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19話 令嬢の現実
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19話 令嬢の現実
男子学院の視察を終えた帰り、私は母の提案でとある侯爵家の午後の茶会に出席した。
名目は「令嬢同士の親睦」。
本当の目的は――現状観察。
女子教育の現実を、自分の目で見ること。
庭園は完璧に整えられていた。薔薇の剪定は寸分の狂いもなく、テーブルクロスは真っ白。令嬢たちは淡い色のドレスに身を包み、姿勢よく座っている。
美しい。
だが、どこか静かすぎる。
「最近は刺繍の新しい図案を学びましたの」
「まあ素敵」
「婚約者様に贈るのですか?」
微笑み。
柔らかな笑い声。
私は紅茶を口に運びながら、会話の流れを追う。
話題は刺繍、楽器、舞踏、料理。
そこに「歴史」も「法」も「経済」も出てこない。
決して彼女たちが愚かなわけではない。
教えられていないだけだ。
「レクチャラー様は、最近どのようなお勉強を?」
一人の伯爵令嬢が尋ねてきた。
好奇心はある。だがそれは社交辞令の延長に近い。
「数字と向き合っております」
私は答える。
「数字?」
「費用と成果の比較です」
彼女はきょとんとする。
「まあ……難しそうですわ」
難しそう。
それだけで、話題は終わる。
挑戦する前に閉じる。
私は穏やかに笑う。
「刺繍も同じでは? 糸の本数や色の配分を計算なさるでしょう?」
「あ……そうですわね」
少しだけ目が輝く。
理解できる形に変換すれば、興味は生まれる。
だがそれ以上は踏み込めない。
なぜなら彼女たちの時間は有限で、優先順位は決められているからだ。
家の名誉。
婚約。
良縁。
それが彼女たちの使命。
学問は飾りに過ぎない。
茶会の後半、母たちの席に目を向ける。
夫人たちは家の話をしている。
収穫量、税、仕官先、縁談。
彼女たちは理解している。
だが決定権は持たない。
母ビー・レッドが私に視線を寄越した。
何を考えているの、と。
私は軽く微笑む。
帰りの馬車の中。
「どうでした?」
母が静かに尋ねる。
「想像通りでした」
「退屈?」
「いいえ」
私は首を振る。
「もったいないと思いました」
母は窓の外を見たまま言う。
「私も昔、同じことを思いました」
母は政略結婚だった。
だが父は母に自由を与えた。
読書。
経済の話。
屋敷の運営への参加。
母はそれを活かした。
「知識があると、世界の見え方が変わるのです」
母は静かに言う。
「だからあなたは学院を」
「はい」
私は頷く。
「令嬢たちは愚かではありません。ただ、教えられていないだけです」
「教えれば変わる?」
「必ず」
私は迷いなく言う。
問題は――社会が許すかどうか。
屋敷に戻り、自室の机に向かう。
今日の観察を書き留める。
現行の令嬢教育内容。
時間配分。
家庭教師の科目。
許容されている範囲。
超えてはいけない線。
女子学院は、いきなり学問中心にはできない。
作法、舞踏、刺繍。
それらを否定しない。
その上に積む。
歴史を「家の伝統」と結びつける。
経済を「家計管理」として教える。
法を「婚約契約の理解」として提示する。
目的は隠す。
だが中身は変える。
私はペンを置いた。
今日、茶会で出会った伯爵令嬢の顔が浮かぶ。
数字の話に少し目を輝かせた彼女。
もし学ぶ機会があれば。
もし継続的に教えられれば。
きっと違う未来を選べる。
選択肢が増える。
それだけでいい。
私は誰かを革命家にしたいわけではない。
ただ、選べる状態にしたい。
窓の外、夜が静かに降りてくる。
この世界は男社会だ。
令嬢は家の資産。
所有物。
それが現実。
だが私は知っている。
父という例外が存在することを。
母という例外が存在することを。
例外は、制度になり得る。
時間はかかる。
反発もある。
それでも。
私は机の上の紙を整える。
女子学院。
まだ口にしない。
だが今日、確信した。
必要だ。
そして、実現可能だ。
ただし段階を踏めば。
焦らない。
積み重ねる。
令嬢の現実を見た。
だからこそ、私は動く。
静かに。
確実に。
男子学院の視察を終えた帰り、私は母の提案でとある侯爵家の午後の茶会に出席した。
名目は「令嬢同士の親睦」。
本当の目的は――現状観察。
女子教育の現実を、自分の目で見ること。
庭園は完璧に整えられていた。薔薇の剪定は寸分の狂いもなく、テーブルクロスは真っ白。令嬢たちは淡い色のドレスに身を包み、姿勢よく座っている。
美しい。
だが、どこか静かすぎる。
「最近は刺繍の新しい図案を学びましたの」
「まあ素敵」
「婚約者様に贈るのですか?」
微笑み。
柔らかな笑い声。
私は紅茶を口に運びながら、会話の流れを追う。
話題は刺繍、楽器、舞踏、料理。
そこに「歴史」も「法」も「経済」も出てこない。
決して彼女たちが愚かなわけではない。
教えられていないだけだ。
「レクチャラー様は、最近どのようなお勉強を?」
一人の伯爵令嬢が尋ねてきた。
好奇心はある。だがそれは社交辞令の延長に近い。
「数字と向き合っております」
私は答える。
「数字?」
「費用と成果の比較です」
彼女はきょとんとする。
「まあ……難しそうですわ」
難しそう。
それだけで、話題は終わる。
挑戦する前に閉じる。
私は穏やかに笑う。
「刺繍も同じでは? 糸の本数や色の配分を計算なさるでしょう?」
「あ……そうですわね」
少しだけ目が輝く。
理解できる形に変換すれば、興味は生まれる。
だがそれ以上は踏み込めない。
なぜなら彼女たちの時間は有限で、優先順位は決められているからだ。
家の名誉。
婚約。
良縁。
それが彼女たちの使命。
学問は飾りに過ぎない。
茶会の後半、母たちの席に目を向ける。
夫人たちは家の話をしている。
収穫量、税、仕官先、縁談。
彼女たちは理解している。
だが決定権は持たない。
母ビー・レッドが私に視線を寄越した。
何を考えているの、と。
私は軽く微笑む。
帰りの馬車の中。
「どうでした?」
母が静かに尋ねる。
「想像通りでした」
「退屈?」
「いいえ」
私は首を振る。
「もったいないと思いました」
母は窓の外を見たまま言う。
「私も昔、同じことを思いました」
母は政略結婚だった。
だが父は母に自由を与えた。
読書。
経済の話。
屋敷の運営への参加。
母はそれを活かした。
「知識があると、世界の見え方が変わるのです」
母は静かに言う。
「だからあなたは学院を」
「はい」
私は頷く。
「令嬢たちは愚かではありません。ただ、教えられていないだけです」
「教えれば変わる?」
「必ず」
私は迷いなく言う。
問題は――社会が許すかどうか。
屋敷に戻り、自室の机に向かう。
今日の観察を書き留める。
現行の令嬢教育内容。
時間配分。
家庭教師の科目。
許容されている範囲。
超えてはいけない線。
女子学院は、いきなり学問中心にはできない。
作法、舞踏、刺繍。
それらを否定しない。
その上に積む。
歴史を「家の伝統」と結びつける。
経済を「家計管理」として教える。
法を「婚約契約の理解」として提示する。
目的は隠す。
だが中身は変える。
私はペンを置いた。
今日、茶会で出会った伯爵令嬢の顔が浮かぶ。
数字の話に少し目を輝かせた彼女。
もし学ぶ機会があれば。
もし継続的に教えられれば。
きっと違う未来を選べる。
選択肢が増える。
それだけでいい。
私は誰かを革命家にしたいわけではない。
ただ、選べる状態にしたい。
窓の外、夜が静かに降りてくる。
この世界は男社会だ。
令嬢は家の資産。
所有物。
それが現実。
だが私は知っている。
父という例外が存在することを。
母という例外が存在することを。
例外は、制度になり得る。
時間はかかる。
反発もある。
それでも。
私は机の上の紙を整える。
女子学院。
まだ口にしない。
だが今日、確信した。
必要だ。
そして、実現可能だ。
ただし段階を踏めば。
焦らない。
積み重ねる。
令嬢の現実を見た。
だからこそ、私は動く。
静かに。
確実に。
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