ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた

鷹 綾

文字の大きさ
5 / 40

第五話 切り捨てられる準備

しおりを挟む
第五話 切り捨てられる準備

 王城の朝は、いつもより早く始まっていた。
 廊下を行き交う足音が増え、囁きは抑えられ、視線だけが忙しく交錯している。何かが起きる前触れは、音よりも沈黙として現れるものだと、城に長く仕える者ほど知っていた。

 マクシミリアン王太子は、その沈黙を「反省」と解釈していた。

「ようやく皆、落ち着いたようだな」

 執務机の前でそう言い、彼は満足げに頷く。側近たちは、相変わらず言葉を選んだまま、肯定も否定もしない。王太子はそれを同意と受け取った。

「教会も、公爵家も、最終的には折れる。
 国は、王の意思で動くものだ」

 その言葉が空に溶ける一方で、王城の別室では、まったく異なる話が進んでいた。

 国王の前に並ぶのは、宰相、財務卿、そして教会から派遣された代理司教。誰も声を荒げない。感情はここには不要だった。

「王太子の婚約破棄は、教会として無効です」

 代理司教の言葉に、国王は目を閉じる。

「……分かっている」

「加えて、各公爵家から“契約破棄に対する正当な補償要求”が提出され始めています」

 宰相が淡々と報告する。

「要求は、武力ではありません。
 条約に基づく、財政・軍事の再配分。
 拒否すれば、同盟は自動的に解消されます」

 国王は、ゆっくりと息を吐いた。

「つまり……」

「王太子個人の判断を、王家全体の意思として認めるかどうか。
 それが問われています」

 沈黙。
 そして国王は、短く答えた。

「王家は、国家であって、感情ではない」

 それは、結論だった。

 一方、ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢は、王城の庭園で朝の散策を楽しんでいた。
 白いドレスに身を包み、控えめな微笑みを絶やさず、通り過ぎる者すべてに丁寧な挨拶を返す。

「まあ、ルクレツィア様。最近はお忙しそうですね」

 貴族令嬢の一人が声をかける。

「そんなこと……ただ、殿下のお力になれればと思っておりますの」

 いつもの台詞。
 だが相手は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。

「……そう、ですか」

 ルクレツィアは、その違和感に気づかない。
 周囲の空気が変わった理由を、彼女は「嫉妬」だと信じていた。

(皆、受け入れられないのね)

(でも、真実の愛は、必ず勝つ)

 その確信は、彼女を軽やかにさせる。

 昼前、王城の回廊で、ルクレツィアはイザベル・ド・エノー公爵令嬢とすれ違った。

「ごきげんよう、イザベル様」

 彼女は、完璧な礼をとる。
 声は柔らかく、態度は謙虚。外面だけ見れば、非の打ち所はない。

「ごきげんよう」

 イザベルは立ち止まらない。
 視線も合わせない。

 その態度に、ルクレツィアの胸に小さな苛立ちが生まれる。

(……最後まで、強がっているのね)

 だが、次の瞬間、その苛立ちは別の感情に塗り替えられた。

 周囲の者たちが、イザベルに対してだけ、明確な敬意を払っていることに気づいたのだ。
 深く頭を下げる者、道を譲る者、声を潜める者。

(……なぜ?)

 答えは、すぐに示された。

 午後、王城に正式な通達が出る。

「本日付をもって、
 王太子マクシミリアン殿下の婚約破棄に関する件は、
 教会および諸公爵家との協議対象とする」

 その一文は、短い。
 だが意味は重い。

 ルクレツィアは、読み終えた瞬間、胸の奥に冷たいものを感じた。

「……協議?」

 それは祝福ではない。
 承認でもない。

 彼女の背後で、侍女が息を呑む音がした。

「ルクレツィア様……」

「大丈夫よ」

 彼女は、微笑もうとする。

「少し形式的な手続きが必要なだけ。
 殿下が選ばれたのは、わたくしですもの」

 だが、その声はわずかに震えていた。

 同じ頃、エノー公爵邸では、イザベルが父と向き合っていた。

「教会は、正式に王太子の判断を否定しました」

「予想通りだ」

「各公爵家も、同時に要求を提出しています」

 エノー公爵は、頷く。

「よい。
 これで、責任の所在は明確になった」

「……ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢は」

「切り捨てられる」

 即答だった。

「王家にとっても、教会にとっても、
 最も処理しやすい存在だ」

 イザベルは、何も言わない。
 同情も、拒否もない。

 それは、彼女の問題ではなかった。

 夜、王太子のもとに呼び出しがかかる。

 国王の執務室。

「マクシミリアン」

 父の声は、疲れていた。

「お前の“真実の愛”は、国家を揺るがした」

「父上……」

「もう、守れない」

 その言葉に、王太子は初めて、理解できないものを見る目をした。

「……何をおっしゃっているのです?」

 国王は答えない。
 答える必要がないからだ。

 同じ夜、ルクレツィアのもとにも、呼び出しが届く。

 内容は簡潔だった。

「事情聴取に応じること」

 彼女は、その紙を握りしめ、震える指を必死に抑えた。

(違う……)

(わたくしは、選ばれたの……)

 だが、王城の沈黙は、もう彼女を祝福していなかった。

 それは――
 切り捨てるための、静かな準備だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...