の良い灌漑計画が見える。
 「噂通りの方ですわね。冷徹どころか、極めて理知的な領主……。」

 夕暮れが迫る頃、馬車が停まった。
 石造りの屋敷が、夕日を浴びて黒く輝いている。
 その前で、重厚な扉がゆっくりと開いた。

 出迎えたのは、黒髪に銀の瞳を持つ男――グレイ・アルヴェン。
 その立ち姿だけで、人を圧する。
 王太子のような華やかさはない。だが、冷たい美しさがある。

 「――レティシア・ファルネリア嬢。」

 低く、澄んだ声。
 まるで法廷の宣告のように正確だ。

 「お招きありがとうございます、公爵閣下。」
 レティシアは礼を取る。
 「書類に記載の通り、私は本日より“契約上の妻”となります。」

 グレイは小さく頷くと、近くの侍従に合図した。
 侍従が盆を運び、そこには二枚の書類が載っていた。

 > 『婚姻契約書(正式版)』
 > 『互恵協定書』

 それを見た瞬間、レティシアの胸の奥で何かが高鳴る。
 ――本当に、契約婚なのね。

 グレイがペンを取り、淡々と署名を入れる。
 > 『グレイ・アルヴェン』

 そして無言で、ペンを差し出してきた。
 その仕草には、どこか儀式のような荘厳さがあった。

 「こちらに署名を。」

 レティシアは頷き、静かにサインする。
 > 『レティシア・ファルネリア』

 その瞬間、グレイは封印印を押し、淡々と告げた。
 「これをもって、あなたは辺境公爵夫人となった。
  ただし、感情は不要。
  互いの干渉も不要。
  必要なのは、誠実と書類だけだ。」

 「……ええ、理想的ですわ。」

 レティシアは微笑む。
 その微笑みに、グレイの瞳がわずかに揺れた。

 「……では、改めて。ようこそ、アルヴェン領へ。」

 それは不思議な言葉だった。
 冷たい声なのに、確かに温度を持っている。
 書類の文字よりも、心に深く刻まれる響き。

 ――この人、書類だけの人ではない。

 そう気づいた瞬間、レティシアの心がわずかに波打った。
 だが彼女は、その感情をすぐに押し殺す。
 “感情不干渉”――それが、契約の第一条なのだから。

 それでも、彼の最後の一言が耳に残って離れない。

 > 「……あなたを必要とする。」

 まるで、書類の余白に書かれた一行のように、
 静かに、しかし確かに――レティシアの胸に刻まれた。


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