姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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20話 事故に見せかけた殺意

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20話 事故に見せかけた殺意

オルフィナが異変をはっきり感じたのは、その三日後だった。

表向きには何も変わっていない。

ヴォルゼック伯爵家からの使いは来る。屋敷への出入りも止まっていない。義母も相変わらず機嫌がよく、オルフィナに向かって「次はどんなドレスにするの」と笑っている。

けれど、見えないところが変わっていた。

まず、金の出方が鈍くなった。

以前なら頼めばその日のうちに届いた見本が、一日、二日と遅れるようになった。返事も曖昧だ。

いま手配中です。

最良の品を選ばせております。

少し時期を見た方が。

言葉は丁寧だが、実際には止められている。

そしてもう一つ。

屋敷の外で、妙に視線を感じることが増えた。

最初は思い込みだと思った。だが二度、三度と続けば気味が悪い。

窓の外に見知らぬ男が立っている。

買い物帰りの馬車の後ろに、同じ色の外套がちらつく。

通りの向こうで、何かを確かめるようにこちらを見る顔がある。

オルフィナはそのたびに気づかないふりをした。

認めたくなかったのだ。

自分が見張られているかもしれないなんて。

それではまるで、伯爵家に守られている婚約者ではなく、檻に入れられた獣ではないか。

その日、義母は昼食の席で明るく言った。

「オルフィナ、今日は少し気分転換に出かけたらどう? ずっとお部屋にいてもつまらないでしょう」

オルフィナはスープを口に運ぶ手を止める。

「気分転換?」

「ええ。新しいリボンでも見に行ったら? ほら、このところあなた、少し元気がないもの」

義母の言葉は優しい。

だがオルフィナの胸には、ぞわりと嫌なものが走った。

なぜ急に、そんなことを言うのか。

いや、考えすぎだ、と彼女はすぐに自分を叱る。

義母がそんな裏を読んでいるはずがない。ただ単に、自分の機嫌を取っているだけだ。

「……そうですわね」

オルフィナは笑顔を作った。

「少し街へ出てみますわ」

「ええ、それがいいわ。たまには別の空気も吸わないと」

義母は満足そうに頷いた。

その笑顔を見ていると、余計に不安が増した。

自分だけが何かを知らされていないような、そんな置いていかれる感じがしたのだ。

午後、オルフィナは二人の侍女と護衛を伴って馬車に乗った。

向かう先は、高級商店街の端にあるリボンと小物の店。

普段ならもっと華やかな店を選ぶところだが、今日は目立たない方がいい気がした。

馬車の中で、オルフィナは何度も指先を組み直した。

落ち着かない。

窓の外を流れる王都の景色はいつも通りなのに、自分だけが妙にその中から浮いている気がする。

店へ着いてからも、その感覚は消えなかった。

色とりどりのリボンを前にしても心が弾まない。

店主が勧める春物の飾りも、どれも薄っぺらく見える。

以前なら、こういう時こそ派手に買って気分を持ち直していたはずなのに、今日はその“いつもの自分”に戻れない。

「オルフィナ様、こちらのお色はいかがでしょう」

侍女の声に、オルフィナはぼんやりと頷いた。

「ええ……それでいいわ」

その時だった。

表通りの方から、突然、馬がいななく大きな声が聞こえた。

続いて、何かが激しくぶつかる音。

「危ない!」

誰かが叫ぶ。

店内が一瞬で騒然となる。

オルフィナが振り返る間もなく、店の前を通っていた荷馬車が、まるで制御を失ったようにこちらへ突っ込んできた。

「きゃっ……!」

悲鳴が上がる。

ガラスが砕ける。

店主が身を伏せる。

オルフィナは咄嗟に逃げようとしたが、裾を踏み、体勢を崩した。

目の前で大きな車輪がきしむ。

次の瞬間、自分は死ぬのだと、奇妙なほどはっきり分かった。

けれど、衝撃は来なかった。

代わりに、横から誰かに乱暴に引き倒される。

床へ転がり、肩を強く打つ。

そのすぐ上を、荷馬車の破片が飛んでいった。

耳鳴りがする。

何が起きたのか分からないまま顔を上げると、護衛とは違う男が自分の前に立っていた。

見覚えのない男。

だが動きは無駄がなく、ただの通行人には見えない。

「立てますか」

低い声だった。

オルフィナは口を開いたが、声にならない。

その間にも、通りでは騒ぎが広がっている。

馬は倒れ、御者は投げ出され、荷台の箱が散乱していた。

誰かが言う。

「事故だ!」

別の誰かが叫ぶ。

「いや、あれ、最初から店を狙って――」

そこまで聞いて、オルフィナの背中に冷たいものが走った。

狙って。

その言葉が、なぜか妙に胸へ刺さる。

ただの事故ではない。

もしそうだとしたら。

もし本当に、自分を狙ったのだとしたら。

「……ゼルカイン様」

無意識にその名が唇から漏れた。

けれど返事はない。

代わりに、目の前の男が短く言う。

「ここを離れます」

「え……」

「今すぐ」

男の手が、強くオルフィナの腕を引く。

侍女たちも泣きそうな顔で近寄ってくるが、男は彼女たちへも鋭く言った。

「護衛が足りない。別の馬車を回せ」

その声音には迷いがなかった。

あまりにも自然に人を動かすので、オルフィナは逆に怖くなった。

誰。

この男は誰。

どうして自分を守るような動きをするの。

混乱する頭の中に、ひとつの可能性が浮かぶ。

王宮。

もしかして、これは王宮の人間なのか。

そこまで考えた時、オルフィナは本格的に震えだした。

事故ではない。

誰かが自分を殺そうとした。

そして、誰かがそれを知っていて、先に守りの手を置いていた。

その二つが同時に成り立つなら、もう答えは一つしかない。

伯爵家が、自分を切ろうとしている。

「いや……」

オルフィナはか細い声を漏らす。

「いやよ……」

男は表情ひとつ変えずに言う。

「ここでは話せません」

そのまま裏口へ連れ出され、用意されていた別の馬車へ押し込まれる。

侍女たちは別の車へ。

護衛は二人、怪我人の処理に回されたらしい。

オルフィナは馬車の中で、自分の腕を抱きしめた。

全身が冷たい。

肩が痛い。

喉がひりつく。

そして何より、頭の奥が真っ白だった。

――本当に、あの人たちは私を。

思い出すのは、ゼルカインの静かな顔だ。

いまは余計なことを言わず、静かにしていろ。

あれは忠告ではなかった。

命令だった。

従わなければどうなるかを、もう決めた上での。

「……嘘」

ぽろりと涙が落ちる。

化粧が崩れるのも構わず、オルフィナは震えながら呟いた。

「そんなの、嘘よ……」

けれど嘘ではなかった。

馬車が止まった先は王宮ではなく、王家の管理する別の保護施設だった。

表向きは商人の家族を匿うための場所だという。

だが実際には、密かに証人や保護対象を移すための場所らしい。

通された小部屋は質素だった。

飾り気のない寝台と椅子と水差しがあるだけ。

オルフィナはその部屋へ入った瞬間、膝から崩れ落ちた。

ここは伯爵家の客間ではない。

公爵家の豪奢な私室でもない。

ただ、何かに怯える者が身を縮めるための部屋だ。

それだけで、自分が置かれた立場が嫌でも分かる。

しばらくして、部屋の扉が開いた。

入ってきたのは、見知った顔だった。

ルヴェリアではない。

ディルハルトでもない。

王宮で見かけたことのある文官だ。

その男は、感情を見せずに一礼した。

「オルフィナ嬢。あなたは本日、何者かにより事故を装って殺害されかけました」

その言葉を、オルフィナは否定できなかった。

否定したかった。

気のせいだと言ってほしかった。

でも無理だ。

あの荷馬車の向きも、速度も、止まらなさも、偶然とは思えなかった。

「……どうして」

唇が震える。

「どうして、こんな」

文官は答えない。

代わりに静かに告げる。

「心当たりがおありでしょう」

その一言で、オルフィナは完全に崩れた。

顔を覆い、肩を震わせる。

ゼルカイン。

伯爵家。

奥の部屋。

金貨。

型。

薬液。

全部がいっせいに押し寄せてきて、もう見ないふりができない。

「私……」

涙で言葉が途切れる。

「私、殺されるの……?」

文官は沈黙した。

それが答えだった。

オルフィナはそこで初めて、本当の意味で理解した。

自分は愛されていなかった。

守られてもいなかった。

便利だから飾られ、危険になったから消されようとした。

それだけなのだと。

その夜、保護施設の別室では、ディルハルトが短く報告を受けていた。

「間に合いました。軽傷で済んでいます」

「よし」

「本人はかなり動揺しています」

当然だろう、とディルハルトは思う。

そしてその報告を聞きながら、隣に立つルヴェリアは無言だった。

表情は変わらない。

けれどその沈黙の硬さで分かる。

彼女もまた、すべてを理解しているのだ。

トカゲの尻尾は、ただ切られるだけではない。

暴れないよう、最初から潰される。

「……ここまでやるのね」

ようやくルヴェリアが言った。

ディルハルトは短く答える。

「ああ」

「なら、もう迷う余地はありませんね」

その声はひどく静かだった。

怒鳴らない。

泣かない。

けれどその静けさの底で、何かが完全に固まったのが分かった。

一方、小部屋の寝台で、オルフィナは震えながら毛布を掴んでいた。

助けてほしい。

誰かに。

姉にでも、王太子にでも、誰でもいい。

そう思った時にはもう、自分がどれほど追い詰められているかを認めてしまっていた。

切り捨てられるべき女。

その札が、自分の額に貼られた音を、オルフィナはようやく聞いたのだった。
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