ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた

鷹 綾

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第三十五話 静かな試金石

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第三十五話 静かな試金石

 任命から二週間。

 王都は、その人物の名をほとんど口にしなかった。
 それは、無関心ではない。
 期待を乗せないという礼儀だった。

 新任の官は、目立つ改革をしない。
 演説もしない。
 成果を誇らない。

 ただ、書類を読み、数を確かめ、期限を守る。

 王城の会計室で、小さな差異が見つかったのは、三日目だった。

「……ここ、合いません」

 古参の書記が眉をひそめる。

「前任者の慣例です。
 調整分を後回しに」

 新任の官は、首を振った。

「慣例でも、数字は嘘をつきません。
 理由を追いましょう」

 派手な拒否ではない。
 淡々とした是正だ。

 その場で声は上がらなかったが、
 空気が一段階、締まった。

 一方、エノー公爵邸。

 イザベルは、定例の非公式報告に目を通していた。

「反発は?」

「ありません。
 ……ただ、様子見が増えています」

「それでいいですわ」

 イザベルは、静かに言う。

「試されているのは、あの人ではありません。
 公爵家の名の使い方です」

 名が通るかどうかではない。
 名が、余計な道を開かないか。

 それが、今回の試金石だった。

 修道院では、名を失った男が、若い修道士に問いかけられていた。

「国は、あの人を守るのですか?」

 男は、しばらく考え、答える。

「守らない。
 通る道だけを残す」

 守ると言えば、甘くなる。
 切ると言えば、恐怖が残る。

 通る道だけを残す――
 それが、今の国のやり方だ。

 王城では、最初の“判断”が下された。

 新任の官の提出した修正案に対し、
 評議会の一部が難色を示す。

「急ぎすぎでは?」

「前例に反する」

 新任の官は、反論しない。

 ただ、条文と数字を示す。

「前例は、条文にありません。
 数字は、期限を超えています」

 新王は、二人のやり取りを黙って見ていたが、
 やがて短く告げた。

「採用する」

 理由は、一つ。

「原則に合っている」

 その瞬間、
 公爵家の名は、盾にも剣にもならなかった。

 ただ、無関係だった。

 それが、最も強い後押しだった。

 王都の市井では、相変わらず静かな日々が続く。

「最近、役所の返事が早いな」

「理由が書いてあるから、文句が言いにくい」

 それでいい。

 文句が言えないのではない。
 言う必要がない。

 イザベルは、夕方の庭で立ち止まり、風に揺れる枝を見た。

「……名は、通りませんでしたわね」

 侍女が不安げに言う。

「それで、よろしいのですか?」

「ええ」

 イザベルは微笑む。

「通らないから、価値が保たれるのです」

 名が、最短距離を歪めない。
 名が、責任を曖昧にしない。

 それが確認できた。

 王城の記録には、短い一行が加えられる。

 ――任命後初期運用、問題なし。

 称賛も、脚色もない。

 だが、その一行は、
 この国にとって十分な証明だった。

 静かな試金石は、
 音もなく、
 確かに、合格を示していた。
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