姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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4話 湯水のように使われる金

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4話 湯水のように使われる金

オルフィナの浪費は、もはや「派手好き」で片づけられる域を越えていた。

その日の午後、アストラーデ公爵家の玄関前には、王都でも名の通った宝飾商、香油商、仕立て屋、家具職人までが列を作っていた。磨き抜かれた箱、絹で包まれた反物、金具のついた長箱。どれもこれも、一般の貴族令嬢が一季節で使い切る量ではない。

ルヴェリアは二階の回廊から、その様子を静かに見下ろしていた。

「……今日は随分と賑やかね」

隣に控えたエミリアが、困ったように視線を伏せる。

「オルフィナ様が、午後のお茶会の前に一度すべて見たいとおっしゃったそうです」

「すべて?」

「はい。宝石箱が三つ、ドレス用の布地が十二反、夜会用の靴が六足、香油が十種類……まだ増えるかもしれないと」

ルヴェリアは一瞬、言葉を失った。

増えるかもしれない、で済む量ではない。

それはもう買い物ではなく、金を燃やしているのに等しかった。

「支払いは」

「ヴォルゼック伯爵家からの使いがまとめて済ませると」

やはり、とルヴェリアは思う。

オルフィナ個人の小遣いで払える額ではない。義母が後押ししていたとしても、公爵家がこれほどあからさまに肩入れするはずもない。つまり、ヴォルゼック伯爵家が最初から全面的に金を出しているのだ。

婚約を結んだだけの娘に。

まだ嫁いですらいない義妹に。

そこまで惜しげなく金を注ぐ理由は何なのか。

その時、階下から弾んだ笑い声が響いた。

「こちらも持ってきてちょうだい。ああ、でもこれは少し地味かしら。もっと刺繍の多いものがいいわ」

オルフィナだった。

新しい淡い金色のドレスを着て、まるで自分がこの屋敷の主であるかのように中央に立っている。商人たちは義妹の機嫌を損ねまいと、にこやかな顔を貼りつけていた。

「オルフィナ様、それは今季でも最高級の品でして」

「そうでしょうね。だから持っていらしたのでしょう?」

「は、はい」

「では包んで。あと、あちらの首飾りも。あら、その隣のも素敵。両方いただくわ」

宝飾商の顔が一瞬だけ引きつった。

嬉しくないはずがない。これだけ買ってくれる客はそういない。だが同時に、どこか怯えてもいた。品を見極める目というより、値段だけで価値を測るような買い方だからだ。

使い切れないほど買う客は、店にとって必ずしも吉兆ではない。

ルヴェリアはその場を離れ、階段を下りた。

応接間を抜け、広間へ入ると、商人たちは一斉に背筋を伸ばした。オルフィナだけが、わざとらしくぱっと笑みを深くする。

「まあ、お姉様。ちょうどよかったわ。どちらの首飾りが似合うか見てくださいませ」

片方は赤い石をふんだんに使った重たい意匠。もう片方は細工の繊細な白金の鎖だった。

ルヴェリアは首飾りではなく、机の上に山と積まれた請求書に目をやる。

「どちらも似合うのではなくて?」

「ふふ、そうかもしれませんわね」

オルフィナは満足げに笑った。

「でも困ってしまうの。ゼルカイン様ったら、欲しいものは我慢しなくていいとおっしゃるんですもの」

「そう」

「お姉様には分からないでしょうけれど、愛されるというのはこういうことなのですわ」

周囲の商人たちの前で言うあたりが、実に義妹らしい。

刺すなら人目のある場所で、というわけだ。

ルヴェリアは動じた様子もなく、請求書の一枚を手に取った。金額を見て、さすがに目を細める。

「これは今月分だけで?」

オルフィナは肩をすくめる。

「ええ。まだ途中ですけれど」

「途中」

「だって別邸の内装もあるもの。食器も新調したいし、庭園には南方の花を取り寄せたいの。ゼルカイン様もその方が華やかでいいと」

その場にいた香油商が、媚びるように口を挟んだ。

「オルフィナ様は本当に素晴らしい審美眼をお持ちで。先日も香油を箱ごとお求めくださいまして」

「香りは余るくらいあった方が贅沢でしょう?」

オルフィナは無邪気に笑う。

「使い切れなくても構わないの。気に入らなければ、新しいものを買えばいいだけですもの」

その言葉に、ルヴェリアは胸の奥が冷たくなるのを感じた。

市場では石鹸や灯りの油の値段まで上がり、庶民が小さな出費に頭を抱えている。そんな中で、余れば捨てればいいと口にする。

あまりにも軽い。

金の重みを知らない、というより、知る気がないのだ。

「オルフィナ」

「何ですの?」

「少し買いすぎではなくて?」

オルフィナは一瞬きょとんとし、それからくすくす笑った。

「またそれ? お姉様って本当に夢がありませんのね」

「夢の話ではないわ」

「では何の話?」

ルヴェリアは周囲の商人たちを一瞥してから、淡々と答える。

「王都全体で物価が上がっているわ。品も不足し始めている。そんな時に、あなたのような買い方は余計な混乱を招く」

広間の空気が少し張った。

オルフィナはすぐに頬を膨らませる。

「まあ、まるでわたくしが悪いみたいな言い方」

「そうは言っていないわ。ただ、節度を持てと言っているの」

「嫌ですわ」

即答だった。

「だって、わたくしには使う権利がありますもの」

「権利」

「ええ。ゼルカイン様がくださるのですから、遠慮する方が失礼でしょう?」

義妹は首飾りを胸元に当て、鏡に映る自分をうっとりと眺めた。

「お姉様は知らないでしょうけれど、お金というのは使ってこそ価値があるのよ。しまっておくだけなんて、つまらないではありませんか」

ルヴェリアは、その言葉の粗さに逆に冷静になった。

なるほど、と。

オルフィナはもう伯爵家の金を、自分の勝利の証だと思っているのだ。だから使う。見せびらかす。姉より上に立ったことを確かめるために。

その快感が先にあり、結果など考えていない。

「好きになさい」

ルヴェリアがそう言うと、オルフィナはあからさまに気を良くした。

「ええ、そうしますわ」

そして宝飾商へ向き直る。

「赤い石の方も白い方も両方いただくわ。あと、この前見せてもらった髪飾りも一式持っていらして」

「かしこまりました」

「仕立て屋は、明日もう一度来て。昼用と夜会用で全然足りないもの」

「は、はいっ」

「香油は……そうね、さっきのは全部包んで。別邸にも同じものを届けさせるわ」

次々に決まっていく注文。

ルヴェリアはそれを横目で見ながら、義妹の後ろに控えるヴォルゼック伯爵家の使いへと目を向けた。

三十代半ばほどの、無表情な男だった。

彼はずっと黙ったまま、ただ注文内容だけを記録している。驚きも焦りも見せない。その落ち着きが、かえって不気味だった。

普通なら眉をひそめる額だ。

なのに彼にとっては、想定の範囲内らしい。

その事実がルヴェリアの心に新たな違和感を残す。

広間を出ようとした時、背後から義母の声が聞こえた。

「まあ、ルヴェリア。冷たい顔をしてどうしたの」

振り返ると、義母がにこやかに立っていた。いつの間に見に来ていたのか。

「別に」

「妹の幸せを喜んであげられないのは、狭量よ」

「幸せ、ね」

「ええ。ヴォルゼック伯爵家ほどの家にこれだけ大切にされるのですもの。オルフィナは本当に愛されているわ」

義母はうっとりとした顔で、積み上がる箱の山を見た。

その視線には、娘の幸せを見る母の情よりも、財を前にした人間の欲の方が濃かった。

ルヴェリアは静かに問い返す。

「まだ正式に嫁いでもいない娘に、ここまで金を注ぐことを不自然とは思われないのですか」

義母の笑みが少しだけ薄くなる。

「嫉妬もそこまでいくと見苦しいわね」

「嫉妬で済む話ならいいのだけれど」

「どういう意味?」

「そのままの意味です」

それ以上は言わず、ルヴェリアは広間を後にした。

廊下に出ると、すぐ後ろからエミリアが追いついてくる。

「お嬢様、あの量は……」

「異常ね」

ルヴェリアは足を止めずに答える。

「金持ちの浪費というだけでは説明がつかないわ」

「ヴォルゼック伯爵家なら不可能ではないのでは?」

「不可能ではない。でも、不自然なの」

「不自然」

「ええ。あの使いの男、少しも止める気配を見せなかったでしょう。あの買い方が、最初から織り込み済みだったみたいに」

エミリアは息を呑んだ。

「では、むしろ使わせていると?」

「そう見えるわ」

そこまで口にして、ルヴェリアは窓辺で立ち止まる。

庭には商人たちの馬車が並び、召使いたちが次々と荷を運び込んでいた。宝石箱、布地、香油、陶器、銀器。まるで小さな店が一軒ごと運び込まれているようだった。

王都の市場で物が薄くなるはずだ、とルヴェリアは思う。

一人の女が、見せつけるためだけにこれほど吸い上げているのだから。

だが問題はそこだけではない。

いくら伯爵家が大富豪でも、流れ出る金が軽すぎる。

惜しみなく使いすぎている。

まるで、減っても困らない金のように。

その瞬間、昨日聞いた市場の話がよみがえる。

細かい釣りを嫌がる客。

金払いの良い成金。

質の悪い金貨の噂。

そして、オルフィナの無軌道な浪費。

ルヴェリアはゆっくりと目を閉じた。

点はまだ点のままだ。

だが、間違いなく同じ方向を向いている。

「エミリア」

「はい」

「今日、屋敷に出入りした商人の名前を全員控えておいて。どの店が何を持ち込み、いくらで売ったのかも」

「かしこまりました」

「それから、オルフィナが最近買ったものの記録も洗い直すわ。支払い方法が分かるものは全部」

エミリアが少し驚いたように目を見開く。

「そこまでなさるのですか」

「ええ。婚約を奪われた腹いせと思われても構わないわ」

ルヴェリアは窓の外を見つめたまま言う。

「でも、もしあの金の流れが本当におかしいなら、公爵家の中だけの話では済まないもの」

エミリアは真剣な顔で一礼した。

「すぐに手配いたします」

一人になった廊下で、ルヴェリアは小さく息を吐く。

オルフィナは勝ったつもりでいる。

ゼルカインは与える男を演じている。

義母はその金を栄光と呼んで酔っている。

けれど、あれは本当に栄光なのだろうか。

あまりにも派手で、あまりにも軽く、あまりにも遠慮がない。

本物の富には、もっと重みがある。

積み重ねた者だけが知る慎みがある。

いま屋敷を満たしているのは、そうした重みではない。

ただ、粗雑で、浮ついていて、ひどく危うい。

ルヴェリアは胸の内に沈んだ冷たい予感を押さえ込みながら、会計室へ向かった。

まずは数字だ。

感情ではなく記録を見る。

箱の数、支払い額、購入時期、商人の顔ぶれ。

見せびらかすために撒かれた金は、必ずどこかに痕を残す。

そしてその痕を辿れば、義妹が無邪気に浴びている金の正体にも、いつか手が届くはずだった。
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