婚約破棄された令嬢は、もう誰の答えも借りません

鷹 綾

文字の大きさ
15 / 39

第16話 数字の向こう側にあるもの

しおりを挟む
第16話 数字の向こう側にあるもの

 政策調整官としての任が正式に告げられてから、数日が過ぎていた。

 迎賓館の一角にあった私の執務室は、いつの間にか庁舎の中へと移されている。
 場所が変わっただけだが、空気は明らかに違った。

 ここでは、私の判断が、そのまま国の動きに反映される。

 机に向かい、私は新たに届いた報告書を開いた。
 地方三都市における税収推移と、生活必需品の流通量に関する資料。

 数字だけを見れば、問題はない。
 むしろ、平均値は安定している。

 だが――。

「……違和感がありますわね」

 私は、視線を走らせながら呟いた。

 全体としては安定しているが、細部が歪んでいる。
 ある都市では税収が増えているのに、住民からの不満が増加している。
 別の都市では、数値上の負担は軽いはずなのに、生活が苦しいという声が上がっている。

 数字と現実が、微妙に食い違っていた。

 午前の会議で、私はその点を指摘した。

「現行の数値では、問題は見えません。
 ですが、これは“平均”です」

 円卓を囲む官僚たちが、静かに私を見る。

「平均値は、極端な差を隠します。
 本当に見るべきなのは、どこに歪みが集中しているかです」

 私は、別紙を示した。

 所得層別の負担率。
 物資価格の地域差。
 輸送遅延の発生頻度。

「都市部では、富裕層向けの負担が増え、
 その分、生活必需品の価格に転嫁されています」

「つまり……」

「税制そのものが悪いのではありません。
 運用が、現実に追いついていないのです」

 室内に、静かな理解が広がっていく。

 誰かが、ぽつりと口にした。

「数字だけでは、国は測れない……」

「ええ」

 私は、頷いた。

「数字は重要です。
 ですが、それは道具であって、目的ではありません」

 会議は、その後、具体的な調査計画の策定へと進んだ。
 現地の声を拾い、数値と突き合わせ、微調整を行う。

 派手さはない。
 だが、確実に効く施策だ。

 午後、私は調査の一環として、近郊の町を視察することになった。

 簡素な馬車に揺られながら、私は窓の外を眺める。
 畑で働く人々、商店で品を並べる店主。

 数字の裏にある、生活。

 それを自分の目で見るのは、久しぶりだった。

 町の集会所で、住民代表と話をする。

「税が増えたわけじゃないんです」

 年配の男性が、困ったように言う。

「ただ、物の値段が上がって……
 気づいたら、手元に残るものが少なくなっている」

「どの品目ですか」

「主に、穀物と燃料です」

 私は、手帳に書き留める。

 輸送。
 中間業者。
 価格転嫁。

 答えは、すでに見えていた。

「すぐに変えることはできませんが」

 私は、穏やかに言った。

「仕組みを見直せば、必ず楽になります。
 そのために、今日、ここに来ました」

 住民たちの表情が、わずかに和らぐ。

 その視線に、私は胸の奥で小さな覚悟を新たにした。

 これは、責任だ。

 数字を整えるだけでは足りない。
 その先にいる人たちの生活まで、見なければならない。

 夜、庁舎に戻ると、カイルが執務室を訪ねてきた。

「視察はどうでしたか」

「数字の通りでした。
 そして、数字以上でした」

 私は、正直に答える。

「……重い役目ですね」

「ええ」

 私は、微笑んだ。

「でも、今は逃げません」

 王国では、私は逃げることも、選ぶこともできなかった。
 ここでは違う。

 責任を理解した上で、引き受けている。

 カイルは、少しだけ安堵したように頷いた。

「あなたなら、大丈夫だと思っていました」

 夜更け、執務室に一人残り、私は改めて資料を広げた。

 数字。
 報告。
 現地の声。

 それらを一つに束ね、次の施策を組み立てる。

 数字の向こう側に、人がいる。

 その当たり前を、忘れない。

 それが、私がここに座る理由だ。

 そして同じ頃、王宮では、別の数字が積み上がっていた。

 修正されない赤字。
 噛み合わない施策。
 広がる不満。

 王太子レオナルトは、報告書を前に、ただ沈黙している。

 彼が、数字の向こう側を見ることができるようになるのは、
 まだ、少し先の話だった。

 私は、灯りを落とし、静かに椅子から立ち上がった。

 この席は、重い。
 だが、今の私には、立ち去る理由がない。

 数字の向こう側にあるものを、
 きちんと守るために。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私の婚約者を奪った義妹は、幸せになるはずでした

しおしお
恋愛
侯爵令嬢フィオレッタ・ランベールは、公爵令息ギルベルトとの婚約が決まっていた。 けれど、他国へ嫁ぐのが嫌だと訴える義妹カトリーヌは、可憐でか弱い姿を武器に、少しずつ周囲の心を動かしていく。 そしてついに起こる、婚約者交換。 婚約を奪われたフィオレッタは、義妹が拒んだ相手――他国アルディシア公国の公爵フェリクスのもとへ向かうことになる。 突然変えられ「他国へ嫁ぐなんて嫌ですわ」 そう泣いた義妹は、姉の婚約者を奪った。 侯爵令嬢フィオレッタ・ランベールは、公爵令息との婚約を義妹カトリーヌに奪われ、代わりに義妹が拒んだ他国の公爵へ嫁ぐことになる。 傷つきながらも静かに運命を受け入れるフィオレッタと、愛される幸せを手に入れたと信じるカトリーヌ。 だが、婚約交換から始まった二人の人生は、やがて思いもよらぬ形で分かれていく。 奪われた姉が辿り着く未来と、奪った妹が手にする結末とは――。 婚約交換から始まる、姉妹の明暗を描いた恋愛ざまぁ物語。

白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚
恋愛
「第二王子との婚約? でも殿下には平民の恋人がいるらしいんですけど? ――なら、私たち“白い結婚”で結構ですわ。お好きになさってくださいな、殿下」 自由気ままに読書とお茶を楽しむのがモットーの侯爵令嬢・ルージュ。 ある日、突然“第二王子リオネルとの政略結婚”を押しつけられてしまう。 ところが当の殿下は平民の恋人に夢中で、 「形式上の夫婦だから干渉しないでほしい」などと言い出す始末。 むしろ好都合とばかりに、ルージュは優雅な“独身気分”を満喫するはずが…… いつしか、リナという愛人と妙に仲良くなり、 彼女を巡る宮廷スキャンダルに巻き込まれ、 しまいには婚約が白紙になってしまって――!? けれどこれは、ルージュが本当の幸せを掴む始まりにすぎなかった。 自分を心から大切にしてくれる“新しい旦那様”候補が現れて、 さあ、思い切り自由に愛されましょう! ……そして、かの王子様の結末は“ざまぁ”なのか“自業自得”なのか? 自由気ままな侯爵令嬢が切り開く、 “白い結婚破談”からの痛快ざまぁ&本当の恋愛譚、はじまります。

婚約破棄されたので、もう私が支えるのはやめます

ふわふわ
恋愛
王太子アルヴィスの婚約者として、誰よりも完璧であることを求められてきた侯爵令嬢エレノア。 けれど卒業舞踏会の夜、彼女は突然、王太子から婚約破棄を告げられる。 隣に立っていたのは、可憐で愛らしい義妹ミレイユ。 「真実の愛」を掲げる二人に悪女として断じられたエレノアは、すべてを失った――はずだった。 しかし、王宮はなぜか急に回らなくなり、王太子と義妹は少しずつ綻びを見せ始める。 そんな中、エレノアの手腕にいち早く気づいていた冷徹公爵レオンハルトが、彼女へ手を差し伸べる。 「もう、あちらを支える必要はない」 王太子のためでも、侯爵家のためでもなく。 今度こそ自分の意思で立つために、エレノアは公爵家で新たな一歩を踏み出す。 一方、彼女を失って初めて、その価値の大きさを思い知る王太子と、奪ったはずの場所で何も支えられない義妹。 静かに、けれど確実に始まる立場逆転――。 これは、ずっと「選ばれる側」だった令嬢が、もう誰かのために自分を削るのをやめて、幸せも未来も自分で選び取る物語。

「愛があれば十分だ」と私を捨てた婚約者へ――では、その婚約破棄の条件から確認いたしましょう

師走
恋愛
伯爵令嬢リディア・エーヴェルは、貴族たちの婚約や離縁、持参金や相続に関わる条件調整を陰でまとめてきた実務家だった。 だがある夜会で、婚約者である王太子側近ユリウス・グランツから「君は条件ばかりで冷たい。愛があれば契約などいらない」と一方的に婚約破棄されてしまう。 静かに婚約破棄を受理したリディアは、その場で持参金返還、贈与品、名誉回復の文言など必要事項の確認を始めるが、誰もその意味を理解しない。 けれど彼女が婚約から外れた直後から、王都では縁談、婚約、離縁の調整が次々と滞り始める。今まで多くの案件を陰でまとめていたのは、ほかでもないリディアだったのだ。 そんな中、法務局の裁定官補佐セオドア・ヴァレントから、王女ヘレナの婚姻条件を見直してほしいと依頼が舞い込む。 北方大公家との政略結婚。けれど提示された条件は、婚姻ではなく人質の引き渡しに等しいものだった。 「条件は愛の代わりではありません。ですが、愛が壊れたときに人を守ることはできます」 傷つきながらも再び交渉の場に立つリディアは、王女の未来を守るため、そして自分自身の人生を取り戻すため、契約と誠意を武器に王都最大の婚姻交渉へ挑む。 一方、自分を支えていたものの大きさに気づいた元婚約者は、今更になって復縁を望み始めるが――。 小説家になろう様でも掲載中

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

【完結】断罪された悪役令嬢は、二度目は復讐に生きる

くろねこ
恋愛
公爵令嬢リリアーネ・アルフェルトは、 聖女と王国第一王子に嵌められ、 悪女として公開断罪され、処刑された。 弁明は許されず、真実を知る者は沈黙し、 彼女は石を投げられ、罵られ、 罪人として命を奪われた――はずだった。 しかし、彼女は教会の地下で目を覚ます。 死を代償に得たのは......... 赦しは選ばない。 和解もしない。 名乗るつもりもない。 彼女が選んだのは、 自分を裁いた者たちを、 同じ法と断罪で裁き返すこと。 最初に落ちるのは、 彼女を裏切った小さな歯車。 次に崩れるのは、 聖女の“奇跡”と信仰。 やがて王子は、 自ら築いた裁判台へと引きずり出される。 かつて正義を振りかざした者たちは、 自分が断罪される未来を想像すらしていなかった。 悪女は表舞台に立たない。 だがその裏側で、 嘘は暴かれ、 罪は積み上がり、 裁きは逃げ場なく迫っていく。 これは、 一度死んだ悪女が、 “ざまぁ”のために暴れる物語ではない。 ――逃げ場のない断罪を、 一人ずつ成立させていく物語だ。

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

処理中です...