公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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第9話 最初の壁

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第9話 最初の壁

 学院が正式に開校してから三か月。

 制度は滑り出しこそ順調だったが、やがて見えなかった綻びが表面に現れ始めた。

 最初の壁は、学問ではなかった。

 慣習だった。

 参加家は十を超え、それぞれが異なる家風と規律を持っている。

 食事の時間、起床の時間、使用人への接し方、礼の作法。

 家庭では当然だったそれぞれの「常識」が、同じ屋根の下では衝突する。

 ある朝、寮の管理役が慌てた様子で報告に来た。

「令嬢様、朝食の席で揉め事が」

 私はすぐに現場へ向かった。

 長い食卓を挟み、二人の少年が睨み合っている。

「我が家では、長子が上座だ」

「ここは家ではない」

 声は震えているが、互いに引かない。

 私は静かに歩み寄った。

「ここは学院です」

 場が静まる。

「学院では、席は成績順です」

 少年たちは一瞬、戸惑った顔をする。

「だが、それでは家格が」

「家格は家で守るものです」

 私は穏やかに言う。

「ここで守るべきは、学ぶ秩序です」

 沈黙。

 不満は残る。

 だが、誰も反論はしなかった。

 私は胸の奥で息を整える。

 これが最初の壁。

 学問以前に、統一された規律という概念がこの国にはない。

 徒弟制度では師の家風に従う。

 修道院では修道会の規律に従う。

 だが学院は、そのどちらでもない。

 家でもなく、宗教でもない。

 第三の場。

 それが理解されるまで、時間が必要だ。

 その日の夕刻、私は講師陣と集まった。

「規律の明文化が必要です」

 私が告げると、年配の講師が頷いた。

「暗黙の了解では足りぬ」

「はい」

 私は机に広げた案を示す。

 起床、学習、食事、討論、就寝。

 時間割だけでなく、生活の規則も定める。

「自由を奪うのではありません」

 私は説明する。

「自由に学ぶための枠です」

 枠がなければ、秩序は崩れる。

 秩序がなければ、評価は信用されない。

 翌週、規律は正式に公布された。

 当然、反発はあった。

「我が家では許されぬ」 「なぜ夜の自習時間が定められている」

 私は一つ一つ説明する。

「全員が同じ条件で学ぶためです」

 公平。

 それは学院の根幹。

 だが、すべてが理屈で収まるわけではない。

 ある日、参加家の一つが子弟の一時帰宅を申し出てきた。

「家の重要な行事がある」

 私は父と相談する。

「どうする」

「原則は守るべきです」

「だが、完全に拒めば離脱もあり得る」

 私は少し考える。

「補講を条件に、特例とします」

「特例は前例になる」

「乱用は認めません」

 父はじっと私を見る。

「判断はお前に任せる」

 その言葉は、盾の重さを思い出させる。

 私はうなずいた。

「特例は記録し、基準を設けます」

 柔軟さと一貫性。

 両立は難しい。

 だが、避けては通れない。

 数日後、特例は受け入れられ、子弟は戻った。

 規律は崩れなかった。

 小さな成功。

 だが、その積み重ねが制度を強くする。

 夜、私は書斎で一人、窓を開けた。

 学院は学問の場である前に、社会の縮図だ。

 家格、誇り、慣習、感情。

 それらを調整する場。

 私はまだ若い。

 だが、この場を守る責任がある。

 父は盾である。

 だが、盾の影に隠れ続けるわけにはいかない。

 最初の壁は、崩れなかった。

 だが、乗り越えたとも言い切れない。

 制度は、試され続ける。

 私は静かに呟く。

「まだ始まったばかりですわ」

 学院は根を張りつつある。

 だが、土は硬い。

 ほぐすには、忍耐がいる。

 私はそれを知った。

 これが、本当の意味での開校だった。
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