2 / 40
第2話 暑すぎるので、まずは冷やします
しおりを挟む
第2話 暑すぎるので、まずは冷やします
南方ファーレ領――王都から馬車で五日。
エオリア・フロステリアが追放先として降ろされた土地は、想像以上に“過酷”だった。
「……暑いですわね」
第一声が、それだった。
照りつける太陽。
肌にまとわりつく湿気。
息を吸うだけで、肺の中までぬるくなる感覚。
迎えに来たのは、領主代理と名乗る中年の男性と、最低限の使用人だけ。
歓迎というより、「厄介払いの荷物を受け取った」という空気が露骨だった。
「こちらが、お住まいになる屋敷でございます」
案内された屋敷は、石造りではあるが――
窓は小さく、風通しも悪い。
中に入った瞬間、むわっとした熱気が押し寄せた。
エオリアは立ち止まり、静かに目を閉じる。
(これは……無理ですわ)
「……あの」
「は、はい?」
「まず、寝室を一つだけ使えるようにしてくださいな」
「え? 他はご覧になられなくてよろしいのですか?」
「ええ。全部を見る必要はありません」
なぜなら――
この屋敷で最初にやることは、決まっていたからだ。
◆
寝室に通されると、エオリアは即座に窓を閉め切った。
「お嬢様? 風を通したほうが……」
「だめですわ。外気を入れると、余計に不快になります」
使用人たちが首を傾げる中、エオリアはゆっくりと魔力を練った。
複雑な詠唱はない。
派手な光もない。
ただ、空間を包み込むように、やさしく魔力を巡らせる。
「……《温度一定》」
次の瞬間。
「……あれ?」
「涼しい……?」
寝室の空気が、すっと軽くなった。
汗ばんでいた肌が、自然に乾いていく。
「室温二十三度、湿度五十パーセント……」
エオリアは満足そうに頷いた。
「これですわ。生きるとは、こういうことですの」
使用人たちは呆然としていた。
「こ、これが……魔法……?」
「ええ。ただの生活魔法ですわ。
暑いのも、湿っぽいのも、我慢する理由がありませんもの」
王都では“無駄遣い”と笑われた魔法。
だが、この瞬間――
この部屋は、世界で一番快適だった。
「……他の部屋も、この温度にしていいですか?」
使用人の一人が、おそるおそる尋ねる。
「いけません」
即答だった。
「この部屋は、わたくしのための空間ですわ。
全部快適にしたら、価値が下がりますでしょう?」
「……?」
「まずは、わたくしが快適であること。それが最優先ですの」
理解される気は、最初からなかった。
◆
エオリアは、冷えた寝室で荷物をほどきながら考えていた。
(暑い土地……湿度が高い……)
それは裏を返せば――
(植物がよく育つ、ということですわね)
荷物の中から、小さな包みを取り出す。
王宮の厨房から“ついで”に持ってきた、茶色い種。
「……カカオ」
王都では高級品。
この国では、輸入に頼るしかない希少素材。
(育ったら、チョコレートが作れますわ)
自分が食べるために。
それが第一。
「……いっぱいできたら、どうしましょう」
一瞬だけ考え、すぐ結論が出た。
(余りますわね)
食べきれない分は、腐る。
それは、もったいない。
「……売りましょうか」
商売のためではない。
発展のためでもない。
「捨てるくらいなら、誰かにあげるか、売る。
それだけの話ですわ」
エオリアは、あくまで“自分のため”に魔法を使う。
誰かに感謝される必要もない。
評価される必要もない。
(わたくしが美味しいものを食べられれば、それでいい)
◆
その日の夕方。
「お嬢様……」
使用人が、恐る恐る声をかけてきた。
「夕食なのですが……」
差し出されたのは、干し肉と固いパン。
南方では一般的な食事だという。
エオリアは、パンを一口かじり――
「……口の中の水分、全部持っていかれましたわ」
静かに言った。
次の瞬間、彼女は立ち上がった。
「厨房を、お借りします」
「え? で、ですが……」
「大丈夫ですわ。危険な魔法は使いません」
――危険でない代わりに、贅沢な魔法を使うだけだ。
水を冷やし、
甘味を引き出し、
温度を整える。
「……《簡易冷却》」
ぬるかった水が、喉に心地よい冷たさへ変わる。
「……生き返りますわね」
その光景を、使用人たちはただ見つめていた。
(この人は……追放されてきた貴族令嬢、なのよね?)
常識が、音を立てて崩れていく。
◆
夜。
完璧に冷えた寝室で、エオリアはベッドに横になった。
「……快適ですわ」
王都での生活よりも。
婚約者がいた頃よりも。
今のほうが、ずっと。
「働かなくていい。
誰にも気を遣わなくていい。
自分のためだけに、魔法を使える」
彼女は目を閉じる。
「……ここ、当たりですわね」
南方ファーレ領。
未開地と呼ばれたこの場所は――
エオリアにとって、理想の“引きこもり拠点”になりそうだった。
そしてまだ、誰も気づいていない。
この屋敷から、
甘くて、冷たくて、どうでもいい理由で生まれた魔法が、
じわじわと世界を侵食していくことを。
だが、それはすべて――
「……明日は、甘いものを作りましょう」
彼女の“ついで”から始まるのだった。
南方ファーレ領――王都から馬車で五日。
エオリア・フロステリアが追放先として降ろされた土地は、想像以上に“過酷”だった。
「……暑いですわね」
第一声が、それだった。
照りつける太陽。
肌にまとわりつく湿気。
息を吸うだけで、肺の中までぬるくなる感覚。
迎えに来たのは、領主代理と名乗る中年の男性と、最低限の使用人だけ。
歓迎というより、「厄介払いの荷物を受け取った」という空気が露骨だった。
「こちらが、お住まいになる屋敷でございます」
案内された屋敷は、石造りではあるが――
窓は小さく、風通しも悪い。
中に入った瞬間、むわっとした熱気が押し寄せた。
エオリアは立ち止まり、静かに目を閉じる。
(これは……無理ですわ)
「……あの」
「は、はい?」
「まず、寝室を一つだけ使えるようにしてくださいな」
「え? 他はご覧になられなくてよろしいのですか?」
「ええ。全部を見る必要はありません」
なぜなら――
この屋敷で最初にやることは、決まっていたからだ。
◆
寝室に通されると、エオリアは即座に窓を閉め切った。
「お嬢様? 風を通したほうが……」
「だめですわ。外気を入れると、余計に不快になります」
使用人たちが首を傾げる中、エオリアはゆっくりと魔力を練った。
複雑な詠唱はない。
派手な光もない。
ただ、空間を包み込むように、やさしく魔力を巡らせる。
「……《温度一定》」
次の瞬間。
「……あれ?」
「涼しい……?」
寝室の空気が、すっと軽くなった。
汗ばんでいた肌が、自然に乾いていく。
「室温二十三度、湿度五十パーセント……」
エオリアは満足そうに頷いた。
「これですわ。生きるとは、こういうことですの」
使用人たちは呆然としていた。
「こ、これが……魔法……?」
「ええ。ただの生活魔法ですわ。
暑いのも、湿っぽいのも、我慢する理由がありませんもの」
王都では“無駄遣い”と笑われた魔法。
だが、この瞬間――
この部屋は、世界で一番快適だった。
「……他の部屋も、この温度にしていいですか?」
使用人の一人が、おそるおそる尋ねる。
「いけません」
即答だった。
「この部屋は、わたくしのための空間ですわ。
全部快適にしたら、価値が下がりますでしょう?」
「……?」
「まずは、わたくしが快適であること。それが最優先ですの」
理解される気は、最初からなかった。
◆
エオリアは、冷えた寝室で荷物をほどきながら考えていた。
(暑い土地……湿度が高い……)
それは裏を返せば――
(植物がよく育つ、ということですわね)
荷物の中から、小さな包みを取り出す。
王宮の厨房から“ついで”に持ってきた、茶色い種。
「……カカオ」
王都では高級品。
この国では、輸入に頼るしかない希少素材。
(育ったら、チョコレートが作れますわ)
自分が食べるために。
それが第一。
「……いっぱいできたら、どうしましょう」
一瞬だけ考え、すぐ結論が出た。
(余りますわね)
食べきれない分は、腐る。
それは、もったいない。
「……売りましょうか」
商売のためではない。
発展のためでもない。
「捨てるくらいなら、誰かにあげるか、売る。
それだけの話ですわ」
エオリアは、あくまで“自分のため”に魔法を使う。
誰かに感謝される必要もない。
評価される必要もない。
(わたくしが美味しいものを食べられれば、それでいい)
◆
その日の夕方。
「お嬢様……」
使用人が、恐る恐る声をかけてきた。
「夕食なのですが……」
差し出されたのは、干し肉と固いパン。
南方では一般的な食事だという。
エオリアは、パンを一口かじり――
「……口の中の水分、全部持っていかれましたわ」
静かに言った。
次の瞬間、彼女は立ち上がった。
「厨房を、お借りします」
「え? で、ですが……」
「大丈夫ですわ。危険な魔法は使いません」
――危険でない代わりに、贅沢な魔法を使うだけだ。
水を冷やし、
甘味を引き出し、
温度を整える。
「……《簡易冷却》」
ぬるかった水が、喉に心地よい冷たさへ変わる。
「……生き返りますわね」
その光景を、使用人たちはただ見つめていた。
(この人は……追放されてきた貴族令嬢、なのよね?)
常識が、音を立てて崩れていく。
◆
夜。
完璧に冷えた寝室で、エオリアはベッドに横になった。
「……快適ですわ」
王都での生活よりも。
婚約者がいた頃よりも。
今のほうが、ずっと。
「働かなくていい。
誰にも気を遣わなくていい。
自分のためだけに、魔法を使える」
彼女は目を閉じる。
「……ここ、当たりですわね」
南方ファーレ領。
未開地と呼ばれたこの場所は――
エオリアにとって、理想の“引きこもり拠点”になりそうだった。
そしてまだ、誰も気づいていない。
この屋敷から、
甘くて、冷たくて、どうでもいい理由で生まれた魔法が、
じわじわと世界を侵食していくことを。
だが、それはすべて――
「……明日は、甘いものを作りましょう」
彼女の“ついで”から始まるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のススメ!王子の「真実の愛」見つけて差し上げます
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢メロア・クレーベルの隣には、非の打ち所がない完璧すぎる婚約者、ジークハルト王子が君臨している。このまま結婚すれば、待っているのは「王妃教育」と「終わらない公務」という名の過労死コース……。
「嫌ですわ! わたくし、絶対に婚約破棄して隠居してみせますわ!」
決意したメロアは、入学したての学園で、王子の「真実の愛の相手(ヒロイン)」を見つけ出し、自分を捨ててもらうという作戦を開始する。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
愛を騙るな
篠月珪霞
恋愛
「王妃よ、そなた一体何が不満だというのだ」
「………」
「贅を尽くした食事、ドレス、宝石、アクセサリー、部屋の調度も最高品質のもの。王妃という地位も用意した。およそ世の女性が望むものすべてを手に入れているというのに、何が不満だというのだ!」
王妃は表情を変えない。何を言っても宥めてもすかしても脅しても変わらない王妃に、苛立った王は声を荒げる。
「何とか言わぬか! 不敬だぞ!」
「……でしたら、牢に入れるなり、処罰するなりお好きに」
「い、いや、それはできぬ」
「何故? 陛下の望むままなさればよろしい」
「余は、そなたを愛しているのだ。愛するものにそのような仕打ち、到底考えられぬ」
途端、王妃の嘲る笑い声が響く。
「畜生にも劣る陛下が、愛を騙るなどおこがましいですわね」
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした
由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。
無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。
再び招かれたのは、かつて母を追放した国。
礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。
これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる