姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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7話 手の中の違和感

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7話 手の中の違和感

翌朝、ルヴェリアは王宮工房の前で足を止めた。

石造りの壁に囲まれたその建物は、華やかな宮殿の一角にありながら、装飾とは無縁の実務の匂いに満ちている。金属を打つ音、炉の熱気、油と水の混じる匂い。ここには舞踏会の音楽よりも、仕事の音の方がよく似合った。

「こちらです」

案内役の若い文官に導かれ、中へ入る。

すでにディルハルトは来ていた。上着を簡素なものに替え、机の前で数枚の報告書を見ている。王太子というより、現場監督のような立ち姿だった。

「早いのね、殿下」

ルヴェリアが声をかけると、ディルハルトは顔を上げる。

「君こそ。待たせずに済んだ」

「待たせるつもりはありませんでしたから」

短いやり取りなのに、妙に空気が滑らかだった。

前回の面会を経て、二人の間から余計な探り合いが少し減ったのだろう。もちろん気安さとは違う。けれど、少なくとも互いに相手が無駄な言葉を好まないことは分かってきた。

工房の中央には、大きな作業台が用意されていた。

上には天秤、細い糸、小さな分銅、水を満たしたガラス器、記録用紙。さらに横には、本物と不審金貨がそれぞれ布の上に並べられている。

年配の職人が一礼した。

「ご指示通り、同じ種類の金貨を揃えました」

「ありがとう」

ディルハルトが答え、ルヴェリアへ視線を向ける。

「どこから始める」

ルヴェリアは作業台の前に立ち、まず本物の金貨を一枚手に取った。

指先に吸いつくような、重く、詰まった感触。

次に不審な金貨を持つ。

やはり似ている。見た目も、手触りも、ほとんど同じだ。だが――

「……違うわ」

思わず声が漏れた。

ディルハルトがすぐに反応する。

「昨日もそう言っていたな」

「ええ。ほんのわずかだけれど、持った時の重みの入り方が違うの」

「重さそのものではなく?」

「重さそのものも微妙に違うかもしれません。でも、ただ軽いというより、詰まり方が違う感じがするの」

職人が興味深そうに金貨を覗き込んだ。

「詰まり方、ですか」

「同じ大きさの容れ物でも、中までぎっしり詰まっているものと、外側だけ厚くて中が別のものでは、手に乗せた時の感じが違うでしょう?」

職人はゆっくり頷く。

「なるほど……」

ルヴェリアは天秤の前に移った。

「まず普通に重さを比べましょう」

本物の金貨と不審金貨を、それぞれ同じ枚数だけ皿に乗せる。分銅を足し引きしながら慎重に測っていくと、不審金貨の方がわずかに軽いものが混じっていた。

ただし、全部ではない。

「ばらつきがあるわね」

ルヴェリアが呟く。

ディルハルトが眉を寄せた。

「精度が揃っていない?」

「ええ。おそらく同じ工房で一括に作られたわけではないか、あるいは中身の金属の配合が一定ではない」

職人が感心したように言う。

「偽物にしてはずいぶん手が込んでいますな」

「粗悪品を一度に撒くつもりではないのでしょう」

ルヴェリアは視線を金貨から離さずに続けた。

「流通の中へ長く紛れ込ませたいなら、一目で分かるような品では意味がないもの」

その言葉に、工房の空気が少し張った。

ただの詐欺ではない。

王国内にじわじわと入り込み、気づかれにくい形で使われることを前提にした偽金。

それはつまり、もっと大きな意図があるということだ。

ディルハルトが低い声で言う。

「続けてくれ」

「はい」

ルヴェリアは細い糸を手に取った。

「次は水を使います」

職人の何人かが顔を見合わせた。

水を張った器の前に立ち、ルヴェリアは金貨を軽く掲げて見せる。

「見た目が同じでも、素材が違えば、水に沈めた時の嵩に対する重さの出方が変わります」

若い職人が目を丸くする。

「水に沈めて分かるのですか」

「厳密に言えば、水を押しのける量と、実際の重さを比べるの」

ルヴェリアは少し考え、言葉を選んだ。

「同じ大きさの果実でも、中まで詰まっているものと、見かけほど中身のないものでは重みが違うでしょう? 金属も同じよ」

職人たちがじっと聞き入っている。

この世界で学問として名前がついているわけではない。だが、理屈そのものは、職人の経験に近いところにあるのだろう。

ルヴェリアは本物の金貨を糸で吊り、水面に静かに沈めた。

器がわずかに揺れ、細い目盛りが動く。

横で控えていた文官が数値を書き留める。

同じ手順を不審金貨でも繰り返す。

一枚、二枚、三枚。

そして四枚目を沈めた時、職人の一人が低く声を上げた。

「……違う」

ルヴェリアも頷いた。

「ええ。見た目の大きさに対して、重さが足りない」

ディルハルトが器のそばまで寄ってくる。

「つまり」

「中身が金ではない可能性が高いです」

工房が静まり返った。

誰もが金貨を見つめている。

美しく光る、王国金貨そっくりのそれを。

ルヴェリアはさらに数枚を測った。

やはり本物とは出方が違うものが混じっている。しかも全部ではなく、一部だけ。流通の中に紛れるには、それで十分すぎるほど厄介だった。

「表面だけでは見抜きにくいわけだ……」

ディルハルトの声は冷静だったが、その奥に硬いものが混じっていた。

王太子として、これが何を意味するかを即座に理解したのだろう。

偽物が粗悪だからすぐ分かる、という段階ではない。

気づかれにくい形で回り続けることこそが、この偽金の恐ろしさなのだ。

ルヴェリアは職人へ向き直る。

「表面をほんの少しだけ削れますか。刻印を壊しすぎない程度に」

「できます」

年配の職人がすぐに工具を持ってきた。

慎重に、慎重に、不審金貨の縁を削る。

金の薄片が落ちる。

その下から、わずかに違う色味が覗いた。

工房の空気が凍る。

職人が息を呑んだ。

「……これは」

ルヴェリアは目を細める。

「やはり」

金ではない。

少なくとも純金ではない。

下から現れたのは、ややくすんだ別の金属だった。

表面を金で覆い、中身を別素材で作ったメッキ偽金。

ディルハルトはしばらく無言でそれを見つめていたが、やがてはっきりと言った。

「確定だな」

ルヴェリアは静かに頷く。

「はい。見た目を本物そっくりに整え、中身だけを別の金属にしている。だから手に取るとわずかな違和感があったのです」

若い職人が呆然と呟く。

「こんなものが市場に……」

「ええ」

ルヴェリアの声は自然と低くなる。

「しかも一目で偽物と分からないように作られている。つまり最初から、市場に溶け込ませるための品です」

ディルハルトは机に手を置いた。

「王国内の流通そのものを乱すつもりだったということか」

「少なくとも、一時の詐欺ではありません」

ルヴェリアは金貨を見つめたまま言う。

「これを大量に、しかも少しずつ混ぜれば、誰もすぐには気づかない。けれど金の量だけが増えたように見えて、物の値段は押し上がる。真面目に働いている人ほど苦しくなるわ」

王都の市場で見た顔が脳裏をよぎる。

パンの値札を見て困っていた女。

石鹸の値段に眉をひそめていた商人。

それらが全部、この小さな金貨とつながっている。

ルヴェリアはふと、自分の指先を見下ろした。

最初にこの違和感に気づいた時は、ただ「何か変だ」と思っただけだった。

けれど今、その曖昧な感覚が形になった。

目に見えなかった歪みが、ようやく証明されたのだ。

「……よく見抜いたな」

ディルハルトの声が、思ったより近くで聞こえた。

顔を上げると、彼がすぐそばに立っていた。

その目はまっすぐで、変な情ではなく、明確な評価を宿している。

ルヴェリアは一瞬だけ言葉に詰まり、それから小さく首を振った。

「見抜いたというほどでは。ただ、触った時に妙だと思っただけです」

「その妙だと思う感覚を、ここまで形にできる者は多くない」

簡潔な言葉だった。

けれど妙に胸に残る。

婚約を奪われてから、誰かにこうして能力そのものを認められたことがあっただろうか、とルヴェリアはふと思った。

義母は都合で人を見る。

オルフィナは勝ち負けで見る。

ゼルカインは利用価値で見る。

だがディルハルトは違う。

少なくとも今、彼は彼女の感情でも立場でもなく、やった仕事を見ている。

「ありがとうございます」

それだけ答えると、ディルハルトはすぐに実務へ戻った。

「この検査法を記録に残せ。市場監督官にも共有する。ただし、表向きにはまだ広めすぎるな。敵に勘づかれる」

文官が急いで書き留める。

「工房側でも再現できますか」

ディルハルトが職人へ尋ねると、年配の職人が力強く頷いた。

「はい。手間はかかりますが、見分ける手段にはなります」

「よし」

ディルハルトはルヴェリアへ向き直った。

「これでようやく、ただの噂ではなくなった」

「ええ」

「そして同時に、相手が思った以上に厄介だとも分かった」

ルヴェリアも頷く。

「ええ。個人の遊びではありません。精巧さも、ばらつきの調整も、流通の混ぜ方も、全部が慣れている。かなり大きな組織です」

そこまで言ってから、彼女はふと口をつぐんだ。

頭の中には、やはりヴォルゼック伯爵家がある。

金の流れを握ることに長けた家。

交易も金融も抑え、見えないところで物と金を動かすことに慣れている家。

そして何より、いまオルフィナがあれほど湯水のように金を使っていられる家。

けれどまだ、名前を出すには足りない。

ディルハルトもそれ以上は問わなかった。

代わりに彼は地図の置かれた板へ歩き、淡々と言う。

「次は、どこから広がっているかだ」

ルヴェリアも後を追った。

赤い印の打たれた王都の地図を見つめながら、彼女は答える。

「この偽金が多く混じる場所を調べれば、流通の起点か、少なくとも大きな中継点が見えてきます」

「中央市場、高級商店街、河岸……」

「ええ。この三つは物と金が多く動く場所です。特に、見栄のための買い物が行われる場所では、少々怪しい金でも紛れやすい」

ディルハルトの視線がわずかに鋭くなる。

「見栄のための買い物、か」

ルヴェリアは頷いた。

「必要だから使うのではなく、誇示するために使う金は、細かく確かめられにくいもの」

脳裏に浮かぶのは、やはりオルフィナだ。

香油を箱ごと買い、使い切れなければ捨てればいいと笑っていた顔。

あれはただの愚かさでは済まないのではないか。

そんな思いが、いよいよ形を持ち始める。

工房を出る頃には、もう昼を回っていた。

外の空気は明るいのに、胸の内は少し重い。

ついに見つけた。

けれど見つけてしまったからこそ、これが想像より深い泥だと分かったのだ。

回廊を歩きながら、ディルハルトが隣で言う。

「今日はよくやってくれた」

「殿下のお力添えがあってこそです」

「いや。最初に違和感を掴んだのは君だ」

その言葉に、ルヴェリアは少しだけ視線を逸らした。

どうにも、この王太子は真正面から評価を口にする。飾り気がない分、受ける側としては妙に照れる。

「……そう何度も言われると、少し困ります」

ディルハルトが珍しく目を瞬かせた。

「困る?」

「褒められ慣れていませんので」

言ってから、少しだけ失言だったかと思った。

だがディルハルトは笑わなかった。ただほんの僅か、口元の線を緩める。

「なら、慣れてくれ」

ルヴェリアは思わず彼の顔を見た。

冗談を言ったのか、本気なのか、判別の難しい声だった。

けれど次の瞬間には、彼はもういつもの実務顔に戻っている。

「明日からは市場側の回収品を増やす。君にも見てもらう」

「承知しました」

そう答えながらも、ルヴェリアの胸のどこかが少しだけ騒がしかった。

王宮の階段を下りる時、彼女はふと手袋の上から自分の指先を押さえた。

あの違和感を掴んだのは、この手だ。

婚約を奪われた日、何も失わずにいるように振る舞ったこの手。

帳簿をめくり、市場を歩き、金貨を持ち上げたこの手が、ようやく事の本質に触れた。

ならばもう、見なかったことにはできない。

偽りの金で飾られたものが、どこまで王都を侵しているのか。

そして、その金に笑いながら溺れている者が誰なのか。

ルヴェリアは王宮の外へ出ると、春の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

美しく光る偽物ほど、厄介なものはない。

だが、本物でないなら、いつか必ず綻びる。

その綻びを、自分はもう見つけてしまったのだ。
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