働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾

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第26話「何も決めない人の名前が、勝手に残っていく」

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第26話「何も決めない人の名前が、勝手に残っていく」


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 最近、セーラは妙な違和感を覚えていた。

 屋敷で紅茶を飲みながら、ぼんやりと庭を眺めているだけなのに――  使用人たちの視線が、以前よりもどこか慎重なのだ。

 (……気のせいかしら?)

 そう思っていたのだが、気のせいではなかった。


---

 「奥様」

 メイド長が、少しだけ緊張した面持ちで声をかけてきた。

 「何かしら?」

 「商人ギルドより、“奥様の名前の扱い”について確認が来ております」

 「……名前?」

 嫌な予感がした。


---

 応接室に通されると、そこには見慣れた顔ぶれ――  商人ギルド幹部たちが、やけに姿勢を正して並んでいた。

 「奥様、お時間をいただきありがとうございます」

 「いえ、座っていただけですわ」

 (今日も何もしてません)


---

 代表のガルバンが、咳払いを一つして切り出した。

 「現在、各地で新たに設立されている財務部門や取引規定ですが……」

 「はい?」

 「その際、“セーラ方式”という呼称が、自然発生的に使われておりまして」

 セーラは、完全に固まった。

 「……何ですって?」


---

 「帳簿管理の考え方」  「責任分担の在り方」  「決裁を現場に任せる構造」

 それら一式を指して、商人たちがこう呼んでいるという。

 ――セーラ方式。

 (やめてぇ!?)


---

 「誤解ですわ!」

 セーラは、即座に立ち上がった。

 「私は何もしていません!」

 「決めてもいません!」

 「指示も出していませんし、理論化もしていません!」

 「ただ……放っておいただけです!」


---

 だが、商人たちは一斉に頷いた。

 「そこです」  「そこが、奥様なのです」  「“放っておく勇気”を持てる人は、ほとんどいません」

 (だからやめてくださいってば!)


---

 ガルバンが、穏やかに続ける。

 「奥様が決めないからこそ、我々は考えました」  「奥様が責任を取らないからこそ、我々は逃げられませんでした」

 「結果として、仕組みが残ったのです」

 「名前だけが」


---

 セーラは、頭を抱えた。

 「私の知らないところで、私の名前が増殖していますわ……」


---

 夜。

 リチャードは、書斎でその話を聞いて、少しだけ笑った。

 「君は、痕跡を残さないつもりで生きている」

 「そのはずですわ」

 「だが、人は“空白”に名前をつけたがる」

 「……やめてほしいです」


---

 セーラは、ベッドに倒れ込んだ。

 「私、何もしたくないだけなのに……」

 「それが伝わっている」

 「伝わらなくていいです!」

 リチャードは、静かに続けた。

 「君は“導かない導き手”だ」

 「言葉が物騒ですわ!」


---

 翌日。

 地方都市からの報告書には、こう記されていた。

 『当地区は、セーラ方式を基礎とし――』

 セーラは、そっと書類を閉じた。

 「……消しません」

 「なぜ?」

 「ここで消したら、私が“関わった”ことになりますもの」

 リチャードは、満足そうに頷いた。


---

 こうして。

 何も決めない奥様の名前は、
 本人の意図とは無関係に、
 静かに、確実に、
 世界に残り始めていた。

 働かず、
 主張せず、
 前に出ず。

 それでも――
 消えない名前というものは、
 存在してしまうらしい。

 当の本人が、
 いちばん困っているだけで。
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