働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第16話「何もしない人ほど、周囲が勝手に成長する」

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第16話「何もしない人ほど、周囲が勝手に成長する」


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 朝。

 セーラは久しぶりに、予定のない朝を迎えていた。

 書類はない。
 来客予定もない。
 相談の申し込みも――ない。

 「……静かですわ」

 紅茶の湯気が、ゆっくりと立ち上る。

 (業務整理室、完璧に機能していますわね)

 昨日までは、目を閉じれば相談が飛んできそうな状況だった。  それが今は、まるで嵐の後の湖のようだ。

 セーラは、満足げにソファへ身を沈めた。

 「今日は本当に……何もしません」

 そう宣言した、その数分後。

 「奥様」

 執事の声。

 セーラは反射的に身構えた。

 (落ち着きなさい。これは“報告”です。きっと)

 「どうしましたの?」

 「業務整理室からの定期報告です」

 (よし、セーフ)


---

 報告内容は、想像以上に興味深いものだった。

 ・商人ギルドで、若手主導の勉強会が始まった
 ・簿記を教わった商人が、他の商会を指導している
 ・財務管理部が、自主的に運用改善案を提出

 セーラは、ゆっくり瞬きをした。

 「……私、何も言っていませんよね?」

 「はい。奥様からの新たなご指示は、ございません」

 「……そう」

 セーラは、ふっと息を吐いた。

 (動いていますわね。私が動かなくても)


---

 昼前。

 リチャードが書斎から顔を出した。

 「静かだな」

 「ええ。異様なほどに」

 「不安か?」

 「いいえ。むしろ……」

 セーラは、少し考えてから答えた。

 「正しい状態ですわ」

 リチャードは、眉を上げる。

 「正しい?」

 「ええ。“私がいなくても回る”という意味で」

 その言葉に、リチャードは小さく笑った。

 「普通は、逆を目指す」

 「そうでしょうね」

 セーラは、肩をすくめる。

 「でも、私は前世で学びましたの」

 「“一人で回る組織”は、必ず壊れます」

 「だから私は――」

 「“私がいなくても回る仕組み”を作っただけですわ」


---

 午後。

 業務整理室から、一件だけ「本人判断が必要」と分類された案件が届いた。

 セーラは、少しだけ迷ってから目を通す。

 内容は、商人ギルド内の人事案だった。

 ある若手商人を、正式に財務管理部の責任者に据えたい、というもの。

 セーラは、書類を読み終え、静かに言った。

 「……いい案ですわ」

 「ですが」

 書類の端に、短く書き加える。

 『条件:本人が“自分の判断で責任を負う覚悟があること”』

 それだけ。

 命令ではない。  承認でもない。

 ただの“条件提示”。

 (これでいい)


---

 夕方。

 屋敷の庭を歩きながら、セーラはふと立ち止まった。

 「……不思議ですわ」

 「何がだ?」

 隣を歩くリチャードが尋ねる。

 「私、何もしないことに、少しずつ慣れてきています」

 「それは良いことだ」

 「ええ。でも――」

 セーラは、少しだけ微笑んだ。

 「周りが勝手に成長していくのを見るのは、思った以上に楽しいですわね」

 リチャードは、その言葉に深く頷いた。

 「それが、本当の意味での“導く者”だ」

 「導いてません」

 「いや、導いている」

 「背中で、だ」


---

 夜。

 セーラは、今日一日を振り返っていた。

 ・決断は、ほとんどしていない
 ・指示も、ほぼ出していない
 ・それでも、世界は前に進んでいる

 (……理想的ですわ)

 何もしない。  でも、何も放棄していない。

 手を出さない。  でも、目は離さない。

 「これが、私の“働かない生き方”なのかもしれませんわね」

 そう呟き、ベッドに身を横たえる。

 セーラは、知らなかった。

 彼女が“何もしない”ことで育った人々が、
 やがて――

 彼女を守る側に回ることを。

 だが今は、ただ静かに目を閉じる。

 「明日も……何もしません」

 その言葉は、もう冗談ではなかった。

 ――そして世界は、また一つ、安定して回り続ける。
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