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第11話 呼び戻しの使者
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第11話 呼び戻しの使者
クレイン公爵邸に、見慣れない紋章を掲げた馬車が到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。
中庭に止まったその馬車は、装飾こそ控えめだが、王家直属の使者であることを隠してはいない。
周囲の空気が、わずかに張り詰めるのを、アデリーナ・フォン・グラーフは回廊の陰から感じ取っていた。
来た。
そう直感した。
ここ最近、王都からの書簡は増えていた。内容はすべて曖昧で、遠回しで、肝心なことを言わないものばかり。
だが、人を寄越したということは、状況が一段階進んだということだ。
「公爵がお呼びです」
執務棟から出てきた側近が、短く告げる。
「……承知しました」
アデリーナは頷き、足を運ばせた。
執務室には、すでにバルトロメウス・フォン・クレイン公爵が座していた。
その向かいには、王家の紋章を胸に付けた男が一人。年の頃は四十代半ば、身なりは整っているが、どこか落ち着きがない。
「失礼いたします」
アデリーナが入室すると、使者の視線が一瞬だけ彼女に向けられた。
値踏みするような、探るような目。
「こちらは、王宮より参りました、使節官のラウレンツと申します」
形式的な挨拶の後、男はわずかに背筋を伸ばした。
「本日は、クレイン公爵閣下、ならびに……アデリーナ・フォン・グラーフ嬢に、お話があって参りました」
名を呼ばれた瞬間、空気が変わる。
ついに、王都は彼女の存在を特定したのだ。
だが、アデリーナの表情は変わらなかった。
「用件を」
答えたのは、公爵だった。
ラウレンツは一度咳払いをし、慎重に言葉を選ぶ。
「王都では現在、行政および補給体制の見直しが急務となっております。
そこで、かつてその分野に携わっていた方の助言を、改めて賜りたいとの意向がありまして」
かつて。
その言葉が、妙に耳に残る。
「具体的には」
バルトロメウスが促す。
「アデリーナ嬢に、王都へ戻っていただき、王宮の補佐官として再任したいと」
室内が、静まり返った。
使者は続ける。
「もちろん、過去の件につきましては……行き違いがあったと理解しております。
王太子殿下も、今となっては、少々……判断を誤ったと」
その言い方に、アデリーナは内心で息を吐いた。
行き違い。
判断を誤った。
あれほど公然と切り捨てておいて、今さら使う言葉がそれなのか。
「待遇も、以前より改善されます。
権限も明確にし、発言権も保証されるとのことです」
ラウレンツの声には、必死さが滲んでいた。
だが、その必死さは、反省から来るものではない。
切迫した状況に追い込まれている者の、それだった。
バルトロメウスは、アデリーナを見た。
答えを強制する視線ではない。
ただ、判断を委ねる視線。
アデリーナは、ゆっくりと一歩前に出た。
「質問を一つ、よろしいでしょうか」
「え、ええ。もちろん」
「王都は、今、何に困っているのですか」
使者は一瞬、言葉に詰まった。
「それは……補給の遅延、文書処理の滞り、各所での混乱が……」
「原因は」
重ねて問う。
「……人手不足、連携不足、経験不足……」
どれも、表面的な答えだった。
アデリーナは、静かに頷いた。
「では、私が戻れば、それらは解決しますか」
「それは……」
使者は言葉を探す。
「努力は……」
「王都は、仕組みを変えるつもりがありますか」
さらに踏み込む。
「属人的な対応ではなく、誰が担当しても回る体制を作る覚悟は」
ラウレンツは、沈黙した。
その沈黙が、答えだった。
アデリーナは、少しだけ視線を落とし、そして顔を上げる。
「申し訳ありません」
声は、驚くほど穏やかだった。
「そのお話は、お受けできません」
使者の目が、大きく見開かれる。
「なぜ……!?
条件は、以前よりも……」
「条件の問題ではありません」
アデリーナは、はっきりと言った。
「王都は、私を必要としているのではない。
私の代わりが務まらない状況を、どうにかしたいだけです」
そして、静かに続ける。
「ここでは、私は“便利な補佐”ではありません。
役割と責任を持った一人の人間として、判断を任されています」
その言葉に、バルトロメウスは何も言わなかった。
だが、その沈黙が、全面的な支持であることは明らかだった。
使者は、顔色を変えながらも、なお食い下がろうとする。
「ですが……このままでは、王都が……」
「それは、王都の問題です」
アデリーナは、きっぱりと告げた。
「私が去った後に起きた混乱は、私が原因ではありません。
見ようとしなかった結果です」
それ以上、言うことはなかった。
沈黙の中、ラウレンツは深く頭を下げた。
「……ご意向は、承りました」
それだけ言い残し、使者は部屋を後にした。
扉が閉まった後、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、バルトロメウスが短く言う。
「後悔は」
「ありません」
即答だった。
「……よし」
それだけで、話は終わった。
夕刻、アデリーナは回廊を歩きながら、遠ざかる馬車を見送った。
王都からの呼び戻し。
それは、過去に区切りをつけるための、最後の確認だったのだと、今なら分かる。
もう、戻る必要はない。
彼女は、すでに別の場所で、別の歯車として回っている。
その回転は、これからさらに加速する。
王都が、それに気づく頃には、
もう、手を伸ばしても届かない場所へと。
クレイン公爵邸に、見慣れない紋章を掲げた馬車が到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。
中庭に止まったその馬車は、装飾こそ控えめだが、王家直属の使者であることを隠してはいない。
周囲の空気が、わずかに張り詰めるのを、アデリーナ・フォン・グラーフは回廊の陰から感じ取っていた。
来た。
そう直感した。
ここ最近、王都からの書簡は増えていた。内容はすべて曖昧で、遠回しで、肝心なことを言わないものばかり。
だが、人を寄越したということは、状況が一段階進んだということだ。
「公爵がお呼びです」
執務棟から出てきた側近が、短く告げる。
「……承知しました」
アデリーナは頷き、足を運ばせた。
執務室には、すでにバルトロメウス・フォン・クレイン公爵が座していた。
その向かいには、王家の紋章を胸に付けた男が一人。年の頃は四十代半ば、身なりは整っているが、どこか落ち着きがない。
「失礼いたします」
アデリーナが入室すると、使者の視線が一瞬だけ彼女に向けられた。
値踏みするような、探るような目。
「こちらは、王宮より参りました、使節官のラウレンツと申します」
形式的な挨拶の後、男はわずかに背筋を伸ばした。
「本日は、クレイン公爵閣下、ならびに……アデリーナ・フォン・グラーフ嬢に、お話があって参りました」
名を呼ばれた瞬間、空気が変わる。
ついに、王都は彼女の存在を特定したのだ。
だが、アデリーナの表情は変わらなかった。
「用件を」
答えたのは、公爵だった。
ラウレンツは一度咳払いをし、慎重に言葉を選ぶ。
「王都では現在、行政および補給体制の見直しが急務となっております。
そこで、かつてその分野に携わっていた方の助言を、改めて賜りたいとの意向がありまして」
かつて。
その言葉が、妙に耳に残る。
「具体的には」
バルトロメウスが促す。
「アデリーナ嬢に、王都へ戻っていただき、王宮の補佐官として再任したいと」
室内が、静まり返った。
使者は続ける。
「もちろん、過去の件につきましては……行き違いがあったと理解しております。
王太子殿下も、今となっては、少々……判断を誤ったと」
その言い方に、アデリーナは内心で息を吐いた。
行き違い。
判断を誤った。
あれほど公然と切り捨てておいて、今さら使う言葉がそれなのか。
「待遇も、以前より改善されます。
権限も明確にし、発言権も保証されるとのことです」
ラウレンツの声には、必死さが滲んでいた。
だが、その必死さは、反省から来るものではない。
切迫した状況に追い込まれている者の、それだった。
バルトロメウスは、アデリーナを見た。
答えを強制する視線ではない。
ただ、判断を委ねる視線。
アデリーナは、ゆっくりと一歩前に出た。
「質問を一つ、よろしいでしょうか」
「え、ええ。もちろん」
「王都は、今、何に困っているのですか」
使者は一瞬、言葉に詰まった。
「それは……補給の遅延、文書処理の滞り、各所での混乱が……」
「原因は」
重ねて問う。
「……人手不足、連携不足、経験不足……」
どれも、表面的な答えだった。
アデリーナは、静かに頷いた。
「では、私が戻れば、それらは解決しますか」
「それは……」
使者は言葉を探す。
「努力は……」
「王都は、仕組みを変えるつもりがありますか」
さらに踏み込む。
「属人的な対応ではなく、誰が担当しても回る体制を作る覚悟は」
ラウレンツは、沈黙した。
その沈黙が、答えだった。
アデリーナは、少しだけ視線を落とし、そして顔を上げる。
「申し訳ありません」
声は、驚くほど穏やかだった。
「そのお話は、お受けできません」
使者の目が、大きく見開かれる。
「なぜ……!?
条件は、以前よりも……」
「条件の問題ではありません」
アデリーナは、はっきりと言った。
「王都は、私を必要としているのではない。
私の代わりが務まらない状況を、どうにかしたいだけです」
そして、静かに続ける。
「ここでは、私は“便利な補佐”ではありません。
役割と責任を持った一人の人間として、判断を任されています」
その言葉に、バルトロメウスは何も言わなかった。
だが、その沈黙が、全面的な支持であることは明らかだった。
使者は、顔色を変えながらも、なお食い下がろうとする。
「ですが……このままでは、王都が……」
「それは、王都の問題です」
アデリーナは、きっぱりと告げた。
「私が去った後に起きた混乱は、私が原因ではありません。
見ようとしなかった結果です」
それ以上、言うことはなかった。
沈黙の中、ラウレンツは深く頭を下げた。
「……ご意向は、承りました」
それだけ言い残し、使者は部屋を後にした。
扉が閉まった後、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、バルトロメウスが短く言う。
「後悔は」
「ありません」
即答だった。
「……よし」
それだけで、話は終わった。
夕刻、アデリーナは回廊を歩きながら、遠ざかる馬車を見送った。
王都からの呼び戻し。
それは、過去に区切りをつけるための、最後の確認だったのだと、今なら分かる。
もう、戻る必要はない。
彼女は、すでに別の場所で、別の歯車として回っている。
その回転は、これからさらに加速する。
王都が、それに気づく頃には、
もう、手を伸ばしても届かない場所へと。
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