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第21話 戻らない歯車
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第21話 戻らない歯車
王都からの定期報告は、もはや特別な出来事ではなくなっていた。
連絡室に運び込まれる書類は、整った形式でまとめられ、余白には次の対応案が簡潔に添えられている。
誰かの感情や言い訳はなく、数字と事実、そして判断の理由だけが並ぶ。
アデリーナ・フォン・グラーフは、いつものように一枚目を読み終え、次へ手を伸ばした。
「……完全に、定着しつつありますね」
側近の一人が、感慨深げに呟く。
「はい」
アデリーナは、短く答えた。
「今の段階で揺り戻しが起きていない、ということは……
仕組みが、個人よりも優先され始めている」
それは、最も時間がかかる変化だった。
制度を作ることよりも、
人の意識を変えることの方が、はるかに難しい。
だが、王都では確かに、それが起き始めていた。
昼前、王宮から一通の追加報告が届く。
内容は、内部会議についてだった。
「一部の貴族が、現場判断を快く思っていません」
文官が淡々と読み上げる。
「“秩序が乱れる”“下の者に権限を与えすぎだ”と」
アデリーナは、ペンを置いた。
「想定内です」
「対応は」
「放置で構いません」
迷いのない答えだった。
「秩序が乱れているかどうかは、結果が示します。
今は、反対意見が出る余地があるうちが健全です」
全員が賛成する組織は、危うい。
異論が出ることで、基準が磨かれる。
その日の午後、もう一つの報告が届いた。
王太子ローデリヒが、現場の視察を希望している、という。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「……来ますか」
側近が、慎重に問う。
「来るでしょう」
アデリーナは、落ち着いた声で答えた。
「自分の目で確かめない限り、納得できない」
それは、彼女がよく知っている性格だった。
だが、同時に分かっていた。
「視察しても、元には戻りません」
「なぜですか」
「彼が見たいのは、“自分が必要な状況”です。
ですが、今の現場は……」
アデリーナは、少しだけ言葉を切った。
「彼がいなくても、回っている」
それこそが、最も受け入れ難い現実だ。
夕刻、執務棟を出ると、風が冷たくなっているのを感じた。
季節は、確実に移ろっている。
中庭では、兵士たちが交代の準備をしていた。
その一人が、自然な仕草でアデリーナに報告する。
「王都向けの第二陣、明朝出発予定です」
「問題は」
「ありません。
引き継ぎも、順調です」
それだけで、会話は終わる。
誰も、彼女の判断を疑わない。
それは、信頼というより、前提になっていた。
夜。
部屋に戻ったアデリーナは、灯りを落とさず、机に向かった。
今日届いた報告書を、もう一度だけ見返す。
王都の歯車は、確かに噛み合っている。
だが、一度噛み合った歯車は、逆回転させる方が難しい。
それを、王宮はまだ理解しきれていない。
「……戻らない、ですね」
小さく呟く。
以前なら、その言葉には寂しさが混じっていたかもしれない。
だが今は、ただの事実として受け止めている。
人は、慣れる。
便利な仕組みにも、正しい判断にも。
一度慣れてしまえば、
不合理なやり方には、耐えられなくなる。
それは、救済の不可逆性だった。
王太子が何を言おうと、
誰かが権限を取り戻そうと、
現場はもう、前に進むことを知ってしまった。
アデリーナは、椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
遠くに見える王都の方角には、淡い光が滲んでいる。
そこでは今も、議論と葛藤が続いているのだろう。
だが、歯車はもう戻らない。
主役がいなくても回る舞台は、
一度完成してしまえば、誰にも壊せない。
アデリーナは、静かに息を吐いた。
この物語は、もう彼女一人のものではない。
それが、何よりの到達点だった。
王都からの定期報告は、もはや特別な出来事ではなくなっていた。
連絡室に運び込まれる書類は、整った形式でまとめられ、余白には次の対応案が簡潔に添えられている。
誰かの感情や言い訳はなく、数字と事実、そして判断の理由だけが並ぶ。
アデリーナ・フォン・グラーフは、いつものように一枚目を読み終え、次へ手を伸ばした。
「……完全に、定着しつつありますね」
側近の一人が、感慨深げに呟く。
「はい」
アデリーナは、短く答えた。
「今の段階で揺り戻しが起きていない、ということは……
仕組みが、個人よりも優先され始めている」
それは、最も時間がかかる変化だった。
制度を作ることよりも、
人の意識を変えることの方が、はるかに難しい。
だが、王都では確かに、それが起き始めていた。
昼前、王宮から一通の追加報告が届く。
内容は、内部会議についてだった。
「一部の貴族が、現場判断を快く思っていません」
文官が淡々と読み上げる。
「“秩序が乱れる”“下の者に権限を与えすぎだ”と」
アデリーナは、ペンを置いた。
「想定内です」
「対応は」
「放置で構いません」
迷いのない答えだった。
「秩序が乱れているかどうかは、結果が示します。
今は、反対意見が出る余地があるうちが健全です」
全員が賛成する組織は、危うい。
異論が出ることで、基準が磨かれる。
その日の午後、もう一つの報告が届いた。
王太子ローデリヒが、現場の視察を希望している、という。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「……来ますか」
側近が、慎重に問う。
「来るでしょう」
アデリーナは、落ち着いた声で答えた。
「自分の目で確かめない限り、納得できない」
それは、彼女がよく知っている性格だった。
だが、同時に分かっていた。
「視察しても、元には戻りません」
「なぜですか」
「彼が見たいのは、“自分が必要な状況”です。
ですが、今の現場は……」
アデリーナは、少しだけ言葉を切った。
「彼がいなくても、回っている」
それこそが、最も受け入れ難い現実だ。
夕刻、執務棟を出ると、風が冷たくなっているのを感じた。
季節は、確実に移ろっている。
中庭では、兵士たちが交代の準備をしていた。
その一人が、自然な仕草でアデリーナに報告する。
「王都向けの第二陣、明朝出発予定です」
「問題は」
「ありません。
引き継ぎも、順調です」
それだけで、会話は終わる。
誰も、彼女の判断を疑わない。
それは、信頼というより、前提になっていた。
夜。
部屋に戻ったアデリーナは、灯りを落とさず、机に向かった。
今日届いた報告書を、もう一度だけ見返す。
王都の歯車は、確かに噛み合っている。
だが、一度噛み合った歯車は、逆回転させる方が難しい。
それを、王宮はまだ理解しきれていない。
「……戻らない、ですね」
小さく呟く。
以前なら、その言葉には寂しさが混じっていたかもしれない。
だが今は、ただの事実として受け止めている。
人は、慣れる。
便利な仕組みにも、正しい判断にも。
一度慣れてしまえば、
不合理なやり方には、耐えられなくなる。
それは、救済の不可逆性だった。
王太子が何を言おうと、
誰かが権限を取り戻そうと、
現場はもう、前に進むことを知ってしまった。
アデリーナは、椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
遠くに見える王都の方角には、淡い光が滲んでいる。
そこでは今も、議論と葛藤が続いているのだろう。
だが、歯車はもう戻らない。
主役がいなくても回る舞台は、
一度完成してしまえば、誰にも壊せない。
アデリーナは、静かに息を吐いた。
この物語は、もう彼女一人のものではない。
それが、何よりの到達点だった。
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