姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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3話 王都の物価が高い

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3話 王都の物価が高い

王都の朝は、いつもより少し騒がしかった。

アストラーデ公爵家の馬車を降りたルヴェリアは、石畳の通りを見渡しながら目を細める。市場へ向かう人々の足取りは早い。だが活気があるというより、どこか落ち着きがなかった。

「今日はずいぶん人が多いのね」

隣を歩く侍女エミリアが、小さく声を潜める。

「値上がり前に買っておこうという方が増えているのだと思います」

「値上がり前、ではなく、もう上がっているのでしょう」

「……はい」

エミリアの返事は重かった。

ルヴェリアはあえて護衛を最小限にしていた。大げさな供回りを連れれば、商人たちも本音を隠す。今日は公爵令嬢として視察に来たのではなく、王都の空気を自分の目で確かめに来たのだ。

市場の入り口からして、もう違った。

青果を扱う露店では、昨日まで三束で銀貨一枚だった香草が、今日は二束になっている。焼きたてのパンの値札も書き換えられたばかりらしく、古い数字の上から雑に新しい数字が重ねられていた。

布地の店では、主人と客が口論になっている。

「昨日より高いじゃないか!」

「俺だって好きで上げてるんじゃない! 仕入れが上がってるんだ!」

怒鳴り声の応酬に、周囲の通行人まで顔をしかめていた。

ルヴェリアは露店の一つに歩み寄る。野菜を並べた年配の女店主が、彼女の身なりを見てあわてて背筋を伸ばした。

「こ、公爵令嬢様……!」

「気にしないで。少し見せてもらうだけよ」

ルヴェリアは籠に並ぶ根菜を手に取り、重さと質を確かめる。品そのものは悪くない。問題は値段だ。

「この芋、一籠で銀貨三枚?」

「はい……昨日までは二枚で出してたんですが、今朝の競りでさらに上がってしまって」

「不作だったの?」

「いえ、そういう話は聞きません。街道も普通に通ってますし、盗賊が増えたって噂もないです。ただ……」

店主は言いにくそうに周囲を見回した。

「最近、まとめて買っていく人が多いんですよ。急に羽振りのよくなった商人とか、お抱えの使用人を何人も連れてきた貴族とか。値切りもしないで、言い値でどんどん」

ルヴェリアは静かに聞き返す。

「それで品が減っているのね」

「そうなんです。うちみたいな小さな店は、朝のうちにいい品を持っていかれると困っちまうんですが……向こうは金貨を出してくるでしょう? 断れなくて」

金貨。

またその言葉だ、とルヴェリアは思う。

昨日、家令からも似た話を聞いたばかりだった。

「細かい釣りは?」

「嫌がる人が多いですね。『面倒だからそのままでいい』って。こっちは助かるようで助からないんですよ。金の回り方が変で、なんだか気味が悪い」

「気味が悪い、ね」

「ええ。景気がいいっていうのとも、ちょっと違う気がして」

店主の言葉に、ルヴェリアは小さく頷いた。

景気が良いなら、皆が潤うはずだ。だがいま市場にあるのは、豊かさではない。一部だけが乱暴に金を使い、周囲がその余波で苦しくなっている歪んだ高騰だ。

礼を言って店を離れると、エミリアが顔を寄せてきた。

「やはり、普通ではありませんね」

「ええ。物が足りないから上がるというより、金の使われ方が雑すぎる」

「雑、ですか」

「必要な分を買うのではなく、見せつけるために使っているような上がり方だわ」

口にしながら、ルヴェリアの脳裏にはオルフィナの笑顔が浮かぶ。

新しいドレス。宝石。別邸。晩餐会。贈り物。

あれもまた、必要ではなく誇示のための金だった。

市場の奥へ進むと、今度はパン屋の前に長い列ができていた。いつもなら昼前でも買えるはずの大衆向けの丸パンが、今日はすでに残り少ない。

店先で子どもを連れた女が困り果てた顔をしていた。

「昨日より高いなんて聞いてないわよ……」

「私だって困ってるんです!」

パン屋の主人も苛立っていた。

ルヴェリアは列の様子をしばらく見てから、さりげなく店に近づいた。

「少し、お話を聞かせてもらえるかしら」

主人は彼女の顔を見て、ぎょっとしたあとで慌てて頭を下げる。

「これは、ルヴェリア様……!」

「今日は買い物ではなく、様子を見に来ただけよ。最近、小麦が足りないの?」

「小麦そのものがないわけじゃありません。ただ、粉の値が上がってるんです。製粉所も商会も、前より高く売ってくる」

「理由は」

「大口の取引が増えたとか、急に現金を積んで買い占める連中がいるとか……。でも妙なんですよ。今までそんな買い方をしていなかった連中まで、急に金払いが良くなってる」

主人は声を落とした。

「それでいて、質の悪い金貨をつかまされたって話も耳にします」

ルヴェリアの視線が鋭くなる。

「質の悪い金貨?」

「あ、いや、見た目じゃ分からないんですが。なんとなく変だとか、重さが微妙だとか、色味が妙に明るいとか。証拠があるわけじゃないので、皆、口には出しづらいんですがね」

それは噂に過ぎないのかもしれない。

だが、これで二つの線が繋がった。

不自然な物価上昇と、不審な金貨の存在。

まだ断定はできない。けれど、ただの景気変動ではない可能性が濃くなった。

「ありがとう。とても参考になったわ」

ルヴェリアがそう言うと、主人は気まずそうに頭を掻いた。

「いやぁ、役に立つかは分かりませんが……最近の市場、なんだか落ち着かなくて。真面目に商売してる側だけが振り回されてる気がするんです」

その感覚は正しいのだろう。

誰かが、金の流れを乱暴にかき回している。

市場を出る前に、ルヴェリアは布商の店にも寄った。ここでも話は似ていた。

高価な染料の値上がりはまだ分かる。けれど、庶民が使う粗布や糸まで上がっているのはおかしい。しかも最近は、成金趣味の若い女たちが色違いで何反も買っていくという。

「使いきれもしない量を?」

「ええ。『余ったら捨てるからいいの』なんて言われましてね」

店主は渋い顔をした。

その言い方に、ルヴェリアはぴたりと足を止めた。

余ったら捨てるからいい。

その無駄な金の使い方は、いかにもオルフィナが好みそうなものだった。

市場を一巡りした後、ルヴェリアは馬車に戻った。乗り込む前にもう一度、ざわつく市場を振り返る。

人はいる。物もある。けれど、皆の顔がどこか険しい。

豊かな街の喧騒ではなく、押し上げられる不安の音だった。

馬車が動き出すと、エミリアが小さく問いかけた。

「どうなさいますか」

「記録をまとめるわ。品目ごとの値上がり幅、時期、急に金払いが良くなった層、不審な金貨の噂。全部並べてみる」

「やはり、ただの高騰ではないと」

「そう思う」

ルヴェリアは膝の上に置いた手を見つめる。

「不作でもない。戦でもない。街道が閉ざされたわけでもない。それなのに、生活に必要なものまで上がっている。誰かが金を流しすぎているのよ」

「……ヴォルゼック伯爵家でしょうか」

エミリアの問いに、ルヴェリアはすぐには答えなかった。

疑わしい。とても。

だが疑いだけで名門伯爵家を敵に回すのは愚かだ。

「まだ決めつけないわ。でも、あの家の周辺に不自然な金の匂いがするのは確かね」

「オルフィナ様も……」

「ええ」

ルヴェリアは窓の外を見た。

オルフィナの浮かれた顔がまた脳裏に浮かぶ。

あれは、ただ金持ちの婚約者を得た女の顔だっただろうか。

それとも、もっと危ういものに触れて酔っている顔だったのだろうか。

屋敷に戻るころには、ルヴェリアの中で一つの決意が形になっていた。

婚約を奪われたことへの怒りだけで、この違和感を追うつもりはない。

市場で困っていた人々の顔が、もう頭から離れなかった。

金を持つ一部の人間の気まぐれのせいで、毎日のパンを買う者が困る。

そんな歪みを、見過ごしていいはずがない。

会計室へ戻ると、ルヴェリアはすぐに新しい帳面を開いた。

品目、価格、前月比、急騰時期、市場証言。

羽根ペンを走らせながら、頭の中で点と点が繋がっていく。

そして最後に、彼女は欄外へ静かに書き添えた。

最近、王都に流れる金貨の質に不審あり。

書いた文字を見つめ、ルヴェリアは目を細める。

まだ小さな疑いだ。

だが小さいからこそ、今のうちに掴まなければならない。

放置すれば、この違和感はきっと王都のもっと深いところまで広がる。

ルヴェリアはペン先を置き、静かに呟いた。

「まずは、金そのものを見なければ」

婚約を奪われた公爵令嬢としてではない。

アストラーデ公爵家の娘として。

そして、王都の歪みを見過ごせない者として。

ルヴェリアは、ようやく本当の意味で動き始めた。
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