働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第7話 私は指示してません

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第7話 私は指示してません


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 セーラは、静かにお茶を飲んでいた。

 何もしていない。
 本当に、何もしていない。

 ――少なくとも、本人の認識では。

 「奥様、本日の予定ですが……」

 執事の声に、セーラはゆっくりと顔を上げた。

 「……“予定”?」

 嫌な予感しかしない単語だった。

 「はい。午前中に屋敷会計の進捗報告、午後は商人ギルドより確認の使者、夕刻には……」

 「待ってください」

 セーラは、そっと手を上げた。

 「それ、全部“私の予定”ですの?」

 「はい」

 即答だった。

 (おかしいですわね)

 (私は昨日、“助言だけ”と言いました)

 (指示も、決定も、一切していません)

 「……確認ですが」

 セーラは、慎重に言葉を選ぶ。

 「私は、何かを“命じた”覚えはありません」

 執事は、少し考える素振りを見せてから答えた。

 「確かに、奥様は何一つ命じておられません」

 「でしょう?」

 「ただ」

 間があった。

 「“この視点で整理してみては”と仰いました」

 (言いました)

 「“判断は専門家がすべきです”とも」

 (言いました)

 「“結果の責任は取らない”とも」

 (それも言いました)

 執事は、深く一礼する。

 「そのうえで、皆が“自分で考え、決めた”のです」

 「……それが?」

 「皆、“奥様の考え方に沿って”」

 セーラは、紅茶を吹きそうになった。

 「沿って、って……」

 「奥様は“何をすべきか”ではなく」

 「“どう考えるか”を示されました」

 「ですので」

 執事は、静かに微笑んだ。

 「皆、自分たちの判断に自信を持てるようになったのです」

 (それ、私の功績扱いされてません?)

 セーラは、頭を抱えたい気分だった。

 その頃、別室では。

 「奥様は“何も言わない”」

 「だが、“間違いだけは見抜く”」

 「しかも、責任を奪わない」

 「……あれは、理想の上位者だ」

 そんな危険な評価が、真顔で交わされていた。

 昼過ぎ。

 商人ギルドの使者がやって来た。

 セーラは、ソファから立ち上がることすらせず、応接室に“座っているだけ”だった。

 「奥様、本日はご機嫌いかがでしょうか」

 「ええ、普通ですわ」

 (普通でいたいのです)

 「先日の件ですが」

 使者は、深く頭を下げた。

 「奥様の“お考え方”を参考に、資金循環の再設計を行いました」

 「結果、借り入れ不要となりました」

 セーラは、ゆっくり瞬きをする。

 「……それは、よかったですわね」

 「はい!」

 「で、私は何もしておりませんので」

 「ええ、存じております!」

 即答だった。

 (存じているのに、なぜ報告に来るのです?)

 「ですが」

 使者は、なぜか誇らしげだった。

 「“奥様は、判断しないからこそ信頼できる”と」

 「責任を奪わず、成果だけを横取りもしない」

 「ですから――」

 セーラは、嫌な予感しかしなかった。

 「今後も、“助言だけ”いただければと」

 「お断りします」

 即答だった。

 空気が凍る。

 「私は」

 セーラは、にこやかに微笑んだ。

 「働かないために、ここにいるのです」

 使者は、感動した顔をした。

 (なぜ感動するのです)

 「……なるほど」

 「“自立を促すために、距離を保つ”」

 (違います)

 「さすが奥様……!」

 (違います!!!)

 夕方。

 リチャードが執務を終え、セーラのもとへやって来た。

 「……今日も、何もしていないな?」

 「していません」

 「だが」

 彼は、書類を差し出す。

 「屋敷の運営効率が、明らかに向上している」

 「人も、表情が違う」

 セーラは、ぐったりとソファに沈んだ。

 「……旦那様」

 「私は」

 「“何もしない奥様”でいたいのです」

 リチャードは、少し考え、微笑んだ。

 「なら、今のままでいい」

 「……え?」

 「君は、命じない」

 「管理しない」

 「だが、人が勝手に育つ」

 「それを、“何もしない”と言うなら」

 彼は、はっきりと言った。

 「それは、最も贅沢な立場だ」

 セーラは、天井を見つめた。

 「……私は」

 「指示してません」

 「命じてません」

 「責任も取ってません」

 「なのに……」

 その夜、屋敷の使用人たちは、こんな言葉を交わしていた。

 ――奥様は、働かない。
 ――だが、屋敷はよく回る。
 ――なぜなら、皆が“自分で考える”から。

 セーラは、布団に潜り込み、力なく呟いた。

 「……これ」

 「“働かないつもりが、環境だけ最適化されていく”やつですわ……」

 そして、彼女は目を閉じた。

 明日こそ、本当に、
 何も起きませんように――。

 そう願いながら。
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