働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第8話 あれ?なんで私働いてるの

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第8話 あれ?なんで私働いてるの


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 セーラは、鏡の前で立ち尽くしていた。

 朝だ。
 普通の朝である。

 なのに――。

 「……なぜ私は、仕事用の服を着ているのかしら」

 鏡に映る自分は、完全に“できる貴族夫人”の装いだった。
 動きやすく、だが品があり、なぜか執事から「本日も完璧でございます」と言われる例の服。

 (違いますわよ)

 (今日は“何もしない日”のはずです)

 昨日の夜、確かにそう決意した。

 ――明日は何もしない。
 ――紅茶を飲み、本を読み、昼寝をする。
 ――以上。

 完璧な計画だった。

 それなのに。

 「奥様、本日は商人ギルドから“確認のみ”の訪問がございます」

 「午後には、屋敷会計の“最終確認だけ”」

 「夕方には、使用人代表より“ご意見伺い”が」

 セーラは、静かに執事を見つめた。

 「……それ、全部“確認”ですの?」

 「はい」

 「決定は?」

 「すでに済んでおります」

 (でしょうね)

 セーラは、ゆっくりとソファに座った。

 「私は……」

 「働いていませんわよね?」

 執事は、少しだけ困った顔をした。

 「“労働”という意味では、いいえ」

 (嫌な予感しかしません)

 「ですが」

 「皆、“奥様が見ている”という前提で動いております」

 セーラは、頭を抱えた。

 「見ているだけです!」

 「ええ、ですから」

 執事は穏やかに微笑む。

 「安心して判断できるのです」

 (なぜそうなるのです)

 午前。

 商人ギルドの使者が訪れた。

 セーラは、席に座ったまま、何も言わない。

 ただ、話を聞き、うなずき、首を傾げる。

 「……この支出、少し多いですわね」

 たった一言。

 それだけだった。

 使者は、血相を変えた。

 「ど、どの点が……!」

 「いえ、決定は皆様でなさってください」

 「私は、専門家ではありませんもの」

 (本当ですわ)

 だが。

 その十分後。

 「やはり、こちらを修正します!」

 「奥様の“違和感”は正しかった……!」

 (違和感と言いました?)

 (数字のズレを見ただけです)

 午後。

 屋敷会計の報告。

 セーラは、帳簿を一度見ただけで返した。

 「大丈夫ですわ」

 「本当ですか!?」

 「ええ。問題があるなら、すでに顔に出ていますもの」

 会計係は、泣きそうな顔で深く頭を下げた。

 「……奥様にそう言っていただけると……」

 (私、何かしました?)

 夕方。

 使用人代表がやって来た。

 「奥様のおかげで、現場の雰囲気が変わりました」

 「皆、自分で考えるようになりました」

 「“奥様に恥じない判断をしよう”と」

 セーラは、目を閉じた。

 (それは)

 (私の望んだ未来ではありますが)

 (私が“何もしない”未来ではありません)

 夜。

 リチャードが、セーラの隣に座った。

 「今日は、どうだった?」

 「……旦那様」

 セーラは、力なく微笑んだ。

 「私、働いていないのに」

 「確実に、働いた顔をされています」

 リチャードは、吹き出した。

 「それは」

 「君が“仕事を引き受けない”からだ」

 「……?」

 「君は判断を奪わない」

 「だが、基準を示す」

 「だから、人が勝手に動く」

 セーラは、天井を見つめた。

 「……つまり」

 「私は」

 「“働かないつもりで、影響力だけ最大化している”?」

 リチャードは、楽しそうに頷いた。

 「そういうことだな」

 「最悪ですわ……」

 そう言いながら、セーラは小さく笑った。

 不思議だった。

 疲れているはずなのに、心は軽い。

 誰かに強いられた仕事ではない。
 成果を奪うこともない。
 責任を押し付けられることもない。

 ただ――。

 「……やりたいことをやっているだけ、なのですね」

 リチャードは、静かに答えた。

 「それを、“自由”と言う」

 セーラは、紅茶を一口飲み、ため息をついた。

 「私は」

 「働かない貴族夫人になるはずでしたのに」

 窓の外では、屋敷が静かに、しかし確実に回っている。

 彼女が“何もしない”からこそ。

 セーラは、ぽつりと呟いた。

 「……明日は」

 「本当に、何もしませんからね?」

 誰に向けたとも知れない宣言だったが――
 なぜか、執事は遠くで深く頷いていた。

 (聞いてますわね……)

 セーラは、諦めたように目を閉じた。

 こうして。

 働かないつもりが、いつの間にか“要”になっている日々は、
 まだまだ続いていくのだった。
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