姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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19話 トカゲの尻尾

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19話 トカゲの尻尾

オルフィナは、その頃になってようやく空気の変化を感じ始めていた。

最初は、本当に小さな違和感だった。

ゼルカインから届く贈り物の数が、少しだけ減った。

以前なら新しい宝飾品の話を出せば、その日のうちに見本が届いたのに、最近は「今は少し時期を見よう」「もっと良い品を選ばせている」と言われることが増えた。

言葉の上では、むしろ丁寧になっている。

だからこそ、余計に嫌だった。

待たされている、と感じる。

以前のように、思いついたその瞬間に何でも手に入る熱が薄れてきていた。

「……気のせいよね」

鏡台の前で髪を梳かしながら、オルフィナは自分にそう言い聞かせた。

ゼルカインは忙しいのだ。

王都では物価のことや金のことが騒がれているし、伯爵家ほどの大きな家なら、表に見えない仕事だっていくらでもある。

そう。

少し落ち着いているだけ。

自分への愛情が薄れたわけではない。

そう思いたかった。

けれど、思えば思うほど、小さな棘のような不安が胸の奥へ沈んでいく。

その日もオルフィナはヴォルゼック伯爵家の屋敷を訪れていた。

約束していた新しい馬車の細工の相談のため、という名目だったが、本当は違う。

ゼルカインが自分をどう見ているのか、確かめたかったのだ。

応接間に通されてしばらく待たされたあと、ようやく現れたゼルカインは、相変わらず美しく、落ち着いていた。

だが、以前のように最初から甘い言葉を投げてはこない。

先に書類を侍従へ渡し、扉が閉まってからようやくこちらを見る。

その順番が、オルフィナには気に入らなかった。

「待たせたね」

「本当ですわ」

オルフィナは少しだけ拗ねた声を作る。

「昔はもっと、すぐに会ってくださいましたのに」

ゼルカインは微笑んだ。

けれどその微笑みは、以前より少し薄い。

「最近は色々と立て込んでいてね」

「私より大事なことが?」

「比べるものではないよ」

その返しが、ひどく曖昧に思えた。

以前なら、君が一番だとか、君のために働いているとか、そういう言葉をもっと自然に口にしたはずなのに。

オルフィナは椅子へ座り直し、わざとらしくため息をついた。

「王都じゅうが嫌な空気ですものね。値上がりだの、不審な金だの、つまらない話ばかり」

その瞬間、ゼルカインの目が一度だけ鋭くなった。

ほんの一瞬だったが、オルフィナは見逃さなかった。

「……何かしら」

「いや」

ゼルカインはすぐに表情を戻した。

「君はそういう話に関わらない方がいい」

その言い方に、オルフィナはむっとする。

「まるで私が何も分からないみたい」

「分からなくていいこともある」

「でも、私だって婚約者ですのよ」

ゼルカインは数秒、黙ってオルフィナを見た。

その視線に、彼女はなぜか落ち着かないものを感じた。

見つめられているのに、愛されている感じがしない。

値踏みされているような、そんな嫌な感覚だ。

やがてゼルカインは、静かに言った。

「では、婚約者らしく少し落ち着いて振る舞ってほしい」

「……どういう意味ですの」

「そのままの意味だよ。最近、君は少し目立ちすぎている」

またそれだ。

以前にも言われた。

上品な派手さを覚えろ、と。

その時は、もっと特別な女になるための助言だと思った。だから受け入れられた。

けれど今の声音は違う。

そこには、明らかに“困っている”色が混じっていた。

オルフィナの胸に、小さな怒りが灯る。

「私が綺麗に着飾るのが、そんなに都合が悪いの?」

「そうは言っていない」

「では何ですの。今まで散々、欲しいものは我慢するなとおっしゃっていたのに」

ゼルカインはため息をつかなかった。

だが、その沈黙がため息より冷たかった。

「状況が変わった」

その一言で、オルフィナの背筋がぞくりとした。

状況。

何の状況なのか、説明はない。

けれど彼女には分かる。

あの日、奥の部屋で聞いた話と繋がっているのだ。

王宮が動いている。

市場が荒れている。

そして、伯爵家の側もそれを無視できなくなっている。

オルフィナは急に喉が乾いた。

だが、ここで怯えた顔を見せたくなかった。

見せたら終わる気がした。

「……私のせいだとおっしゃるの?」

ゼルカインはすぐには答えない。

そして、そのわずかな間こそが答えだった。

オルフィナの胸の奥で、何かが冷たく軋む。

「冗談じゃありませんわ」

思わず声が尖る。

「私は、あなたが与えてくださるものを受け取っているだけですのに」

「受け取り方の話をしている」

「同じことです!」

「違う」

その返答は静かだった。

静かなのに、オルフィナの声を一瞬で押し返した。

「君は与えられたものを楽しむだけで止まらない。もっと欲しがる。もっと見せたがる。もっと目立ちたがる」

ひどく冷静な口調だった。

それが一番、オルフィナを傷つけた。

責められているというより、癖でも並べられているようだったからだ。

「それが悪いと?」

「悪いかどうかではなく、危険だと言っている」

危険。

その言葉を聞いた瞬間、オルフィナの中の不安が一気に形を持った。

ああ、やっぱり。

いま伯爵家にとって、自分は厄介になり始めているのだ。

便利な飾りではなく、危険な目印に。

その事実に気づいた途端、恐怖より先に、怒りが来た。

「私ばかり悪いように言わないで」

オルフィナは立ち上がる。

ドレスの裾が揺れ、椅子の脚が小さく鳴った。

「こんなふうにしたのは、あなたでしょう? たくさん見せて、たくさん与えて、欲しがっていいとおっしゃったのは!」

ゼルカインも立たない。

ただ座ったまま、彼女を見上げる。

その落ち着きが、余計に癪だった。

「声を落とせ、オルフィナ」

「嫌ですわ! 私は、お姉様を見返せるほど幸せになれると……」

そこまで言って、オルフィナははっとした。

自分で口にしてしまったのだ。

見返すためだったと。

幸せそのものより、姉に勝ったと思いたかったのだと。

ゼルカインの目に、かすかな冷笑が浮かぶ。

それはほんの一瞬で消えたが、オルフィナには見えた。

見えてしまった。

その瞬間、彼女はようやく理解する。

この男は、最初から自分のこういうところを全部見抜いていたのだ。

姉への対抗心。

金への飢え。

見栄。

羨望を浴びたい浅ましさ。

それら全部を知ったうえで、自分を選んだのではなく、使いやすいと思って引き寄せたのだ。

「……ひどい」

掠れた声が出た。

ゼルカインは答えない。

慰めも、否定もない。

その沈黙が、何より残酷だった。

オルフィナは唇を噛み、顔を背けた。

泣きたくない。

ここで泣いたら、本当に負けになる。

だが目の奥は熱い。

「もう帰りますわ」

そう言って踵を返しかけた時、ゼルカインがようやく口を開いた。

「帰る前に、一つだけ覚えておけ」

オルフィナは振り返らないまま立ち止まる。

「いまは余計なことを言わず、静かにしていろ」

命令だった。

もう婚約者に向ける声ではない。

従うべき駒に向ける声だ。

オルフィナの指先が震える。

怒りか、恐怖か、自分でも分からない。

ただ、その一言で確信した。

この家は、自分を守る気などない。

必要だから繋いでいるだけで、必要がなくなれば切る。

それが現実だ。

けれどそれでも。

それでもオルフィナは、その場で全てをぶちまけることはしなかった。

なぜなら怖かったからだ。

伯爵家の奥で見たものを思い出す。

金貨。

型。

薬液。

低い声。

いまここで癇癪を起こして敵に回ったら、自分がどうなるか分からない。

それに、まだどこかで信じたかった。

完全には捨てられていないと。

自分はまだ“婚約者”の側にいるのだと。

その未練が、彼女の足を止めた。

「……分かりましたわ」

振り返らないまま、オルフィナは答えた。

だがその声は、明らかに震えていた。

応接間を出て、廊下へ出た途端、彼女はようやく大きく息を吸った。

胸が苦しい。

悔しい。

怖い。

そして何より、屈辱だった。

自分が特別だと思っていた場所で、今や危険な女として扱われ始めている。

オルフィナは廊下の壁に手をついた。

けれど、その屈辱の底で、別の感情もまた蠢いていた。

――だったら、まだ役に立つうちに、もっと持たなければ。

――切られる前に、もっと掴んでおかなければ。

恐怖に押しつぶされるどころか、欲がさらに濁っていく。

それがオルフィナという女だった。

一方その頃、伯爵家の別の部屋では、年配の男たちが再び集まり、低い声で話していた。

「どうだった」

「ひとまず黙るだろう」

ゼルカインは淡々と答える。

「だが長くはもたん」

「分かっているなら早く切れ」

「まだ早い」

「またそれか」

苛立ちを隠さぬ声が飛ぶ。

ゼルカインは机の上の帳簿へ視線を落とした。

「いま切れば、派手に泣き喚く。姉のところへ駆け込む可能性もある。王宮が動いている今、それは面倒だ」

「ならどうする」

その問いに、ゼルカインは少しだけ笑った。

「もっと静かな方法を考える」

部屋の空気が重く沈む。

誰もその言葉の意味を聞き返さない。

聞かなくても分かるからだ。

トカゲの尻尾は、切るだけでは済まないこともある。

暴れないように。

余計な音を立てないように。

必要なら、もっと徹底して処理する。

その冷たさが、伯爵家の本当の顔だった。

その夜、オルフィナは自室の鏡の前で、いつまでも座ったままだった。

髪飾りを外しても、首飾りを外しても、胸の苦しさは消えない。

けれど鏡の中の自分は、まだ美しかった。

まだ華やかだ。

まだ、他の女たちより上に見える。

そのことだけが、彼女をかろうじて支えていた。

「私は……まだ終わってないわ」

小さく呟く。

それは願いであり、意地でもあった。

だが、その言葉の裏で、伯爵家の側はすでに別の計算を始めていた。

オルフィナ自身はまだ知らない。

自分が“危険な女”から、いよいよ切り捨てるべき女へ変わり始めていることを。
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