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2-1 会議室の戦場
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第2章 書類改革と二人の距離
2-1 会議室の戦場
朝の鐘が三度鳴ると同時に、アルヴェン領庁舎の扉が重く開いた。
いつものように書類の束を抱え、グレイが入室する。
その後ろに、白い外套を纏ったレティシアの姿があった。
辺境の庁舎――それは、王都の宮殿とは比べものにならないほど質素だ。
だが、古びた木製の机には無数の印章が並び、領地を支える実務の要がここにあった。
今日の議題は、港湾再建計画と税制改革。
グレイの領地は広大で、南方との交易で潤っているはずだった。
だが、前政権の失策で財政は逼迫している。
会議室には十名ほどの官吏が集まっていた。
そのほとんどが、長年グレイに仕えてきた古参の男たち。
彼らの目が、一斉にレティシアに注がれる。
「……こちらが、閣下の新しい奥方か。」
「ずいぶんと若い。王都帰りの令嬢が、こんな辺境で何を――」
囁きが交錯する。
レティシアは一歩進み、丁寧に礼をした。
「レティシア・アルヴェンと申します。本日より、財務監査補佐を兼任いたします。」
凛とした声。
だが、その中には圧もあった。
王都の宰相令嬢として鍛えられた“公務の声音”だ。
グレイは彼女の後ろに立ち、静かに言葉を添える。
「彼女の決裁権は私と同等とする。反論のある者は、理由を文書で提出せよ。」
ざわつきが起こった。
古参の役人たちは一斉に視線を交わす。
誰も直接反論しない。だが、不満が空気に滲んでいた。
---
会議が始まる。
港湾再建の報告を担当するのは、初老の財務官ダルトン。
彼は長い灰色の髭を撫でながら、書類を読み上げた。
「……以上の計画により、港湾工事の総費用は二万ルク。
すでに前期予算より流用済みであります。」
レティシアは静かに手を挙げた。
「お伺いしてもよろしいかしら。」
ダルトンはわずかに眉をひそめる。
「なんですかな、奥方殿。」
「この費用明細の中で、“資材費”の項目が異常に多いようです。
記録では、石材の搬入が五度に分けて行われたとありますが――そのうちの三回、
天候記録では“大雪”の日となっています。」
「……!」
会議室にざわめきが走る。
レティシアは、淡々と続けた。
「大雪の日に、三十台の荷車が峠を越えて運搬したというのは、現実的ではありません。
つまり、虚偽報告――あるいは、虚構の請求です。」
「そ、そんな馬鹿な!」
ダルトンの顔が赤くなる。
「この明細は、前監査官が承認済みだ! 奥方の推測で――」
「推測ではありません。」
レティシアはペンを走らせ、一枚の紙を差し出した。
「こちらが当日の馬車登録簿。通行記録は“0台”。」
静寂。
全員の視線が一点に集まる。
ダルトンの手が小刻みに震えた。
「……だが、これは単なる記録ミスかもしれん!」
「では、再調査を。」
「な、何を――」
「公爵閣下。」
レティシアはグレイの方を向いた。
彼は目を閉じ、短くうなずいた。
「再調査を命ず。該当帳簿の原本を提出せよ。」
その一言で、ダルトンは青ざめた。
椅子をきしませながら腰を下ろすと、何も言えなくなった。
---
会議の空気が凍る。
他の官吏たちも沈黙したまま、彼女の一挙手一投足を見守っていた。
レティシアは視線を全体に向け、柔らかく微笑む。
「皆さま、私の目的は“責める”ことではありません。
ただ、正確な数字がなければ、領地を豊かにはできませんわ。
どうか、書類と数字を、私たちの共通言語として扱いましょう。」
その言葉に、場の空気がわずかに緩んだ。
グレイが机の上に手を置く。
「――異議のある者は?」
誰も手を挙げない。
グレイはうなずき、会議を締めくくった。
「本日の議題は以上だ。午後からは新税法の草案を提示する。
各自、誤りなきように。」
役人たちが退室していく中、グレイは無言でレティシアに視線を向けた。
「……見事だった。」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。」
「だが、あの男たちは古参だ。
あまり刺激すると反発を招く。」
「刺激、ですか?」
レティシアは笑う。
「では、刺激せずに真実を暴く方法があるのなら、ぜひ教えてくださいな。」
グレイは思わず苦笑した。
その笑顔を見たのは、彼女がここに来て初めてだった。
---
その日の午後。
グレイの執務室には、書類の山と共にレティシアの姿があった。
机を挟み、二人が並んで筆を走らせている。
「この項目、“民税再配分”の比率を少し見直したいのです。
農民の負担を軽くしても、交易収入で補えます。」
「ふむ……具体的な比率は?」
「現行七対三を、六・五対三・五に。港の取引量からすれば、可能です。」
グレイは計算表を覗き込み、即座に理解した。
「確かに……理に適っている。」
そして、書類の余白に一行を書き添える。
> 『了承。あなたの判断に従う。――G.A.』
レティシアは静かにその文字を見つめた。
“あなたの判断に従う”。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がじんと熱くなる。
「……閣下。」
「何だ。」
「少しは、私を信用してくださっているのですね。」
「信用ではない。必要だからだ。」
「ふふ、そういう言い方をするところが閣下らしいですわ。」
そのとき、外から扉を叩く音がした。
若い書記官が青ざめた顔で入室する。
「閣下、大変です! ダルトン財務官が、書類を持ち出して逃亡を――」
「……やはり、か。」
グレイが立ち上がる。
その表情は冷静そのもの。
だが、わずかに顎が強張っていた。
レティシアは机の端から一枚の紙を取る。
「追跡班を出す前に、まずこれをご覧ください。」
紙には、逃亡経路の予測図が描かれていた。
「彼が不正書類を保管していた倉庫は南の港沿い。
山道に抜けるには、この一本道しかありません。
兵を十名、ここに配置すれば十分に捕縛できます。」
グレイは一瞬、彼女を見つめる。
「……予測済みだったのか。」
「ええ。昨夜、彼の机を整理していたときに“抜け道の地図”を見つけました。
ご報告しようと思っていたのですが――まさか、今日とは。」
グレイは息を吐き、低く笑った。
「君には敵わないな。」
「それはどうかしら。
私はただ、数字と紙の匂いが分かるだけですわ。」
“紙の匂い”。
その言葉に、彼の心がわずかに揺れる。
数字と紙――それは彼の人生そのものだった。
だが、レティシアの口から聞くと、不思議と“温かいもの”に聞こえる。
---
夕刻。
逃亡したダルトンは、予測通り南の峠で捕縛された。
彼の荷馬車からは、不正帳簿と現金が見つかる。
その報告書を受け取ったグレイは、机に沈黙のまま座った。
しばらくして、ペンを取り、短い文を記す。
> 『本日の件、君の功績によるもの。
> だが、会議での態度は強すぎた。
> ――反感を買いやすい。』
書き終えてから、彼はふと苦笑した。
“書類で説教をするとは、我ながら不器用だ。”
翌朝、その書類がレティシアの机に届く。
彼女はそれを読み、少しだけ頬を緩めた。
そして下に追記を添える。
> 『承知いたしました。
> 次回からは“笑顔で反論”いたします。
> ――R.A.』
グレイはそれを読んで、声を殺して笑った。
“笑顔で反論”――彼女らしい皮肉と才気。
机の上のペン先が、静かに震える。
> 『次の会議、楽しみにしている。――G.A.』
こうして、冷たい会議室に、
ほんのわずかな温度が灯り始めた。
---
2-1 会議室の戦場
朝の鐘が三度鳴ると同時に、アルヴェン領庁舎の扉が重く開いた。
いつものように書類の束を抱え、グレイが入室する。
その後ろに、白い外套を纏ったレティシアの姿があった。
辺境の庁舎――それは、王都の宮殿とは比べものにならないほど質素だ。
だが、古びた木製の机には無数の印章が並び、領地を支える実務の要がここにあった。
今日の議題は、港湾再建計画と税制改革。
グレイの領地は広大で、南方との交易で潤っているはずだった。
だが、前政権の失策で財政は逼迫している。
会議室には十名ほどの官吏が集まっていた。
そのほとんどが、長年グレイに仕えてきた古参の男たち。
彼らの目が、一斉にレティシアに注がれる。
「……こちらが、閣下の新しい奥方か。」
「ずいぶんと若い。王都帰りの令嬢が、こんな辺境で何を――」
囁きが交錯する。
レティシアは一歩進み、丁寧に礼をした。
「レティシア・アルヴェンと申します。本日より、財務監査補佐を兼任いたします。」
凛とした声。
だが、その中には圧もあった。
王都の宰相令嬢として鍛えられた“公務の声音”だ。
グレイは彼女の後ろに立ち、静かに言葉を添える。
「彼女の決裁権は私と同等とする。反論のある者は、理由を文書で提出せよ。」
ざわつきが起こった。
古参の役人たちは一斉に視線を交わす。
誰も直接反論しない。だが、不満が空気に滲んでいた。
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会議が始まる。
港湾再建の報告を担当するのは、初老の財務官ダルトン。
彼は長い灰色の髭を撫でながら、書類を読み上げた。
「……以上の計画により、港湾工事の総費用は二万ルク。
すでに前期予算より流用済みであります。」
レティシアは静かに手を挙げた。
「お伺いしてもよろしいかしら。」
ダルトンはわずかに眉をひそめる。
「なんですかな、奥方殿。」
「この費用明細の中で、“資材費”の項目が異常に多いようです。
記録では、石材の搬入が五度に分けて行われたとありますが――そのうちの三回、
天候記録では“大雪”の日となっています。」
「……!」
会議室にざわめきが走る。
レティシアは、淡々と続けた。
「大雪の日に、三十台の荷車が峠を越えて運搬したというのは、現実的ではありません。
つまり、虚偽報告――あるいは、虚構の請求です。」
「そ、そんな馬鹿な!」
ダルトンの顔が赤くなる。
「この明細は、前監査官が承認済みだ! 奥方の推測で――」
「推測ではありません。」
レティシアはペンを走らせ、一枚の紙を差し出した。
「こちらが当日の馬車登録簿。通行記録は“0台”。」
静寂。
全員の視線が一点に集まる。
ダルトンの手が小刻みに震えた。
「……だが、これは単なる記録ミスかもしれん!」
「では、再調査を。」
「な、何を――」
「公爵閣下。」
レティシアはグレイの方を向いた。
彼は目を閉じ、短くうなずいた。
「再調査を命ず。該当帳簿の原本を提出せよ。」
その一言で、ダルトンは青ざめた。
椅子をきしませながら腰を下ろすと、何も言えなくなった。
---
会議の空気が凍る。
他の官吏たちも沈黙したまま、彼女の一挙手一投足を見守っていた。
レティシアは視線を全体に向け、柔らかく微笑む。
「皆さま、私の目的は“責める”ことではありません。
ただ、正確な数字がなければ、領地を豊かにはできませんわ。
どうか、書類と数字を、私たちの共通言語として扱いましょう。」
その言葉に、場の空気がわずかに緩んだ。
グレイが机の上に手を置く。
「――異議のある者は?」
誰も手を挙げない。
グレイはうなずき、会議を締めくくった。
「本日の議題は以上だ。午後からは新税法の草案を提示する。
各自、誤りなきように。」
役人たちが退室していく中、グレイは無言でレティシアに視線を向けた。
「……見事だった。」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。」
「だが、あの男たちは古参だ。
あまり刺激すると反発を招く。」
「刺激、ですか?」
レティシアは笑う。
「では、刺激せずに真実を暴く方法があるのなら、ぜひ教えてくださいな。」
グレイは思わず苦笑した。
その笑顔を見たのは、彼女がここに来て初めてだった。
---
その日の午後。
グレイの執務室には、書類の山と共にレティシアの姿があった。
机を挟み、二人が並んで筆を走らせている。
「この項目、“民税再配分”の比率を少し見直したいのです。
農民の負担を軽くしても、交易収入で補えます。」
「ふむ……具体的な比率は?」
「現行七対三を、六・五対三・五に。港の取引量からすれば、可能です。」
グレイは計算表を覗き込み、即座に理解した。
「確かに……理に適っている。」
そして、書類の余白に一行を書き添える。
> 『了承。あなたの判断に従う。――G.A.』
レティシアは静かにその文字を見つめた。
“あなたの判断に従う”。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がじんと熱くなる。
「……閣下。」
「何だ。」
「少しは、私を信用してくださっているのですね。」
「信用ではない。必要だからだ。」
「ふふ、そういう言い方をするところが閣下らしいですわ。」
そのとき、外から扉を叩く音がした。
若い書記官が青ざめた顔で入室する。
「閣下、大変です! ダルトン財務官が、書類を持ち出して逃亡を――」
「……やはり、か。」
グレイが立ち上がる。
その表情は冷静そのもの。
だが、わずかに顎が強張っていた。
レティシアは机の端から一枚の紙を取る。
「追跡班を出す前に、まずこれをご覧ください。」
紙には、逃亡経路の予測図が描かれていた。
「彼が不正書類を保管していた倉庫は南の港沿い。
山道に抜けるには、この一本道しかありません。
兵を十名、ここに配置すれば十分に捕縛できます。」
グレイは一瞬、彼女を見つめる。
「……予測済みだったのか。」
「ええ。昨夜、彼の机を整理していたときに“抜け道の地図”を見つけました。
ご報告しようと思っていたのですが――まさか、今日とは。」
グレイは息を吐き、低く笑った。
「君には敵わないな。」
「それはどうかしら。
私はただ、数字と紙の匂いが分かるだけですわ。」
“紙の匂い”。
その言葉に、彼の心がわずかに揺れる。
数字と紙――それは彼の人生そのものだった。
だが、レティシアの口から聞くと、不思議と“温かいもの”に聞こえる。
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夕刻。
逃亡したダルトンは、予測通り南の峠で捕縛された。
彼の荷馬車からは、不正帳簿と現金が見つかる。
その報告書を受け取ったグレイは、机に沈黙のまま座った。
しばらくして、ペンを取り、短い文を記す。
> 『本日の件、君の功績によるもの。
> だが、会議での態度は強すぎた。
> ――反感を買いやすい。』
書き終えてから、彼はふと苦笑した。
“書類で説教をするとは、我ながら不器用だ。”
翌朝、その書類がレティシアの机に届く。
彼女はそれを読み、少しだけ頬を緩めた。
そして下に追記を添える。
> 『承知いたしました。
> 次回からは“笑顔で反論”いたします。
> ――R.A.』
グレイはそれを読んで、声を殺して笑った。
“笑顔で反論”――彼女らしい皮肉と才気。
机の上のペン先が、静かに震える。
> 『次の会議、楽しみにしている。――G.A.』
こうして、冷たい会議室に、
ほんのわずかな温度が灯り始めた。
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