婚約破棄された有能令嬢ですが、もう誰の役にも立ちません 〜静かな引退と、無口公爵の見守り溺愛〜にも立ちません

鷹 綾

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第22話 視察という名の試練

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第22話 視察という名の試練

 王都から正式な通知が届いたのは、朝の執務が一段落した頃だった。

 文面は丁寧で、言葉遣いも慎重だ。
 だが、その核心は一行に集約されている。

 ――王太子ローデリヒ、現場視察のため来訪予定。

 アデリーナ・フォン・グラーフは、その一文を読み、静かに紙を置いた。

「……来ましたね」

 側近の一人が、わずかに緊張を滲ませた声で言う。

「予定より、早い」

「ええ」

 アデリーナは、淡々と頷いた。

「迷っている時間が、もうないのでしょう」

 王都の歯車は回り始めている。
 それを止めたい者がいるなら、動くしかない。

 バルトロメウス・フォン・クレイン公爵は、書簡を一瞥し、短く言った。

「受け入れる」

 即断だった。

「隠す理由はない。
 むしろ、見せるべきだ」

「はい」

 アデリーナは、同意した。

「見たいのなら、見せましょう。
 今の現場を、そのまま」

 準備は、最小限だった。

 飾り立てることも、特別な演出もない。
 いつも通りの巡回、いつも通りの配分、いつも通りの判断。

 それこそが、最大の試練になる。

 視察当日。

 王太子一行は、昼前に到着した。
 護衛の数は多いが、雰囲気は以前よりも硬い。

 ローデリヒ王太子は、馬車から降りると、周囲を見渡した。

 混乱はない。
 怒号も、慌ただしい走りもない。

 彼が想像していた“非常時の現場”とは、あまりにも違っていた。

「……思ったより、静かだな」

 漏れた言葉は、本音だった。

 案内役の管理官が、淡々と答える。

「基準に従って動いていますので」

「基準、か」

 ローデリヒは、眉を寄せる。

 視察は、補給倉庫から始まった。

 配分表、在庫管理、受領確認。
 一つひとつが明文化され、誰が見ても分かる形になっている。

「誰の許可で、この配分を?」

 王太子が問う。

「現場責任者です」

 即答だった。

「判断基準は、こちらに明記されています」

 差し出された書類に、ローデリヒは目を落とす。

 そこに、彼の名前はない。
 王宮の印もない。

「……勝手に決めているように見えるが」

 管理官は、首を横に振った。

「勝手ではありません。
 基準に従っています」

 その言葉に、ローデリヒは何も返せなかった。

 次に訪れたのは、南部の配給拠点だった。

 住民たちは、列を作り、静かに順番を待っている。
 不満はある。だが、暴発はない。

「前より、早くなりました」

 年配の男が、ぽつりと言った。

「理由は分からんが……
 待てば、必ず届く」

 その一言が、何よりの証明だった。

 ローデリヒは、言葉を失っていた。

 彼が想定していたのは、
 誰かが叱責され、誰かが助けを求め、
 自分が介入して事態を収める姿だった。

 だが、ここでは、
 彼が何もしなくても、事態は進んでいる。

 視察の終盤、執務棟で簡単な説明が行われた。

「全体像は、こちらです」

 説明役に立ったのは、アデリーナではない。
 派遣された管理官の一人だった。

 仕組み、基準、判断の流れ。
 それを、淡々と説明していく。

 ローデリヒは、耐えきれずに口を挟んだ。

「待て。
 この体制を作ったのは、誰だ」

 室内が、わずかに静まる。

 管理官は、少しだけ考え、答えた。

「複数名です」

「……誰が中心だ」

「中心は、仕組みです」

 その返答に、ローデリヒは絶句した。

 アデリーナは、少し離れた位置で、その様子を見ていた。

 声を上げる必要はない。
 説明する必要もない。

 現場が、すでに答えている。

 視察が終わり、王太子一行が去る頃、
 ローデリヒは一度だけ、アデリーナを振り返った。

 何か言いたげだった。
 だが、言葉は出てこなかった。

 夜。

 執務棟に戻ったアデリーナは、静かに息を吐いた。

「……試練、でしたね」

 側近が言う。

「はい」

 彼女は、短く答えた。

「彼にとっての」

 視察という名の試練。

 それは、
 自分が主役でなくても、物事が進む現実を、
 直視させるための時間だった。

 アデリーナは、窓の外を見た。

 歯車は、今日も回っている。
 誰の手柄でもなく、誰の命令でもなく。

 それを止める理由は、もうどこにもなかった。
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