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第36話 帰ってきてほしい? 移動が面倒ですわ
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第36話 帰ってきてほしい? 移動が面倒ですわ
その手紙は、朝食後に届いた。
封蝋は王都式。厚手の紙。無駄に整った文字。読む前から内容は、だいたい予想がついた。
エオリア・フロステリアは、涼しいサロンのソファに身を沈めたまま、封を切る。エアコン魔法は今日も完璧に機能しており、外の熱気と湿気は完全に遮断されていた。
「……やはり」
読み終えた彼女は、感想とも言えない一言を落とした。
「王都への帰還要請、ですか?」
紅茶を淹れていたエレナが、視線だけで問いかける。
「ええ。正式な文面ですわ。丁寧で、回りくどくて、無駄に長い」
「内容は?」
「要するに、“こちらに戻っていただきたい”ですわね」
エオリアは、手紙をぱたんと閉じた。
「理由は?」
「理由は、たくさん書いてありましたわ」
「……ですが?」
「どれも、私にとっては重要ではありませんわね」
彼女はそう言って、ソファの背にもたれかかる。
手紙には、こう書かれていた。
王都では、チョコレートと冷菓の流通が安定し、人々の生活に潤いが生まれていること。 それらが“自然発生的に”広がったことへの驚き。 功績の中心に、エオリア・フロステリアの存在があること。 ぜひ一度、王都に戻り、状況説明と今後の協力について話し合ってほしいこと。
丁寧で、誠実で、理性的な文面だった。
「……で?」
エレナが、恐る恐る続きを促す。
「結論ですわ」
エオリアは、あっさりと言った。
「移動が、面倒です」
「……それだけ、ですか?」
「それだけ、ですわ」
屋敷は快適だった。温度も、湿度も、明るさも、音も、すべてが最適に整えられている。冷たいものは冷たく、甘いものは甘く、欲しいときにすぐ手に入る。
王都へ行けばどうなるか。
人が多い。暑い。騒がしい。移動が長い。馬車は揺れる。早起きを強いられる。余計な挨拶を求められる。説明を求められる。感謝される。期待される。
「……面倒以外の何物でもありませんわね」
エオリアは、紅茶を一口飲んだ。
「断る、ということで?」
「ええ」
「角は立ちませんか?」
「立つでしょうね」
「……よろしいのですか?」
「立って困る角なら、最初から立っていたはずですわ」
彼女は淡々としていた。
「私は、頼まれて作ったわけでも、売ったわけでもありませんの。自分が食べたくて作って、余ったから置いただけですわ」
「王都では、その“置いただけ”が……」
「知っています」
エオリアは遮った。
「でも、それは向こうの事情ですわ」
彼女は、机の上に並んだ冷菓を見やる。
白。茶色。混ざったもの。
今日も十分に揃っている。
「ここを離れる理由が、私にはありません」
「ライル様には……?」
「話していません」
「聞かれたら?」
「同じことを言いますわ」
「……移動が面倒?」
「ええ」
それ以上でも、それ以下でもない。
昼過ぎ。
屋敷の門前では、今日の販売が始まっていた。時間は固定。購入は一人一回。量は自由。説明なし。質問対応なし。
淡々と進む流れの中、混乱はない。誰も文句を言わない。明日も同じ時間に、同じものが出ると分かっているからだ。
エオリアは、その様子を窓越しに眺めながら、ソファで横になっていた。
「……静かですわね」
「はい」
エレナは答える。
「王都からの返事は、どうなさいますか?」
「簡単でいいでしょう」
「文面は?」
エオリアは少し考えてから言った。
「“お誘いはありがたいですが、現在の生活に不満はありません。移動が面倒なので辞退します”」
「……そのまま、ですか?」
「そのままですわ」
取り繕う気はなかった。
誤解されても構わない。怒られても構わない。期待を裏切っても構わない。
「私は、ここが好きですの」
それだけだった。
夕方。
ライルが顔を出した。
「聞きました」
「何を?」
「王都から、戻ってこいって」
「ええ」
「……行かないんですね」
「行きませんわ」
理由を聞かれる前に、エオリアは言った。
「移動が面倒です」
ライルは、少し笑った。
「ですよね」
「それだけですわ」
「それで、いいと思います」
エオリアは、少しだけ目を細めた。
「あなたも、残る?」
「……はい」
「理由は?」
「ここは、涼しくて、美味しいので」
「良い理由ですわ」
その日も、何事もなく終わった。
王都からの要請は、確かにあった。 だが、エオリアの生活には、何一つ影響を与えなかった。
今日も作る。 余る。 売る。 味見する。 眠る。
そして、どこにも行かない。
それが、彼女の選択だった。
その手紙は、朝食後に届いた。
封蝋は王都式。厚手の紙。無駄に整った文字。読む前から内容は、だいたい予想がついた。
エオリア・フロステリアは、涼しいサロンのソファに身を沈めたまま、封を切る。エアコン魔法は今日も完璧に機能しており、外の熱気と湿気は完全に遮断されていた。
「……やはり」
読み終えた彼女は、感想とも言えない一言を落とした。
「王都への帰還要請、ですか?」
紅茶を淹れていたエレナが、視線だけで問いかける。
「ええ。正式な文面ですわ。丁寧で、回りくどくて、無駄に長い」
「内容は?」
「要するに、“こちらに戻っていただきたい”ですわね」
エオリアは、手紙をぱたんと閉じた。
「理由は?」
「理由は、たくさん書いてありましたわ」
「……ですが?」
「どれも、私にとっては重要ではありませんわね」
彼女はそう言って、ソファの背にもたれかかる。
手紙には、こう書かれていた。
王都では、チョコレートと冷菓の流通が安定し、人々の生活に潤いが生まれていること。 それらが“自然発生的に”広がったことへの驚き。 功績の中心に、エオリア・フロステリアの存在があること。 ぜひ一度、王都に戻り、状況説明と今後の協力について話し合ってほしいこと。
丁寧で、誠実で、理性的な文面だった。
「……で?」
エレナが、恐る恐る続きを促す。
「結論ですわ」
エオリアは、あっさりと言った。
「移動が、面倒です」
「……それだけ、ですか?」
「それだけ、ですわ」
屋敷は快適だった。温度も、湿度も、明るさも、音も、すべてが最適に整えられている。冷たいものは冷たく、甘いものは甘く、欲しいときにすぐ手に入る。
王都へ行けばどうなるか。
人が多い。暑い。騒がしい。移動が長い。馬車は揺れる。早起きを強いられる。余計な挨拶を求められる。説明を求められる。感謝される。期待される。
「……面倒以外の何物でもありませんわね」
エオリアは、紅茶を一口飲んだ。
「断る、ということで?」
「ええ」
「角は立ちませんか?」
「立つでしょうね」
「……よろしいのですか?」
「立って困る角なら、最初から立っていたはずですわ」
彼女は淡々としていた。
「私は、頼まれて作ったわけでも、売ったわけでもありませんの。自分が食べたくて作って、余ったから置いただけですわ」
「王都では、その“置いただけ”が……」
「知っています」
エオリアは遮った。
「でも、それは向こうの事情ですわ」
彼女は、机の上に並んだ冷菓を見やる。
白。茶色。混ざったもの。
今日も十分に揃っている。
「ここを離れる理由が、私にはありません」
「ライル様には……?」
「話していません」
「聞かれたら?」
「同じことを言いますわ」
「……移動が面倒?」
「ええ」
それ以上でも、それ以下でもない。
昼過ぎ。
屋敷の門前では、今日の販売が始まっていた。時間は固定。購入は一人一回。量は自由。説明なし。質問対応なし。
淡々と進む流れの中、混乱はない。誰も文句を言わない。明日も同じ時間に、同じものが出ると分かっているからだ。
エオリアは、その様子を窓越しに眺めながら、ソファで横になっていた。
「……静かですわね」
「はい」
エレナは答える。
「王都からの返事は、どうなさいますか?」
「簡単でいいでしょう」
「文面は?」
エオリアは少し考えてから言った。
「“お誘いはありがたいですが、現在の生活に不満はありません。移動が面倒なので辞退します”」
「……そのまま、ですか?」
「そのままですわ」
取り繕う気はなかった。
誤解されても構わない。怒られても構わない。期待を裏切っても構わない。
「私は、ここが好きですの」
それだけだった。
夕方。
ライルが顔を出した。
「聞きました」
「何を?」
「王都から、戻ってこいって」
「ええ」
「……行かないんですね」
「行きませんわ」
理由を聞かれる前に、エオリアは言った。
「移動が面倒です」
ライルは、少し笑った。
「ですよね」
「それだけですわ」
「それで、いいと思います」
エオリアは、少しだけ目を細めた。
「あなたも、残る?」
「……はい」
「理由は?」
「ここは、涼しくて、美味しいので」
「良い理由ですわ」
その日も、何事もなく終わった。
王都からの要請は、確かにあった。 だが、エオリアの生活には、何一つ影響を与えなかった。
今日も作る。 余る。 売る。 味見する。 眠る。
そして、どこにも行かない。
それが、彼女の選択だった。
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