姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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23話 一斉摘発

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23話 一斉摘発

夜明け前の王都は、まだ眠っているように見えた。

空は白みきらず、石畳には夜露が薄く残っている。普段なら荷馬車の音が混じり始める時刻だが、その朝は不思議なほど静かだった。

静かすぎた。

まるで街そのものが息を潜めているような、張りつめた静けさだった。

アストラーデ公爵家の窓辺に立つルヴェリアは、その空気の違いを肌で感じていた。

後ろではエミリアが、外套の襟を整えながら小さく言う。

「始まるのですね」

「ええ」

ルヴェリアは窓の外から目を離さなかった。

「もう、始まっている頃でしょうね」

今朝、王太子ディルハルトの命で、一斉摘発が実行される。

対象は三つ。

ヴォルゼック伯爵家の王都屋敷。

偽造ギルドが出入りしていると見られる河岸の工房と倉庫。

そして、偽金の洗浄に使われた疑いのある関係商会。

これまで積み上げてきた帳簿の綻び、夜会の招待客のつながり、河岸の搬出記録、義妹の控え、保護下にあるオルフィナの証言。

全部を束ね、ようやくこの朝に辿り着いたのだ。

ルヴェリアは静かに息を吐く。

ここから先は、もう仮説ではない。

実際に扉がこじ開けられ、隠されてきたものが日の下へ引きずり出される。

その現場に、自分が立つことはない。

けれど、見たくないとも思わなかった。

見なければならないものが、ようやく表へ出てくるのだから。

「殿下からは」

エミリアが問いかける。

「後ほど王宮へ、とだけ」

「そうでしたか」

「ええ。結果が出次第、呼ばれるわ」

それ以上の言葉は要らない。

ディルハルトが無駄に感情を煽る言い方をしないことを、ルヴェリアはもうよく知っていた。

だからこそ、その簡潔さの裏にある緊張も分かる。

今日失敗すれば、伯爵家は証拠を焼き、商会は帳簿を消し、偽造ギルドは地下へ潜るだろう。

二度目はない。

そのくらいの覚悟で動いているはずだった。

しばらくして、遠くで鐘がひとつ鳴った。

王都の朝を告げる鐘。

けれど今日それは、ルヴェリアには合図のように聞こえた。

その頃、ヴォルゼック伯爵家の王都屋敷では、表門の前に重い足音が集まり始めていた。

王宮直属の兵と、財務局、王都監督局の立会人。

さらに、封印用の文書箱を持った書記官たち。

門番が異変に気づいて慌てて出てきた時には、もう遅かった。

先頭に立つ王宮側の監督官が、冷ややかな声で告げる。

「王太子ディルハルト・セレスティア殿下の命により、ヴォルゼック伯爵家の屋敷、書類庫、地下保管庫、帳場、関連倉庫に対する強制捜索を執行する」

門番の顔が引きつる。

「な、何かの間違いでは……」

「間違いかどうかは、中を見れば分かる」

文書が突きつけられ、王家の封蝋が朝の光に鈍く光る。

門番はもう何も言えなかった。

屋敷の中では、異変はすぐに広がった。

使用人たちが顔色を変え、侍女が悲鳴を呑み込み、奥から出てきた執事が必死に平静を装う。

だが兵たちは迷わなかった。

表の応接間を押さえ、奥の帳場を封じ、書類庫へ向かう人間の流れを断つ。

逃げようとした若い使用人が一人、裏廊下で取り押さえられる。

別の男は、書類束を炉へ投げ込もうとして腕を掴まれた。

「離せ!」

「証拠隠滅の現行だ」

乾いた怒声が響く。

積み上げられていた帳簿箱が次々に開けられ、封がされる。

一見すれば普通の商取引記録にしか見えない帳面。

だが、ルヴェリアが見つけた“端数の癖”を知る者たちには、もうそれがただの数字には見えなかった。

一方、河岸ではさらに荒っぽい押収が進んでいた。

倉庫の扉がこじ開けられ、積まれた木箱が次々と開封される。

中から出てきたのは金属材、鋳型、薬液瓶、刻印用具、そして粗布の下へ巧妙に隠された半加工の金貨。

「見つけたぞ!」

兵の声が響く。

立会人がすぐに記録へ回り、書記官が目録を書きつける。

別の工房では、壁の裏に隠された空間まで見つかった。

そこには、小型の炉、金属片、削りかけの貨幣、試し打ちの刻印板。

もう言い逃れはできない。

それは職人の道具ではなく、偽造の現場そのものだった。

だが、それだけでは終わらない。

王都の南側にある小さな金融商会では、帳場役の男が裏口から逃げようとして捕まった。

袖の内側には小さな鍵束、懐には焼きかけのメモ。

「放せ! 私はただの会計係だ!」

「ただの会計係が、なぜ帳簿を持って逃げる」

男は青ざめ、何も言えなくなる。

その手から落ちた帳面には、複数の商会名の横に同じ印が繰り返し書き込まれていた。

洗浄先。

中継先。

夜会参加者の家名。

その一覧は、これまで別々に見えていた点が、ひとつの裏帳簿で繋がっている証拠だった。

王宮へ呼ばれたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

ルヴェリアはエミリアを伴い、静かな足取りで執務棟へ向かった。

案内の文官は言葉少なだったが、表情に張りつめたものがある。

部屋の扉が開くと、ディルハルトが立っていた。

机の上には、すでにいくつもの報告書と押収目録が積まれている。

彼はルヴェリアを見ると、ただ一言だけ告げた。

「押さえた」

それだけで十分だった。

ルヴェリアは静かに頷く。

「そう」

「河岸の工房、倉庫、関係商会、そして伯爵家の帳場。全部だ」

声は落ち着いている。

だが、その奥にある緊張がまだ完全には解けていないのが分かる。

一斉摘発は成功した。

けれど、それはゴールではなく、ここから本格的に罪を固める始まりなのだ。

ディルハルトは報告書を一枚差し出した。

「見てくれ」

ルヴェリアが受け取る。

そこには簡潔な文字で、押収物が並んでいた。

偽貨幣鋳造用の型。

表層メッキ用薬液。

未完成貨幣。

流通先記録帳。

複数商会の裏決済一覧。

ヴォルゼック伯爵家名義の秘密帳簿。

指先が紙の端を押さえる。

証拠だ。

言い逃れではなく、本物の証拠。

偽造ギルドの存在も、伯爵家との結びつきも、もう噂では済まない。

「伯爵一族は」

ルヴェリアが問う。

ディルハルトはすぐに答えた。

「主要な者は拘束済みだ。伯爵本人、会計責任者、王都屋敷の執事、それに表向きの商会主をしていた人間も数名」

「ゼルカインは」

その名を口にした瞬間、部屋の空気がわずかに変わる。

ディルハルトは短く言った。

「逃げようとした」

ルヴェリアの目が細くなる。

「やはり」

「裏口へ回ったが、先に押さえさせていた。観念はしていない」

それを聞いて、ルヴェリアの胸の奥で何かが静かに沈んだ。

あの男らしいと思った。

最後まで優雅に捕まるような人間ではない。

出口があるならそこへ向かう。

笑顔が通じないと分かれば、すぐに逃げ道を探す。

愛だの格式だのを語っていても、結局は自分だけ助かろうとする男なのだ。

「伯爵家の中はどうでしたか」

「予想以上に整っていた」

ディルハルトは淡々と報告する。

「表向きの書類は整理され、焼却も一部始まっていた。だが間に合わなかった。地下保管庫から、二重帳簿がまとまって出た」

「二重帳簿……」

「君の見た“綻び”の元だ。あれが一本にまとまっている」

ルヴェリアは目を伏せた。

これで、ようやく全部が繋がる。

夜会の華やかさ。

義妹の浪費。

市場の値上がり。

河岸の流れ。

帳簿の端数。

全部。

一つの巨大な仕組みとして、ヴォルゼック伯爵家の下へ束ねられていたのだ。

その時、別室から文官が早足で入ってきた。

「殿下」

「何だ」

「伯爵家の奥から、印章偽造に使われた台座も出ました。過去数年分のものと見られます」

ディルハルトの目が鋭くなる。

「……過去数年」

「はい。偽金だけでなく、証文改ざん、通行証偽造、倉庫証明の差し替えにも関与していた可能性があります」

ルヴェリアは息を呑んだ。

やはり、ただの偽金事件ではなかったのだ。

偽造ギルド。

その名にふさわしい、もっと広い腐敗が伯爵家の裏には巣食っていた。

文官が下がったあと、部屋にしばし沈黙が落ちる。

ルヴェリアが先に口を開いた。

「……思っていたより、ずっと深い」

「そうだな」

ディルハルトも否定しない。

「王都の景気を乱して終わる話ではなかった。もっと前から、もっと広く、仕組みそのものに食い込んでいたらしい」

ルヴェリアはゆっくりと息を吐いた。

自分が婚約していた家は、ここまで腐っていたのか。

あの屋敷で交わした言葉も、見せられた笑顔も、全部この腐敗の上に成り立っていたのかと思うと、吐き気に近いものすらあった。

けれど、不思議と後悔はしない。

婚約を奪われたことも、結果としてはこの闇から自分を切り離すきっかけになったのだから。

ディルハルトが静かに言う。

「君の違和感がなければ、ここまで辿り着くのはもっと遅れた」

ルヴェリアは首を横に振る。

「私一人では無理でした」

「だが最初に見つけたのは君だ」

その言葉に、ルヴェリアは一瞬だけ視線を落とした。

褒められることにまだ慣れない。

けれど今は、前ほど困らなかった。

「……それでも、まだ終わりではありません」

「もちろんだ」

ディルハルトは机上の別の書類へ手を置いた。

「ここからは伯爵家の言い逃れを潰す段階だ。押収物だけでなく、人の口も要る」

「オルフィナ」

「そうだ」

その名を聞き、ルヴェリアの表情がわずかに硬くなる。

義妹はいま、自分が切り捨てられた被害者だと泣いている。

けれど今日の一斉摘発で、伯爵家側は逆に、彼女を便利な尻尾として差し出してくるだろう。

全部あの女が勝手に使ったことだ。

我々は知らなかった。

そう言うに決まっている。

「証言を固めなければ」

ルヴェリアが呟く。

ディルハルトは頷いた。

「伯爵家が崩れた今、次は責任の押しつけ合いになる。そこで誰が先に誰を売るかだ」

ルヴェリアは机の端へ手を置いた。

一斉摘発は成功した。

けれど、ここからが本当に醜いのだ。

愛を囁いていた男が、義妹を切る。

利用されていたと泣く義妹が、自分だけ助かろうとする。

伯爵一族が、偽造ギルドを末端だけの犯罪者に見せかける。

その泥の投げ合いの中で、本当に必要なのは、揺らがない証拠と、揺らがない目だ。

ディルハルトがふと問いかける。

「見に行くか」

「どこへ」

「押収品だ。まだ整理の途中だが」

ルヴェリアは少しだけ驚いた。

だが、すぐに答える。

「行きます」

彼に案内されて入った保管室には、木箱がいくつも並んでいた。

封がされ、札が付けられ、番号順に積まれている。

一つ目の箱には鋳型。

二つ目には薬液瓶。

三つ目には未完成の貨幣。

四つ目には、複数商会の裏帳簿。

五つ目には、偽造印章。

ルヴェリアはその前で立ち止まった。

これが、王都を苦しめてきた実物。

市場の値札を押し上げ、パンの数を減らし、人を消し、義妹をも飲み込んだもの。

ただの道具なのに、ひどく不快な気配を持っているように見えた。

「……終わりではないけれど」

ルヴェリアが小さく言う。

「ようやく、本当に掴んだのですね」

ディルハルトは隣で静かに答えた。

「ああ」

その短い返事に、ルヴェリアは少しだけ目を閉じた。

達成感ではない。

安堵とも少し違う。

もっと静かで、重い感覚だった。

逃げていくばかりだった影に、ようやく手が届いた。

それだけで十分だった。

外へ出ると、王都の空はすでに夕方へ傾いていた。

朝の張りつめた静けさは消え、代わりに街のあちこちで噂が立ち始めているのだろう。

ヴォルゼック伯爵家が捜索を受けた。

河岸で工房が押さえられた。

偽金の元が見つかったらしい。

そんなざわめきが、これから王都全体へ広がっていくはずだ。

ルヴェリアは空を見上げた。

そして静かに思う。

もう、伯爵家の栄華は終わったのだと。

けれどその瓦礫の下から、まだどれだけの醜いものが這い出してくるのか。

それを見届けるところまで、立ち止まるつもりはなかった。
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