働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

文字の大きさ
18 / 41

第18話「あれ? 私、もう“象徴”扱いですの?」

しおりを挟む
第18話「あれ? 私、もう“象徴”扱いですの?」


---

 朝の屋敷は、相変わらず穏やかだった。

 セーラはテラスで紅茶を飲みながら、ぼんやりと庭を眺めている。  今日も特に予定はない。完璧だ。

 ――はずだった。

 「奥様」

 執事の声が、やけに改まっている。

 「本日は、来客が少々多くなる見込みでして」

 セーラはカップを置いた。

 「……少々?」

 「はい。“少々”です」

 その言い方が、もう信用ならない。


---

 午前中。

 応接室には、見慣れぬ顔ぶれが並んでいた。

 商人、地方領主の代理、職人組合の代表、そして――なぜか学者。

 (……なぜ学者まで?)

 全員が、セーラを見るなり、深々と頭を下げる。

 「お忙しいところ、ありがとうございます」  「本日はご機嫌麗しく」  「ぜひ一言、お考えを――」

 セーラは、内心で悲鳴を上げていた。

 (私、何もしてません! 本当に何も!!)


---

 最初の相談は、商業都市間の取引ルールについてだった。

 「我々は、どの基準を“正しい”と考えるべきでしょうか」

 セーラは、少し考えてから答えた。

 「……私に聞く必要はありませんわ」

 一同が固まる。

 「基準を作るのは、現場です。
 私が答えを出した瞬間、それは“考えなくていい問題”になります」

 「ですが……」

 「それでも、皆様が迷うなら」

 セーラは、穏やかに続けた。

 「“一番困る人”の立場に立ってくださいな」

 それだけ言って、黙った。

 沈黙が流れ、やがて誰かが頷いた。

 「……なるほど」

 「その視点は、確かに」

 相談は、勝手に解決へ向かっていった。

 (……ほら。私、何もしてませんわよね?)


---

 次は、学者だった。

 「セーラ様は、なぜ“指導”ではなく“環境整備”を重視されたのですか?」

 セーラは、少し困った。

 「……難しい質問ですわね」

 正直に言おう。

 「私、面倒くさいのが嫌だっただけです」

 一同が、息を呑む。

 「全部自分で考えるのは、疲れますでしょう?」

 「だから、皆が勝手に考える状況を作っただけですわ」

 学者は、震える声で呟いた。

 「……それを、理論としてまとめたい」

 「やめてくださいませ」

 即答だった。


---

 昼過ぎ。

 来客が引いたあと、セーラはぐったりと椅子に沈んだ。

 「……なぜですの」

 隣に座るリチャードが、肩をすくめる。

 「人はな、形のないものを“象徴”にしたがる」

 「私は、楽をしたいだけですのよ?」

 「だからこそ、だ」

 彼は笑った。

 「“何もしない権威”ほど、恐ろしく安定するものはない」

 セーラは、嫌な予感しかしなかった。


---

 午後、使用人の一人が、そっと声をかけてきた。

 「奥様……最近、皆が言っているのですが」

 「何ですの?」

 「“セーラ様なら、どう考えるか”ではなく、
 “セーラ様なら、何も言わないだろう”と考えるようになっています」

 セーラは、目を見開いた。

 「……それ、褒めてます?」

 「最大級に」

 (やめて……本当に……)


---

 夕暮れ。

 庭で一人、風に当たりながら、セーラは空を見上げた。

 前世では、働かなければ価値がないと思っていた。  何かを成し遂げなければ、存在を認められなかった。

 (でも、今は……)

 何もしないことで、周囲が考え、動き、責任を持つ。

 自分はただ、そこにいるだけ。

 「……これが、理想?」

 誰に聞くでもなく、呟く。


---

 夜。

 リチャードが、そっと彼女の手を取った。

 「君はもう、“人”ではなく“空気”だな」

 「ひどくありません?」

 「最高の褒め言葉だ」

 セーラは、苦笑した。

 「私、どこまで行ってしまうのでしょう」

 「どこにも行かない」

 彼は静かに言った。

 「君は、ここにいるだけでいい」

 セーラは、目を閉じた。

 働かない。  指示しない。  前に出ない。

 それでも――世界は、今日も勝手に整っていく。

 「あれ? 私……もう引退していいのでは?」

 その呟きは、誰にも聞かれなかったが。

 翌日もまた、屋敷には人が集まるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

7歳の侯爵夫人

凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。 自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。 どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。 目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。 王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー? 見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。 23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

分厚いメガネを外した令嬢は美人?

しゃーりん
恋愛
極度の近視で分厚いメガネをかけている子爵令嬢のミーシャは家族から嫌われている。 学園にも行かせてもらえず、居場所がないミーシャは教会と孤児院に通うようになる。 そこで知り合ったおじいさんと仲良くなって、話をするのが楽しみになっていた。 しかし、おじいさんが急に来なくなって心配していたところにミーシャの縁談話がきた。 会えないまま嫁いだ先にいたのは病に倒れたおじいさんで…介護要員としての縁談だった? この結婚をきっかけに、将来やりたいことを考え始める。 一人で寂しかったミーシャに、いつの間にか大切な人ができていくお話です。

側妃の愛

まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。 王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。 力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。 Copyright©︎2025-まるねこ

正当な権利ですので。

しゃーりん
恋愛
歳の差43歳。  18歳の伯爵令嬢セレーネは老公爵オズワルドと結婚した。 2年半後、オズワルドは亡くなり、セレーネとセレーネが産んだ子供が爵位も財産も全て手に入れた。 遠い親戚は反発するが、セレーネは妻であっただけではなく公爵家の籍にも入っていたため正当な権利があった。 再婚したセレーネは穏やかな幸せを手に入れていたが、10年後に子供の出生とオズワルドとの本当の関係が噂になるというお話です。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ

さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。 絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。 荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。 優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。 華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。

処理中です...