姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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21話 泣きながらの証言

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21話 泣きながらの証言

保護施設の朝は、驚くほど静かだった。

オルフィナはほとんど眠れないまま夜を明かした。

薄い毛布にくるまっても寒気は消えず、目を閉じれば、店先へ突っ込んできた荷馬車の車輪が何度もよみがえる。砕ける音。悲鳴。自分の腕を掴んだ見知らぬ男の手の強さ。あれがほんの少しずれていたら、今ごろ自分は血まみれで道に転がっていたかもしれない。

その想像だけで、胃の奥がきりきりと縮んだ。

朝になって運ばれてきたぬるい茶にも、ほとんど手をつけられなかった。

豪奢な私室ではない。香油の匂いもしない。窓辺に花もない。ただ、白い壁と質素な寝台、机、椅子だけがある。静かで、安全なはずなのに、オルフィナにはそこが棺桶のように思えた。

自分はもう、守られる側ではない。

そう思い知らされる場所だったからだ。

扉が叩かれたのは、昼前だった。

びくりと肩を震わせたオルフィナは、返事をするより先に毛布を握りしめた。

入ってきたのは昨日の文官と、もう一人。

王宮側の記録官らしい若い男だった。どちらも感情を表に出さない顔をしている。

「オルフィナ嬢」

昨日の文官が静かに言う。

「体調はいかがですか」

そんなことを聞かれても、とオルフィナは思った。

良いわけがない。

殺されかけた翌日に、何をどう答えればいいのか。

「……最悪ですわ」

掠れた声でそう言うと、文官はただ一度だけ頷いた。

「でしょうね」

慰めはない。

けれどそのぶっきらぼうさが、かえっていまのオルフィナにはましだった。

やさしい言葉を向けられたら、かえって泣き崩れてしまいそうだったからだ。

文官は机の前の椅子を引いた。

「お話を伺いたい」

それを聞いた瞬間、オルフィナの喉がきゅっと縮んだ。

来ると思っていた。

こうなることは分かっていた。

自分がここへ匿われたのは、ただ守るためではない。知っていることを吐かせるためだ。

「……嫌よ」

思わず漏れた拒絶に、若い記録官が視線を上げる。

文官は表情を変えなかった。

「何がですか」

「そんなの、私を利用するつもりでしょう」

自分で言っていて、みじめだと思った。

つい昨日まで、自分は利用する側だと、少なくとも勝つ側にいると思っていたのに。いまや誰の前でも、自分が何に使われるのかを怯えている。

文官は静かに答える。

「利用ではありません。確認です」

「同じことですわ」

「違います。あなたは昨夜、殺されかけた」

オルフィナの肩がこわばる。

文官は続けた。

「その理由に心当たりがあるなら、それを話していただきたい」

部屋の空気が重く沈む。

オルフィナは膝の上で指を絡めた。

言えば終わる。

全部。

ゼルカインとのことも、伯爵家のことも、自分が見たものも、知ってしまったことも。

けれど、言わなければどうなるのか。

また殺されるのではないか。

それとも、ここから放り出されるのか。

不安と恐怖と屈辱が入り混じり、胸の中がぐちゃぐちゃだった。

「……私、騙されていたの」

ようやく絞り出した声は、ひどく弱かった。

文官も記録官も何も言わない。

ただ続きを待っている。

その沈黙が耐えられなくて、オルフィナは早口になった。

「私、何も知らなかったのよ。最初はただ、ゼルカイン様が優しくて、色々贈ってくださって、それで……」

言いながら、自分でその言葉の薄さが分かる。

最初はそうだった。

でも今はもう、それだけではない。

けれど認めたくなくて、オルフィナはさらに続けた。

「少し変だと思ったことはあったけれど、でも、まさかこんな……こんな恐ろしいことになっているなんて思わなかったの」

文官が初めて口を挟む。

「少し変だと思ったのは、いつ頃ですか」

問いがあまりに具体的で、オルフィナは一瞬言葉を失った。

いつ頃。

そんなの、あの日だ。

奥の廊下で、あの部屋を覗いた時。

机の上の金貨と、型と、薬液を見た時。

ゼルカインの冷たい声を聞いた時。

そこまで思い出してしまった途端、目の奥が熱くなった。

「……その……」

「覚えていませんか」

「覚えているわ!」

思わず大きな声が出た。

すぐに自分で驚く。

文官は表情ひとつ変えない。

「では、話してください」

逃げ道のない言い方だった。

オルフィナは唇を噛み、うつむいた。

どうしてこんなことに。

どうして自分が、こんな惨めに泣きながら話さなければならないの。

悪いのは伯爵家だ。

ゼルカインだ。

自分をこんな立場にしたのは、全部向こうなのに。

その思いが、逆に彼女の口を軽くした。

「……見てしまったのよ」

かすれた声で言う。

「伯爵家の奥で。金貨と、変な型と、薬みたいなものを。話も聞いたわ。私が使いすぎるとか、目立ちすぎるとか……」

記録官の羽根ペンが紙を走る音がする。

それがいやに耳についた。

「それは、どなたの会話でしたか」

「ゼルカイン様と、知らない男たち」

「内容は」

「王宮がどうとか、景気がいいと思わせるとか……」

そこでオルフィナははっとして口をつぐんだ。

言いすぎた、と一瞬思う。

だがもう遅い。

記録官は全部書いている。

文官はそのわずかな逡巡さえ見逃さなかった。

「そこで、あなたは伯爵家が不正な金を扱っていると理解したのですね」

「……」

「違いますか」

オルフィナの目から、ぽろりと涙が落ちた。

違わない。

違わないけれど、はいと答えたくなかった。

それでは、自分が“知ったうえで黙っていた”ことになる。

「私は……怖かっただけよ」

「怖かった」

「そうよ!」

オルフィナは顔を上げ、涙に濡れたまま訴える。

「だって、あんなもの見せられて、どうすればよかったの!? ゼルカイン様に逆らったらどうなるか分からなかったの! 私だって怖かったのよ!」

文官は静かに聞いている。

その静けさに焦れて、オルフィナはさらに言葉を重ねた。

「それに、私はただ……言われた通りに、贈られたものを受け取って、使っていただけで……!」

その瞬間、部屋の空気が変わった。

文官の目が、初めてわずかに冷たくなる。

「言われた通り、ですか」

「え、ええ」

「では、これもですか」

文官は懐から一枚の紙を取り出した。

見覚えのある紙だった。

オルフィナの顔から、さっと血の気が引く。

自分の筆跡。

香油商への追加注文控え。

そして隅に書き込んだあの言葉。

“前のより明るく見えるものを。中身より見た目が大事ですもの”

「……どうしてそれを」

「質問しているのはこちらです」

文官の声は平坦だった。

「あなたは言われた通りに動いただけだと主張した。ではこの筆跡は何ですか」

オルフィナは息を呑む。

記録官のペン先が止まったまま、こちらを見ている。

逃げられない。

「それは……」

「“前の袋と同じでお願い”とも書いている」

二枚目。

さらに三枚目。

オルフィナの自筆の控えが、机の上に一枚ずつ置かれていく。

そのたびに、彼女の中で何かが崩れていった。

「重さは気にしない、誰も見ない、見栄えのする方を先に。これは脅されて書いた文面ですか」

「ち、違うの……」

「違う?」

「私、そんなつもりじゃ」

「では、どういうつもりでした」

問い詰める口調ではなかった。

むしろ淡々としている。

だからこそ、その言葉は逃げ場なくオルフィナへ刺さった。

どういうつもり。

そんなの決まっている。

綺麗に見せたかったのだ。

皆に羨ましがられたかった。

姉より上だと見せつけたかった。

それを認めたくなくて、オルフィナは顔を覆った。

「……っ、私は……」

涙が次々に落ちる。

みっともないと分かっている。

けれど、もう取り繕うだけの余裕がなかった。

「私は、ただ……もっと、持っていたかったの……」

それは告白だった。

醜くて、小さくて、でも本物の。

文官は短く息を吐いた。

軽蔑とも同情ともつかない、乾いた呼吸だった。

「つまり、知らなかったのではなく、知ったあとも利益を手放さなかった」

「違う……違わない、けど……」

「どちらですか」

「……」

オルフィナは答えられなかった。

答えたくないのに、答えはもう自分の中にある。

知っていた。

怖かった。

でも、やめなかった。

金が欲しかったから。

華やかさを失いたくなかったから。

姉に勝ったままでいたかったから。

その沈黙が、何より雄弁だった。

文官はそこで追及を止めた。

代わりに、少しだけ声の調子を変える。

「あなたが被害者である部分はあります」

オルフィナが顔を上げる。

「……本当?」

その問いは、あまりにも哀れだった。

何か一つでいいから、自分に救いがあると言ってほしかったのだろう。

だが文官はすぐに続けた。

「昨夜殺されかけた件については、そうです」

その言葉に、オルフィナの目が大きく揺れた。

「ですが」

文官の声は変わらない。

「偽金の流通に関してまで、あなたが完全な被害者だとは見なせません」

一瞬、呼吸が止まる。

それから、オルフィナはぶるぶると首を振った。

「そんな……そんな言い方……」

「事実です」

「私は利用されただけなのに!」

「利用された」

文官は繰り返す。

「はい。あなたは利用された」

その言葉に、オルフィナの中で小さく希望が灯る。

やはりそうだ。

やっぱり自分は被害者なのだ。

そう縋りつこうとした次の瞬間、文官は容赦なく言った。

「しかし同時に、あなたはその利用を喜んで受け入れていた」

希望が、音もなく潰れた。

オルフィナは口を開けたまま固まり、それから泣き出した。

最初は嗚咽を堪えようとした。

でも無理だった。

肩が震え、息が乱れ、醜い泣き声が部屋に広がる。

文官も記録官も何も言わない。

慰める者は誰もいない。

そのことが、いっそうオルフィナを惨めにした。

しばらくして、ようやく泣き声が少し落ち着いた頃、文官は静かに言った。

「伯爵家と偽造ギルドについて、知っていることをすべて話していただきます」

オルフィナは涙で濡れた顔を上げた。

「……話したら、助けてくださるの?」

文官は少しだけ間を置いた。

その間が、ひどく長く感じられた。

「あなたの身柄は、引き続き保護されます」

それは答えではあっても、欲しい答えではなかった。

助かるとは言わない。

罪が消えるとも言わない。

ただ、今すぐ殺されることはないと告げただけだ。

オルフィナはその事実に、またじわじわと涙をこぼした。

それでも、もう話すしかなかった。

伯爵家のこと。

ゼルカインが見せた冷たい顔。

夜会の招待客。

奥の部屋で見たもの。

自分が頼んだ品々。

気づいた違和感。

それを、見ないふりしていたこと。

全部。

一方その頃、別室ではディルハルトとルヴェリアが簡潔な報告を受けていた。

「泣きながらですが、話し始めています」

文官の補佐がそう告げる。

「ただし一貫して、“自分は騙されていただけ”と主張しています」

ルヴェリアは目を閉じた。

想像通りだった。

そう言うだろうと思っていた。

そして伯爵家側もまた、そこを逆手に取るだろうとも。

「控えは見せたのですね」

「はい。かなり動揺しています」

ディルハルトが短く問う。

「積極的に使っていた件は」

「否定しきれていません」

「そうか」

そこで報告は終わった。

文官が下がり、部屋に静けさが戻る。

ルヴェリアは窓の外を見た。

保護された義妹は泣いている。

伯爵家に切り捨てられ、ようやく自分が何だったのかを知ったのだろう。

哀れだとは思う。

けれど、それだけでは済まない。

市場で困っていた人たちの顔が、ルヴェリアの中ではそれ以上に重かった。

「……やはり」

ディルハルトが視線を向ける。

「何だ」

「泣けば済むと思っているのですね、あの子は」

自分でも驚くほど冷たい声だった。

ディルハルトは否定しない。

ただ静かに言う。

「泣きたくもなるだろう。だが、それと罪は別だ」

ルヴェリアはゆっくり頷いた。

「ええ」

それだけだった。

姉としての情が消えたわけではない。

だが、それを理由にして見誤るつもりも、もうなかった。

オルフィナは殺されかけた。

その点では確かに被害者だ。

けれど、その前に彼女は、自分の欲のために偽金の流れへ手を伸ばした。

両方とも本当なのだ。

その両方を、これから裁かなければならない。

ルヴェリアは静かに目を伏せた。

泣きながら話している義妹の声は聞こえない。

それでも、すぐ近くにいる気配だけは伝わってくる。

近いのに、もう昔のようには届かない。

その距離を感じながら、ルヴェリアは心の中でただ一つだけ思った。

――もう、あなたの涙では動かないわ。
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