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第二十五話 選ばれなかった道
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第二十五話 選ばれなかった道
王都に、春の気配が差し込み始めていた。
事件から数か月。
人々は、すでに次の季節を生きている。
だが、すべての場所で同じ速さで時間が進むわけではない。
王城の奥、記録官の部屋では、分厚い書類が一つ、静かに閉じられた。
「……これで最後です」
記録官の声に、新王は頷いた。
表紙には、簡素な文字でこう記されている。
〈王太子婚約破棄事案・終結記録〉
感情的な記述はない。
誰かを英雄に仕立てる文言もない。
ただ、
何が起こり、
どの契約が破られ、
どの判断がなされ、
どんな結果に至ったか――
それだけが、淡々と残されている。
「歴史書に載せますか?」
宰相の問いに、新王は少し考えた。
「概要だけでいい。
詳細は、専門家が必要になった時に読めばいい」
それで十分だ。
この出来事は、語り継ぐための英雄譚ではない。
繰り返さないための失敗例だからだ。
一方、エノー公爵邸。
イザベルは、地方から届いた一通の書簡を読んでいた。
「……王太子の復権を求める嘆願、ですか」
侍女が不安そうに言う。
「ごく一部ですが、まだ……」
「ええ、分かっています」
イザベルは、紙を折り、静かに答える。
「人は、“もしも”を手放すのに時間がかかります」
もし、あの時こうしていれば。
もし、彼が学んでいれば。
もし、誰かが止めていれば。
「ですが」
彼女は、はっきりと言った。
「“もしも”は、選ばれなかった道です」
そして、選ばれなかった道には、
責任も、結果も、もう存在しない。
修道院では、畑の隅に、小さな木が植えられていた。
「何の木ですか?」
修道士の問いに、元王太子は答える。
「……まだ、決めていない」
木は、まだ細い。
実を結ぶかどうかも分からない。
それでも、彼は水をやる。
かつての彼なら、
実る保証がなければ、そんなことはしなかっただろう。
王都では、新しい婚約話がいくつも動き始めていた。
「今回は、条約文を先に確認したい」
「持参金の扱いを明文化してほしい」
それらは、慎重すぎるほど慎重だった。
誰も、
“愛しているから”
“気持ちが変わったから”
そんな言葉を、前面に出さない。
恋は、否定されていない。
ただ、優先順位がはっきりしただけだ。
イザベルは、庭で咲き始めた花を眺めながら思う。
かつて、彼女の人生には、
選ばされる道しかなかった。
だが今は違う。
選ばれなかった道が、
きちんと「終わった」からだ。
「……未来は、静かですわ」
それは、退屈という意味ではない。
無駄な修羅場がない、という意味だ。
王城の書庫に、記録が収められる。
修道院で、一本の木が育ち始める。
王都で、新しい契約が結ばれる。
それぞれが、それぞれの場所で、
選ばれた道を歩いている。
婚約破棄という愚行が残した最大の教訓は、
罰でも、復讐でもない。
――道は、選べるが、
選ばなかった道に、戻ることはできない。
それを、この国は、
ようやく学び終えたのだった。
王都に、春の気配が差し込み始めていた。
事件から数か月。
人々は、すでに次の季節を生きている。
だが、すべての場所で同じ速さで時間が進むわけではない。
王城の奥、記録官の部屋では、分厚い書類が一つ、静かに閉じられた。
「……これで最後です」
記録官の声に、新王は頷いた。
表紙には、簡素な文字でこう記されている。
〈王太子婚約破棄事案・終結記録〉
感情的な記述はない。
誰かを英雄に仕立てる文言もない。
ただ、
何が起こり、
どの契約が破られ、
どの判断がなされ、
どんな結果に至ったか――
それだけが、淡々と残されている。
「歴史書に載せますか?」
宰相の問いに、新王は少し考えた。
「概要だけでいい。
詳細は、専門家が必要になった時に読めばいい」
それで十分だ。
この出来事は、語り継ぐための英雄譚ではない。
繰り返さないための失敗例だからだ。
一方、エノー公爵邸。
イザベルは、地方から届いた一通の書簡を読んでいた。
「……王太子の復権を求める嘆願、ですか」
侍女が不安そうに言う。
「ごく一部ですが、まだ……」
「ええ、分かっています」
イザベルは、紙を折り、静かに答える。
「人は、“もしも”を手放すのに時間がかかります」
もし、あの時こうしていれば。
もし、彼が学んでいれば。
もし、誰かが止めていれば。
「ですが」
彼女は、はっきりと言った。
「“もしも”は、選ばれなかった道です」
そして、選ばれなかった道には、
責任も、結果も、もう存在しない。
修道院では、畑の隅に、小さな木が植えられていた。
「何の木ですか?」
修道士の問いに、元王太子は答える。
「……まだ、決めていない」
木は、まだ細い。
実を結ぶかどうかも分からない。
それでも、彼は水をやる。
かつての彼なら、
実る保証がなければ、そんなことはしなかっただろう。
王都では、新しい婚約話がいくつも動き始めていた。
「今回は、条約文を先に確認したい」
「持参金の扱いを明文化してほしい」
それらは、慎重すぎるほど慎重だった。
誰も、
“愛しているから”
“気持ちが変わったから”
そんな言葉を、前面に出さない。
恋は、否定されていない。
ただ、優先順位がはっきりしただけだ。
イザベルは、庭で咲き始めた花を眺めながら思う。
かつて、彼女の人生には、
選ばされる道しかなかった。
だが今は違う。
選ばれなかった道が、
きちんと「終わった」からだ。
「……未来は、静かですわ」
それは、退屈という意味ではない。
無駄な修羅場がない、という意味だ。
王城の書庫に、記録が収められる。
修道院で、一本の木が育ち始める。
王都で、新しい契約が結ばれる。
それぞれが、それぞれの場所で、
選ばれた道を歩いている。
婚約破棄という愚行が残した最大の教訓は、
罰でも、復讐でもない。
――道は、選べるが、
選ばなかった道に、戻ることはできない。
それを、この国は、
ようやく学び終えたのだった。
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