働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第5話 何もしない奥様、外部から評価され始める

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第5話 何もしない奥様、外部から評価され始める


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 セーラは、紅茶を淹れながら、静かに現実逃避していた。

 (……おかしいですわ)

 ここ数日、屋敷の空気が変わったどころではない。
 はっきり言って――加速している。

 使用人たちは以前より落ち着き、判断が早くなり、
 なぜか「自分たちで考えて動く」ようになっていた。

 しかも、それを――

 「奥様のお考えを汲みまして」

 「奥様なら、こうなさるかと」

 「奥様のご意向に沿う形で」

 ……全部、彼女の功績にしてくる。

 (私は、何も言ってませんわよ?)

 セーラは、心の中で全力否定した。

 ただ話を聞いただけ。
 ただ「それは大変ですね」と言っただけ。
 ただ「無理はなさらない方が」と言っただけ。

 それなのに、いつの間にか――
 “奥様の方針” が存在することになっている。

 (怖い……前世より怖いですわ……)

 そんなことを考えていると、侍女が控えめに声をかけてきた。

 「奥様、旦那様よりお知らせがございます」

 嫌な予感しかしない。

 「……どのような?」

 「本日、商人ギルドの代表の方が、ご挨拶にいらっしゃいます」

 セーラの手が止まった。

 「……誰に?」

 「奥様に、でございます」

 ――はい?

 「え、なぜ私に?」

 侍女は、少し困ったように微笑んだ。

 「それが……」

 「“屋敷の内情を大きく改善された奥様に、ぜひ一度お話を”と」

 セーラは、静かに紅茶を置いた。

 (私は、何もしていない)

 (本当に、何もしていない)

 (なのに、なぜ外部まで……?)

 応接室には、すでにリチャードがいた。

 そして、その向かいには、身なりの良い中年の商人。

 「セーラ、無理に対応する必要はない」

 リチャードは、事前にそう釘を刺してくれた。

 「ただ、話を聞くだけでいい」

 ――それが一番危険なやつですわ。

 商人は、丁寧に頭を下げた。

 「初めてお目にかかります、奥様」

 「最近、こちらの屋敷が大変円滑に回っていると伺いまして」

 「内部改革をなさったのは、奥様だとか」

 セーラは、即座に首を振った。

 「誤解ですわ」

 「私は、何もしておりません」

 商人は、一瞬きょとんとしたが、すぐに感心したように頷いた。

 「なるほど……」

 「表に立たず、現場に判断を委ねる」

 「それこそ、理想的な運営ですな」

 (違います!!)

 セーラの心の中で、全力のツッコミが炸裂する。

 「屋敷の使用人の離職が止まり」

 「物資の流れが整理され」

 「帳簿の不一致が減った」

 「これを“何もしていない”で済ませられる方は、そうおりません」

 セーラは、こめかみを押さえた。

 「……私は」

 言いかけて、ふと気づく。

 否定すればするほど、
 「余計なことをしない有能さ」 として評価されている。

 (詰んでません?)

 隣で、リチャードが静かに口を開いた。

 「この屋敷の夫人は、指示で人を縛らない」

 「それだけだ」

 商人は、深く頷いた。

 「素晴らしいお考えです」

 セーラは、遠い目になった。

 その日、商人は満足そうに帰っていった。

 「ぜひ今後とも、良い関係を」と言い残して。

 応接室に残されたセーラは、椅子にもたれかかった。

 「……旦那様」

 「なんだい?」

 「私、働いてませんよね?」

 「働いていない」

 即答だった。

 「ですよね?」

 「ああ」

 「なのに……」

 「評価は上がっているな」

 セーラは、がっくりとうなだれた。

 「おかしいですわ……」

 リチャードは、少し楽しそうに微笑んだ。

 「君が動かないから、周囲が動く」

 「君が口を出さないから、皆が責任を持つ」

 「それは、才能だよ」

 「いりません、その才能……」

 夜。

 セーラは日記帳に書いた。

 ――今日、商人ギルドの人が来た。
 ――私は、何もしていない。

 ――それなのに、
 ――“関わらない判断力”が高く評価された。

 ――この世界、
 ――働かないと決めた人間ほど、
 ――逃げ場がないのでは?

 最後に、小さく追記する。

 ――次は、絶対に寝たふりをしよう。

 だが彼女は、まだ知らない。

 次に訪れるのは――
 「助言だけお願いします」という、最悪の依頼 だということを。
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