ラノベでリアルに婚約破棄を描いてみたら、王家が傾いた

鷹 綾

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第三十六話 使われなかった切り札

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第三十六話 使われなかった切り札

 新任の官が職に就いてから、一か月。

 王城では、特別な報告も、緊急の召集もなかった。
 それ自体が、異例だった。

 問題がないのではない。
 問題が、問題になる前に処理されている。

 会計、通商、監督――
 どの部署でも、判断は早く、理由は短い。

「条文に沿っているか」
「数字が合っているか」

 それだけだ。

 王城の廊下で、古参の官吏が小声で言う。

「……切り札を、使わないな」

 隣の官吏が頷く。

「使う必要がないんだろ」

 その切り札とは、
 エノー公爵家の名だった。

 推薦者の名を出せば、
 話が早くなる場面はいくらでもある。

 だが、新任の官は、一度もそれを口にしなかった。

 一方、エノー公爵邸。

 イザベルは、定例報告を読み終え、静かに紙を畳む。

「……一度も、名前を使っていませんね」

 侍女が言う。

「むしろ、不利になる場面でも」

「ええ」

 イザベルは微笑む。

「だからこそ、正しい」

 名を使わない覚悟は、
 名を持つ者にとって、最も難しい。

 修道院では、名を失った男が、その話を聞き、深く息を吐いた。

「……俺は、最初にそれを使った」

 自分の名。
 王太子という肩書。

 それが、すべてを歪めた。

 王城では、ある商会からの要望が提出されていた。

「特例措置を」

 理由は、明確だった。

「他国との競争が激しい」

 新任の官は、文書を読み、短く答える。

「一般措置で対応可能です」

「しかし――」

「特例は、
 他の商会に対する不利を生みます」

 感情はない。
 拒絶もない。

 ただ、線を越えない。

 その判断に、
 新王は口を挟まなかった。

 後で、宰相が言う。

「公爵家の名を使えば、
 早かったでしょうに」

 新王は、首を振る。

「使わなかったから、
 続く」

 早さよりも、
 積み重ねを選ぶ。

 王都の市井では、噂が一つ消えていた。

「公爵家の後ろ盾がある官は、
 怖い」

 そう言う者が、いなくなった。

 代わりに、こう言われる。

「理由を示せば、
 ちゃんと通る」

 それは、
 名よりも強い評価だった。

 イザベルは、夕暮れの庭で、静かに目を閉じる。

「……切り札は、
 使われなかったからこそ、
 切り札のままですわ」

 切り札を切らない勇気。
 それを示せたことが、
 公爵家にとっても、
 国にとっても、最大の成果だった。

 王城の記録には、また一行が加えられる。

 ――特例申請、一般措置にて処理。

 淡々とした文字の裏で、
 この国は、
 名に頼らない運営を、
 確実なものにしていった。

 それは派手な改革ではない。
 だが、
 二度と愚行を許さないための、
 最も堅牢な積み上げだった。
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