働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第4話 働いてないのに、評価だけ上がっていくのですが?

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第4話 働いてないのに、評価だけ上がっていくのですが?


---

 セーラは、最近、屋敷内で妙に居心地が悪い。

 理由ははっきりしている。

 ――視線が、増えた。

 廊下を歩けば、使用人たちが一瞬姿勢を正す。
 食堂に入れば、どこか緊張した空気が流れる。
 そして、こちらをちらり、ちらりと見ては、ひそひそと囁き合う。

 (……やめてほしいですわ)

 セーラは内心でうめいた。

 何もしていない。
 本当に、何もしていない。

 帳簿を直した覚えもなければ、命令を出した覚えもない。
 配置を決めたつもりも、改革をしたつもりもない。

 ――ただ、気づいたことを口にしただけ。

 それなのに。

 「奥様」

 背後から声をかけられ、セーラはぴくりと肩を揺らした。

 振り返ると、そこには年配の執事が立っている。
 屋敷に長く仕えてきた、古参中の古参だ。

 「……何か?」

 警戒を隠さずに答える。

 「旦那様がお戻りです。少し、お時間をいただけますでしょうか」

 ――来た。

 セーラの脳内で、警鐘が鳴る。

 評価。
 報告。
 そして――“仕事の依頼”。

 前世で何度も味わった流れだ。

 (断ります。断りますからね、私は)

 心にそう言い聞かせながら、セーラは応接室へ向かった。

 そこには、夫であるリチャードが待っていた。

 端正な顔立ちに、落ち着いた微笑み。
 いかにも“有能な貴族当主”という風格だ。

 「セーラ、来てくれてありがとう」

 「いえ……」

 セーラは、そっと距離を保って椅子に座る。

 (油断すると、働かされる)

 その警戒心は、正しい。

 リチャードは、軽く咳払いをしてから言った。

 「最近、屋敷の空気が変わった」

 ――やっぱり。

 「使用人たちの動きがよくなり、帳簿の混乱も収まっている」

 「正直に言おう。私は何も指示していない」

 セーラは、黙って紅茶を飲んだ。

 ――知りません。
 ――本当に、知りません。

 「それなのに、皆が口を揃えて言うんだ」

 リチャードは、彼女をまっすぐに見つめる。

 「“奥様のおかげです”と」

 セーラは、思わず噴き出しそうになった。

 「誤解ですわ」

 即答だった。

 「私は、何もしておりません」

 「帳簿も、配置も、判断も……すべて使用人の皆さんがなさったことです」

 「私は、話を聞いただけ」

 それは、嘘ではない。

 リチャードは、少し意外そうな顔をした。

 「……本当に?」

 「ええ。本当に」

 セーラは、珍しく強い口調で言った。

 「旦那様、私は“働かない”と決めておりますの」

 「この世界でまで、前世のような生き方をするつもりはありません」

 一瞬、部屋に沈黙が落ちた。

 リチャードは、驚いたように目を瞬かせた後、
 ふっと、柔らかく笑った。

 「……なるほど」

 「だからこそ、か」

 「?」

 セーラは眉をひそめる。

 「君は、結果を出そうとしていない」

 「評価を得ようとも、主導権を握ろうともしていない」

 「だからこそ、周囲が“考え、自分で動く”ようになった」

 セーラは、言葉を失った。

 そんなつもりは、まったくなかった。

 「私は、君に何かを任せるつもりはない」

 リチャードは、はっきりと言った。

 「約束しただろう。君は、自由でいい」

 「……本当、ですか?」

 「本当だ」

 彼は迷いなく頷く。

 「ただ――」

 そこで、少しだけ表情を和らげた。

 「君が“何もしない”ことで、周囲が良くなっているのなら」

 「それは、誰にも否定できない事実だ」

 セーラは、頭を抱えたくなった。

 ――何もしないことが、評価される世界。

 前世では、考えられなかった。

 「……困りますわ」

 ぽつりと漏れた本音に、リチャードはくすりと笑う。

 「困らせるつもりはない」

 「ただ、君にはこのままでいてほしい」

 「何もしないまま、君らしく」

 その言葉に、セーラは少しだけ胸の奥が温かくなった。

 (……この人、本気で言ってますわね)

 その夜。

 セーラは、日記帳を開き、こう書いた。

 ――私は、働いていない。
 ――それは、間違いない。

 ――でも、この世界では。
 ――“何もしない”という立場が、
 ――誰かを楽にすることもあるらしい。

 最後に、少しだけ付け足す。

 ――ただし、評価が勝手に上がるのは、納得いかない。

 そう思いながら、セーラはそっとペンを置いた。

 この時点で彼女は、まだ知らない。

 「何もしない奥様」という存在が、
 屋敷の外にまで、じわじわと広がり始めていることを。

 そしてそれが――
 彼女を、さらに“働かないはずなのに忙しい立場”へと
 引きずり込んでいくことを。
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