6 / 40
第六話 理解しない者
しおりを挟む
第六話 理解しない者
王城の夜は、深く、重かった。
昼間に広がっていた噂や視線は、夜になると一層鋭さを増し、言葉にされない緊張として廊下に漂っている。
マクシミリアン王太子は、その空気を「反発」と呼んだ。
「皆、変化を恐れているだけだ」
国王の執務室から戻ったあと、彼は自室でそう吐き捨てた。
父の言葉の意味を、彼は理解しようとしなかった。理解してしまえば、自分が間違っていたことを認めることになるからだ。
「真実の愛を否定する国など、滅びても構わない」
その言葉は、独り言だった。
だが同時に、彼の中で揺るぎない信念になりつつあった。
そこへ、控えめなノックが響く。
「殿下……」
ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢だった。
いつもより慎重な足取りで室内に入ってくる。
「呼び出しを受けましたの。
事情聴取、だそうです」
声は落ち着いているように聞こえたが、手はわずかに震えていた。
「問題ない」
マクシミリアンは即答する。
「教会も、父上も、少し大げさなだけだ。
君が悪く言われる理由など、どこにもない」
ルクレツィアは、ほっとしたように微笑んだ。
「殿下がそう仰ってくださるなら……」
「当然だ。
君は何もしていない。
ただ、私を愛しただけだ」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の不安は、甘い期待へとすり替わる。
(そうよ……)
(わたくしは、愛しただけ)
(それが罪になるはずがない)
二人の間には、奇妙な連帯感が生まれていた。
だがそれは、現実から目を背ける者同士が寄り添う、脆いものだった。
一方その頃、王城の別の区画では、まったく違う会話が交わされていた。
国王、宰相、財務卿、そして教会の高位司教。
誰も感情的ではない。
「事情聴取は、明日から始まります」
司教が淡々と告げる。
「対象は、ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢」
「王太子は?」
宰相の問いに、司教は首を横に振った。
「殿下は、すでに政治的判断能力に疑義が生じています。
まずは、影響源の切り離しを」
その言葉に、国王は目を伏せた。
「……理解している」
苦渋の声だった。
「彼女は、切り捨てられる」
誰も否定しない。
それは報復ではなく、処理だった。
翌日、王城の一角で、事情聴取が始まった。
小さな部屋。
豪奢さはなく、壁には教会の紋章だけが掲げられている。
ルクレツィアは、背筋を伸ばして椅子に座った。
表情は、あくまで穏やかだ。
「お尋ねします」
司教の声は、静かだった。
「あなたは、王太子殿下に対し、婚約破棄を勧めましたか」
「いいえ」
即答。
「わたくしは、殿下のお心を尊重しただけです」
「では、“公爵家など不要”という発言については」
ルクレツィアは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……殿下が、そう仰ったのですわ。
わたくしは、ただ……否定できなかっただけで」
司教は、書簡に目を落とす。
「“殿下のお心が最優先”
“古い契約に縛られる必要はない”
これらの言葉は、あなたのものだと記録されています」
ルクレツィアの喉が鳴った。
「そ、それは……殿下を思って……」
「国家条約より、個人の感情を優先するよう、促したと?」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「わたくしは、ただ……愛を……」
司教は、そこで初めて顔を上げた。
「それが問題なのです」
その一言が、ルクレツィアの胸を貫いた。
一方、イザベル・ド・エノー公爵令嬢は、静かに書簡を読んでいた。
教会から届いた、形式的な報告書だ。
「事情聴取が始まったそうです」
侍女の言葉に、イザベルは頷くだけだった。
「そう」
それ以上、何も言わない。
彼女にとって、これは確認作業にすぎない。
流れは、すでに決まっている。
夜、マクシミリアンのもとに、報告が届く。
「殿下……事情聴取は、厳しいものになっています」
「馬鹿な」
彼は苛立ちを隠さない。
「彼女は、私を想って行動しただけだ。
それを裁くなど、間違っている」
だが、その声に応える者はいなかった。
マクシミリアンは、ようやく気づき始める。
――誰も、自分の言葉を肯定していない。
それでも、彼は理解しなかった。
「……皆が間違っている」
そう呟き、彼は一人、夜の王城に取り残される。
理解しない者は、最後まで理解しない。
そしてその無理解こそが、次に切り捨てられる理由になることを――
彼は、まだ知らなかった。
王城の夜は、深く、重かった。
昼間に広がっていた噂や視線は、夜になると一層鋭さを増し、言葉にされない緊張として廊下に漂っている。
マクシミリアン王太子は、その空気を「反発」と呼んだ。
「皆、変化を恐れているだけだ」
国王の執務室から戻ったあと、彼は自室でそう吐き捨てた。
父の言葉の意味を、彼は理解しようとしなかった。理解してしまえば、自分が間違っていたことを認めることになるからだ。
「真実の愛を否定する国など、滅びても構わない」
その言葉は、独り言だった。
だが同時に、彼の中で揺るぎない信念になりつつあった。
そこへ、控えめなノックが響く。
「殿下……」
ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢だった。
いつもより慎重な足取りで室内に入ってくる。
「呼び出しを受けましたの。
事情聴取、だそうです」
声は落ち着いているように聞こえたが、手はわずかに震えていた。
「問題ない」
マクシミリアンは即答する。
「教会も、父上も、少し大げさなだけだ。
君が悪く言われる理由など、どこにもない」
ルクレツィアは、ほっとしたように微笑んだ。
「殿下がそう仰ってくださるなら……」
「当然だ。
君は何もしていない。
ただ、私を愛しただけだ」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の不安は、甘い期待へとすり替わる。
(そうよ……)
(わたくしは、愛しただけ)
(それが罪になるはずがない)
二人の間には、奇妙な連帯感が生まれていた。
だがそれは、現実から目を背ける者同士が寄り添う、脆いものだった。
一方その頃、王城の別の区画では、まったく違う会話が交わされていた。
国王、宰相、財務卿、そして教会の高位司教。
誰も感情的ではない。
「事情聴取は、明日から始まります」
司教が淡々と告げる。
「対象は、ルクレツィア・ボルジア男爵令嬢」
「王太子は?」
宰相の問いに、司教は首を横に振った。
「殿下は、すでに政治的判断能力に疑義が生じています。
まずは、影響源の切り離しを」
その言葉に、国王は目を伏せた。
「……理解している」
苦渋の声だった。
「彼女は、切り捨てられる」
誰も否定しない。
それは報復ではなく、処理だった。
翌日、王城の一角で、事情聴取が始まった。
小さな部屋。
豪奢さはなく、壁には教会の紋章だけが掲げられている。
ルクレツィアは、背筋を伸ばして椅子に座った。
表情は、あくまで穏やかだ。
「お尋ねします」
司教の声は、静かだった。
「あなたは、王太子殿下に対し、婚約破棄を勧めましたか」
「いいえ」
即答。
「わたくしは、殿下のお心を尊重しただけです」
「では、“公爵家など不要”という発言については」
ルクレツィアは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……殿下が、そう仰ったのですわ。
わたくしは、ただ……否定できなかっただけで」
司教は、書簡に目を落とす。
「“殿下のお心が最優先”
“古い契約に縛られる必要はない”
これらの言葉は、あなたのものだと記録されています」
ルクレツィアの喉が鳴った。
「そ、それは……殿下を思って……」
「国家条約より、個人の感情を優先するよう、促したと?」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「わたくしは、ただ……愛を……」
司教は、そこで初めて顔を上げた。
「それが問題なのです」
その一言が、ルクレツィアの胸を貫いた。
一方、イザベル・ド・エノー公爵令嬢は、静かに書簡を読んでいた。
教会から届いた、形式的な報告書だ。
「事情聴取が始まったそうです」
侍女の言葉に、イザベルは頷くだけだった。
「そう」
それ以上、何も言わない。
彼女にとって、これは確認作業にすぎない。
流れは、すでに決まっている。
夜、マクシミリアンのもとに、報告が届く。
「殿下……事情聴取は、厳しいものになっています」
「馬鹿な」
彼は苛立ちを隠さない。
「彼女は、私を想って行動しただけだ。
それを裁くなど、間違っている」
だが、その声に応える者はいなかった。
マクシミリアンは、ようやく気づき始める。
――誰も、自分の言葉を肯定していない。
それでも、彼は理解しなかった。
「……皆が間違っている」
そう呟き、彼は一人、夜の王城に取り残される。
理解しない者は、最後まで理解しない。
そしてその無理解こそが、次に切り捨てられる理由になることを――
彼は、まだ知らなかった。
1
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる