ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた

鷹 綾

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第二十六話 残るもの

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第二十六話 残るもの

 春は、完全に王都へ根を下ろしていた。

 市場には花が並び、人々の会話は、天気と価格と次の祝祭の話題に戻っている。
 王太子の名を口にする者は、もうほとんどいない。

 忘れられたのではない。
 必要がなくなったのだ。

 王城では、新王が評議会の報告を聞いていた。

「各地の軍備状況、異常なし」

「公爵家連合との合同演習、予定通り実施」

「教会との協定文、最終確認が完了しました」

 新王は一つずつ頷く。

 どれも、事件以前なら「危機対応」と呼ばれただろう。
 今は違う。

 これは、日常の点検だ。

「……よろしい」

 それだけで、会議は終わる。

 誰も拍子抜けしない。
 決断が早いことが、すでに当たり前になっていた。

 一方、エノー公爵邸。

 イザベルは、地方から訪れた若い伯爵令嬢と向き合っていた。

「婚約とは、幸せになるためのものではないのですね……?」

 迷いを含んだ問いに、イザベルは微笑む。

「幸せになることは、否定されていませんわ」

 だが、と付け加える。

「ただし、それは“結果”です。
 “理由”にしてはいけません」

 伯爵令嬢は、深く息を吐いた。

「……分かりました」

 分かった、というより、
 覚悟を決めた顔だった。

 それを見て、イザベルは内心で安堵する。

 この国は、次の世代に、
 同じ過ちを繰り返させないところまで来ている。

 修道院では、一本の若木が、わずかに葉を増やしていた。

 名を失った男は、静かにそれを見つめる。

「……残るもの、か」

 彼に残ったのは、地位でも、名誉でもない。

 時間と、労力と、
 自分が蒔いたものが育つのを待つという感覚。

 それは、王太子だった頃には、
 一度も味わったことのない重みだった。

 王都の外れでは、新しい学舎の建設が始まっている。

 契約法と条約史を教えるための、小さな学院だ。

「必要なのか?」

 という声もあった。

 だが、新王は言った。

「今回の騒動を、
 個人の愚行で終わらせないために必要だ」

 学ぶべきは、
 誰が悪かったかではない。

 なぜ止められなかったかだ。

 夕暮れ。

 イザベルは、久しぶりに何も考えず、庭を歩いていた。

 風が、花の香りを運ぶ。

「……残りましたわね」

 侍女が、不思議そうに聞き返す。

「何が、でしょうか?」

「教訓ですわ」

 剣も、血も、処刑の見世物もなかった。

 だが、その代わりに、
 愚かさがどれほど高くつくかを、
 この国は、正確に学んだ。

 権力は、感情を叶えるための道具ではない。
 契約は、破るために存在しない。
 そして――

「公爵家は、家臣ではありません」

 その当たり前が、
 ようやく、全員に共有された。

 婚約破棄という一言から始まった騒動は、
 王を変え、制度を変え、空気を変えた。

 最後に残ったのは、
 誰かの復讐でも、恋の成就でもない。

 越えてはならない一線を、
 誰もが知っている国――
 それだけだった。

 イザベルは、静かに空を見上げる。

「……これで、本当に終わりですわ」

 その声には、もう警戒も、怒りもなかった。

 残ったものを守る仕事は、
 派手ではない。

 だが、それこそが、
 この国にとって、最も価値のある結末だった。
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