姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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28話 逃げ道のない証拠

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28話 逃げ道のない証拠

ゼルカインの証言が終わったあと、審問室には奇妙な静けさが残っていた。

先ほどまであったざわめきさえ、今は薄く遠い。

誰もが理解したからだ。

ここで争われているのは、もはや“偽金があったかなかったか”ではない。

誰がどこまで知っていたか。

誰がどの瞬間に、自分の意思で手を伸ばしたか。

そして、誰が今になって自分だけ助かろうとしているか。

その醜さそのものが、いま公の場に晒されている。

記録官が紙を整える音だけが、妙にはっきり聞こえた。

やがて裁定官が口を開く。

「オルフィナ・アストラーデに関する追加証拠を示せ」

その言葉に、ルヴェリアは背筋をわずかに伸ばした。

ここからだ、と思った。

ゼルカインがどれほど彼女を切ろうと、それがただの一方的な責任転嫁であれば、まだ逃げ道は残る。

だが今日は違う。

もう、逃がさないための紙が揃っている。

記録官が最初に掲げたのは、商人側の控えだった。

「高級香油商、ルクレール商会より提出された控え。オルフィナ・アストラーデの追加注文記録」

紙が広げられる。

読み上げられる。

“前のより明るく見えるものを。中身より見た目が大事ですもの”

すでに一度出た言葉だ。

だが今度は、商人側が保管していた控えと照合された正式資料として読み上げられる。

つまり、ただの個人的な走り書きではない。

実際の取引指示として残っていた証拠だ。

傍聴席の空気が重くなる。

次に出されたのは、宝飾商側の請求控え。

「こちらは購入額と支払い額の差異を示すものです」

財務局の担当官が前に出た。

「通常の宝飾取引であれば、提示額と請求額がこれほど繰り返し食い違うことはありません。しかしオルフィナ・アストラーデの取引では、毎回のように別口の金額が混在している」

「その意味は」

裁定官が問う。

担当官は迷わず答えた。

「彼女の買い物を表の顔にして、別の資金移動をその裏へ滑り込ませていたということです」

室内がざわつく。

だが今回は、ただの憶測ではない。

数字がある。

日付がある。

複数店の控えが一致している。

ルヴェリアは静かにそれを聞いていた。

義妹の買い物は、ただ愚かな浪費ではなかった。

実際に、偽金や裏資金を“自然な支払い”に見せるための覆いとして使われていたのだ。

しかも、それを本人がまったく知らなかったとは、もう言えない。

なぜなら次の証拠があるからだ。

記録官が新しい紙を示す。

「オルフィナ・アストラーデ自筆の指示書」

そこには、丸く甘い筆跡で書かれていた。

“今夜の客には、惜しげなく使っているように見せたいの。前の袋と同じでお願い”

裁定官の眉がわずかに動く。

「前の袋、とは何だ」

今度は王宮側で取り調べを担当した文官が答える。

「商人側の証言によれば、オルフィナ・アストラーデは支払い用の袋を何度か指定しておりました。中には重さと手触りの違いを感じる品が混ざっていたと、複数の店が証言しています」

「その時点で、彼女は違和感を認識していたと」

「少なくとも、“普通ではない”と気づいていた可能性は極めて高いと判断いたします」

可能性、ではなく、もうほとんど確定だった。

ルヴェリアはそう思った。

そして、その証拠はまだ終わらない。

次に持ち出されたのは、保護下に置かれたオルフィナの供述調書の抜粋だった。

文官が静かに読み上げる。

“伯爵家の奥で、金貨と型と薬液を見た”

“その時に少しおかしいと思った”

“でも、何もかも失いたくなかった”

傍聴席で、誰かが息を呑んだ。

そこにはもう、完全な被害者の余地はなかった。

見た。

おかしいと思った。

それでも手放さなかった。

言葉にすれば、あまりにも単純だ。

だが、その単純さこそが逃げ道を潰す。

オルフィナは完全に何も知らなかったわけではない。

脅されて書かされたわけでもない。

自分で見て、自分で違和感を抱き、自分で欲を選んだ。

それが全部、証拠と供述で繋がってしまったのだ。

そして、最後の一枚が出された。

それは、伯爵家から押収された口止め用の裏帳簿の写しだった。

「こちらには、オルフィナ・アストラーデへ渡された追加資金と、その後の支払い調整が記されています」

担当官が紙を示す。

「摘要欄にはこうある。“余計なことを言わぬよう、袋を増やす”」

審問室の空気が、一気に冷え込んだ。

ルヴェリアの指先が、膝の上でわずかに固くなる。

口止め料だ。

しかも、それが支払い記録として残っていた。

オルフィナが黙る見返りに、さらに金を渡されていた。

つまり伯爵家側ですら、彼女が“何も知らない無垢な婚約者”ではなかったと認識していたことになる。

裁定官が低く問う。

「これでもなお、彼女は騙されていただけだと言えるか」

誰もすぐには答えなかった。

答えは明らかだからだ。

やがてディルハルトが静かに言う。

「騙された部分はあるでしょう」

その一言で、室内の視線が集まる。

「だが、それと積極的関与は両立します」

声は冷静だった。

「彼女は利用された。しかし利用されながら、自らも利益を求め、見せびらかしを求め、違和感を知った後もやめなかった」

ルヴェリアはその言葉を聞きながら、心の中で静かに頷いた。

そうだ。

それが一番正確だ。

義妹は哀れだ。

けれど、哀れであることと無罪であることは別だ。

次の瞬間、側扉の向こうから激しい物音がした。

今度は誰の耳にもはっきり聞こえる。

椅子が倒れ、誰かが何かを叫んでいる。

オルフィナだ。

ついに、自分の最後の逃げ道が塞がれたのだろう。

「離して!」

泣き叫ぶ声が漏れる。

「私は、そんなつもりじゃ……! 私はただ、少し贅沢がしたかっただけで……!」

その声は痛々しかった。

けれど同時に、ひどく空虚でもあった。

少し贅沢がしたかっただけ。

それだけで済まないところまで、彼女は自分で歩いたのだから。

衛士が押さえたのか、やがて声は遠のいた。

審問室の誰も、それを止めなかった。

止める理由がないからだ。

もう言い逃れは潰れた。

証拠が全部、オルフィナの“被害者のふり”を剥がしてしまった。

ゼルカインはその一連のやり取りを、無表情のまま見ていた。

だがルヴェリアには分かった。

内心では安堵しているのだろう。

自分の言葉だけではなく、証拠がオルフィナを縛ってくれたことに。

本当に卑しい、とルヴェリアは思った。

自分が切り捨てた相手が、ちゃんと沈んでいくのを確認して、そこでようやく安心する。

そのくせ、自分はまだ完全には沈んでいないつもりでいる。

けれど、彼もまた間違っている。

オルフィナの逃げ道が消えたのと同じように、ゼルカインの逃げ道ももうほとんど残っていないのだから。

裁定官は机上の紙を整え、はっきりと告げた。

「オルフィナ・アストラーデについては、完全な無知による巻き込まれではなく、違和感と不正の一端を認識した後も、見栄と利益のために流通拡大へ積極的に加担した疑いが強い」

その一文が、重く落ちる。

正式な判決ではない。

だが位置づけは定まった。

もう誰も、彼女をただの可哀想な娘とは言えない。

ルヴェリアは静かに息を吐いた。

終わった、と思った。

義妹をかばう余地が、今ここで完全になくなったのだ。

少しだけ痛い。

けれど、曖昧なまま残るよりはずっといい。

その時、ディルハルトが視線だけでこちらを見た。

何も言わない。

だがその目には、確認があった。

――大丈夫か。

言葉にしないのが、この人らしい。

ルヴェリアはほんのわずかに頷いた。

大丈夫だ、と。

そう答えられたのは、自分でも少し意外だった。

完全に傷ついていないわけではない。

けれど、真実がはっきりしていくことの方が、もうずっと大事なのだ。

記録官が次の書類を準備し始める。

審問はまだ終わらない。

だが、ここで一つの大きな区切りがついた。

オルフィナの涙は、もう盾にならない。

そしてこのあと来るのは、判決前夜へ向けて、すべての責任が固まっていく流れだ。

誰が何を失うのか。

どれだけ見苦しく足掻くのか。

その結末が、もうすぐ目の前まで来ていた。
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