婚約破棄された公爵令嬢は、漆黒の王太子に溺愛されて永遠の光を掴む

第2話: 予感の影

第2話: 予感の影

朝の光がカーテンを透かし、ヴィオレッタの部屋に淡い青を落としていた。彼女はベッドに座ったまま、昨夜の出来事を思い返していた。アルディオンの冷たい言葉が、耳の奥で繰り返される。

「君はただの飾り物だ」

胸が締め付けられるように痛む。鏡台の前に立ち、頰を触れる。腫れた目元が、昨夜の涙の痕を物語っていた。侍女のリリアがノックして入ってきた。

「ヴィオレッタ様……お目覚めですか？」

リリアの声は心配そうだった。ヴィオレッタは無理に微笑み、頷く。

「ええ、少し頭が重いだけよ。リリア、今日は宮廷の予定を全てキャンセルして」

「はい……殿下からの伝言もございます」

ヴィオレッタの心臓が跳ねた。もしかして、昨日の言葉は冗談だった？ そんな淡い期待を抱きながら、リリアが差し出した封筒を受け取る。開くと、アルディオンの筆跡が目に飛び込んできた。

『明日、午後の茶会にて婚約破棄を正式に宣言する。出席を義務づける。アルディオン』

短い文面に、冷徹さが滲み出ていた。ヴィオレッタの手が震え、封筒が床に落ちた。

「ヴィオレッタ様！」

リリアが慌てて駆け寄るが、ヴィオレッタは首を振った。

「大丈夫……ただ、ちょっと驚いただけ」

本当は、心が砕け散りそうだった。公爵家は王家との結びつきを重視している。父はきっと、破棄を許さないだろう。けれど、アルディオンが決めたことなら、父も逆らえないかもしれない。

午前中、ヴィオレッタは自室に閉じこもり、窓から庭園を眺めた。バラの花が風に揺れる姿が、昨日までとは違って見えた。嘲笑っているように。

「セリナ……」

その名前を口に出すだけで、胸がざわつく。セリナは平民出身の少女。神託を受けた「聖女」として、最近宮廷に呼ばれたという。ヴィオレッタはまだ直接会ったことはないが、噂は耳に入っていた。

「彼女は奇跡を起こす」「病気を癒す力がある」「神の声を聞く」

そんな言葉が、宮廷の令嬢たちの間で囁かれていた。ヴィオレッタはそれを、ただの噂だと思っていた。けれど、アルディオンが心を奪われたというなら、何か特別なものがあるのだろう。

昼過ぎ、ヴィオレッタは散歩に出ることにした。気分転換になるはずだった。庭園の小道を歩いていると、遠くから声が聞こえてきた。

「セリナ様、本当に素晴らしいですわ！」

数人の令嬢たちが集まっている中央に、茶色の髪の少女が立っていた。セリナだ。大きな瞳が優しく微笑み、手に持った白い花を差し出す。

「これは、皆さんの心を癒す花です。神様がくださった祝福ですよ」

令嬢たちは歓声を上げ、セリナに近づく。ヴィオレッタは木陰に隠れ、息を潜めた。セリナの笑顔は純粋そうで、どこか無垢だった。けれど、なぜか胸に棘が刺さる。

「アルディオン殿下も、セリナ様の力に感動なさったそうですわ」

「ええ、昨日も一緒に祈りを捧げていたとか……」

令嬢たちの言葉が、ヴィオレッタの耳に突き刺さった。昨日。茶会の後、アルディオンはセリナと一緒にいたのか。

ヴィオレッタはそっとその場を離れた。足が重く、まるで鉛を詰められたようだ。

夕方、父である公爵が部屋を訪ねてきた。厳しい表情で、椅子に腰を下ろす。

「ヴィオレッタ、昨日のことを聞いた」

ヴィオレッタは俯いた。父はため息をつき、続けた。

「アルディオン殿下の決定は、王家のものだ。破棄は避けられない」

「父上……私、何か悪いことをしたのですか？」

「いや、お前は完璧だった。だが、殿下の心が変わった以上、仕方ない。明日、破棄を公表する。公爵家として、面子を保つためにも、穏便に済ませろ」

父の言葉は、冷たく響いた。ヴィオレッタは唇を噛んだ。

「わかりました……父上」

父が去った後、ヴィオレッタは一人で窓辺に立った。外は夕焼けが広がり、宮廷の塔が赤く染まっている。

「私は、ただの飾り物……」

その言葉が、頭の中で反響する。幼い頃から、アルディオンに尽くしてきた。笑顔を絶やさず、どんな時も支えようとした。なのに、すべてが無駄だったのか。

夜、ヴィオレッタはベッドに横たわりながら、幼少期の記憶を辿った。アルディオンと庭で遊んだ日。手を繋いで散歩した思い出。すべてが、温かかったはずなのに、今は冷たく感じる。

ふと、部屋の隅の影が、揺らめいた。まるで、何かが息づいているように。

「ヴィオレッタ……」

小さな囁きが聞こえた気がした。ヴィオレッタは目を凝らす。影が、ゆっくりと伸びてくる。だが、すぐに消えた。

「気のせい……？」

疲れのせいだと思った。目を閉じ、眠りにつこうとする。けれど、心の奥底で、何かが蠢き始めていた。封印された力が、ゆっくりと目覚めようとしていることを、彼女はまだ知らなかった。

翌日の舞踏会が、すべてを変えることを。