働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第3話 何もしないはずが、気づけば相談役

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第3話 何もしないはずが、気づけば相談役


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 セーラは、最近とても不思議な立場に置かれている。

 ――何もしていない。
 ――本当に、何もしていないはずなのに。

 「奥様、少しだけよろしいでしょうか……?」

 そう言って声をかけてきたのは、屋敷の若い執事だった。
 控えめで真面目な性格の彼は、どこか困ったような顔をしている。

 「ええ、どうしましたの?」

 セーラは紅茶を口に運びながら、あくまで“聞くだけ”の姿勢を崩さない。

 ――私は働かない。
 ――だから、答えも出さない。

 それが、彼女の中での鉄則だった。

 「実は……帳簿の整理について、少し悩んでおりまして……」

 その言葉を聞いた瞬間、セーラは内心で「来た」と思った。

 帳簿。
 数字。
 前世の自分が、最も長く向き合わされてきたもの。

 「……それは、大変ですわね」

 あくまで他人事のように返す。

 「はい……。今までは前任の執事が管理していたのですが、引き継ぎが不十分で……」

 彼は、ちらりとセーラの顔色をうかがった。

 まるで、
 “答えを出してほしい”のではなく、
 “話を聞いてほしい”だけのような目。

 「奥様は……こういうもの、お詳しいと伺いまして」

 ――ああ。

 セーラは、内心でため息をついた。

 詳しい。
 確かに詳しい。

 前世では、簿記と珠算を武器に生き延びてきた。
 数字を読めないと、生きていけなかった。

 けれど。

 「私は、何もしない主義ですの」

 きっぱりとそう言った。

 若い執事は、慌てて頭を下げる。

 「も、申し訳ありません! 決して、お仕事をお願いしたわけでは……!」

 「分かっていますわ」

 セーラは、ふっと微笑んだ。

 「ですから――“聞くだけ”なら、構いません」

 それなら、働いてはいない。
 答えも出さない。
 責任も取らない。

 完璧な抜け道だ。

 執事は、ほっとしたように説明を始めた。

 帳簿の構成。
 収支のズレ。
 どこで計算が合わなくなるのか。

 セーラは、黙って聞いていた。

 聞いていただけだ。

 ただ――

 「……それ、二重計上されていますわね」

 ぽろりと、言葉が零れた。

 「え?」

 「いえ、独り言です」

 セーラは慌てて口を押さえた。

 ――しまった。

 執事の目が、驚きに見開かれる。

 「に、二重計上……?」

 彼は慌てて帳簿を見直し、次の瞬間、青ざめた。

 「ほ、本当だ……! ここで同じ支出を二回……!」

 セーラは、内心で頭を抱えた。

 ――違うの。
 ――私は何もするつもりじゃなかったの。

 だが、執事は感激したように言う。

 「奥様、すごいです……! 一目で分かるなんて……!」

 「いえ、本当に、ただの独り言ですから」

 「それでも……!」

 彼は、深く頭を下げた。

 「ありがとうございます。おかげで、大事になる前に気づけました」

 ――ああ、もう。

 セーラは、天を仰ぎたい気分だった。

 働いたつもりはない。
 指示もしていない。
 責任も負っていない。

 なのに――

 「助けられた」と言われてしまった。

 その日の午後。

 今度は、メイド長がやってきた。

 「奥様、少しご相談が……」

 またか。

 セーラは、内心で肩を落としつつ、表情は穏やかに保つ。

 「私は、何もしませんけれど?」

 「承知しております。ただ……話を聞いていただければ」

 その言い回しが、完全に定着しつつあることに気づき、
 セーラは軽く頭痛を覚えた。

 相談内容は、使用人の配置についてだった。

 誰が忙しく、誰が余っているか。
 長時間労働になっている場所。
 無駄に人が集中している場所。

 ――ああ、これは……。

 前世の記憶が、否応なく蘇る。

 「……その配置ですと、あちらが常に過負荷になりますわね」

 また、言ってしまった。

 「やはり……!」

 メイド長は、目を輝かせる。

 「実は、奥様が何も口出しなさらないお姿を拝見していて……」

 「余計な指示を出さず、全体を見ていらっしゃるのだと……」

 ――誤解です。

 ただ面倒くさくて、働きたくないだけです。

 けれど、そんな本音を言えるはずもない。

 セーラは、静かに紅茶を飲み干した。

 「……私は、責任は持ちませんわ」

 「それでも構いません」

 メイド長は、はっきりと言った。

 「奥様が“気づいたこと”を教えてくださるだけで、十分です」

 その言葉に、セーラは小さく息を呑んだ。

 ――責任を負わなくていい。
 ――ただ、気づいたことを言うだけ。

 それは、前世では決して許されなかった立場。

 「……本当に、それでいいのですか?」

 「はい」

 迷いのない返事だった。

 その夜。

 セーラは、ベッドに横になりながら考えていた。

 「私は、働いていない」

 それは事実だ。

 でも――

 「何もしない、というのは……完全に関わらない、という意味じゃないのかもしれないわね」

 気づいてしまうこと。
 見えてしまうこと。

 それを、完全に無視するのは、
 彼女にとって、思っていた以上に難しかった。

 そして。

 翌日から、屋敷ではこう囁かれるようになる。

 ――何もしない奥様。
 ――でも、一番よく“全体を見ている人”。

 セーラ本人だけが、まだ気づいていなかった。

 自分がすでに、
 「相談役」という名の仕事を、
 知らないうちに引き受けてしまっていることを。
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