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32話 舞踏会前夜
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32話 舞踏会前夜
舞踏会の前夜、王都は静かに浮き足立っていた。
屋敷の窓から見える街灯は、どこか普段よりも明るく見える。馬車の往来も増え、仕立て屋や宝飾店は最後の調整に追われていると聞く。
けれど、私の部屋は驚くほど静かだった。
鏡の前に立つ。
ドレスは深い群青。装飾は控えめだが、布の質と裁断で勝負する一着。過度な主張はしない。必要もない。
私は学院を創った。
それだけで十分に目立っている。
「緊張していらっしゃいますか」
控えていた母が、柔らかく問いかける。
「いいえ」
嘘ではない。
舞踏会そのものに緊張はない。ただ、明日の夜が一つの区切りになると、わかっているだけだ。
王太子殿下は、きっと来る。
そして、何かを確かめようとする。
婚約の再打診か。
あるいは、別の形の探りか。
いずれにせよ、私が言うことは変わらない。
決定権は父にある。
それがこの世界の規則。
そして今は、それを利用する。
母が私の髪を整えながら、ふと微笑む。
「あなたは、お父様に似ていますね」
「それは光栄です」
「似ているからこそ、危ういのかもしれません」
私は鏡越しに母を見る。
母は政略結婚で父の妻となった。
けれど父は、母に可能な限りの自由を与えた。社交も、読書も、慈善活動も。形式だけの妻ではなく、意思を持つ伴侶として扱った。
母はその自由に惹かれたのだと言う。
自由は、与える側の覚悟がなければ成立しない。
父はそれを知っている。
だからこそ、私に言った。
「世界はまだお前を許さない。お前がお前を許す世界を作るのだ。それまで私を盾にしろ」
私は盾を使っている。
堂々と。
父の名は、今の私にとって最大の防壁だ。
それを卑怯とは思わない。
戦略だ。
「お父様は、明日も前に立たれるのでしょうか」
「ええ。けれど必要がなければ、口は挟まないでしょう」
それもわかっている。
父は、私が自分で立てる場では立たせる。
そして、本当に危うい時だけ前に出る。
私は椅子に腰かけ、ゆっくりと息を吐く。
明日の舞踏会は華やかな夜になる。
けれど、私にとっては観測の場だ。
王太子殿下は何を望むのか。
王家は何を求めるのか。
保守派はどこまで揺らいでいるのか。
そして、私自身はどこまで譲れるのか。
女子学院は軌道に乗った。
男子との共通講義も成果を出している。
女子が論理で勝つ場面が増え、男子は負けじと努力する。
効率化という建前は機能している。
だが本当の狙いは別にある。
女が、学ぶこと。
女が、考えること。
女が、選ぶこと。
それを当たり前にする。
今はまだ、婚約に有利という名目が必要だ。
より条件の良い相手を射止めるための教養。
家が金を出す理由。
男社会で受け入れられる形。
だが、その中身は違う。
知識は武器になる。
思考は防具になる。
そして選択肢は、鎖を緩める。
私はまだ未来を知らない。
父のような転生者が他に現れるかもしれない。
世界が急に変わるかもしれない。
あるいは何も変わらないかもしれない。
わからない。
わからないから、未来という。
私はただ、その時その時で最良を選ぶ。
自分で終わらせられなくてもいい。
達成されるなら、それでいい。
ノックの音がする。
「お嬢様、公爵様がお呼びです」
父の書斎へ向かう。
扉を開けると、父は書類から顔を上げた。
「明日だな」
「ええ」
「怖いか」
「いいえ」
父は目を細める。
「強いな」
「強く見せているだけです」
「それで十分だ」
父は立ち上がり、私の前に来る。
「明日は好きにやれ。だが忘れるな。世界はまだお前を許さない」
「わかっています」
「許される世界を作るまでは、私を使え」
「はい」
一瞬、沈黙が落ちる。
私はふと笑う。
「お父様が、お父様でなければ、お父様に恋をしていたかもしれません」
父は吹き出す。
「光栄だね」
「お母様に嫉妬しそうです」
「彼女に自慢してもいいかな」
「恥ずかしいのでやめてください」
「そうだな、やめておこう」
軽口の裏にあるのは、確かな信頼だ。
私は守られている。
その現実を忘れない。
守られているからこそ、前に出られる。
書斎を出ると、夜風が少し冷たい。
空を見上げる。
星はいつも通り瞬いている。
世界は変わっていない。
けれど、学院は生まれた。
女子も学び始めた。
それだけで、昨日とは違う。
明日の舞踏会で、何が起きるかはわからない。
けれど私は踊るだろう。
笑顔で。
観測者として。
そして、必要ならば一歩だけ踏み込む。
未来は、まだ白紙だ。
だからこそ、書く価値がある。
私は静かに目を閉じ、明日の夜を思い描いた。
舞踏会の前夜、王都は静かに浮き足立っていた。
屋敷の窓から見える街灯は、どこか普段よりも明るく見える。馬車の往来も増え、仕立て屋や宝飾店は最後の調整に追われていると聞く。
けれど、私の部屋は驚くほど静かだった。
鏡の前に立つ。
ドレスは深い群青。装飾は控えめだが、布の質と裁断で勝負する一着。過度な主張はしない。必要もない。
私は学院を創った。
それだけで十分に目立っている。
「緊張していらっしゃいますか」
控えていた母が、柔らかく問いかける。
「いいえ」
嘘ではない。
舞踏会そのものに緊張はない。ただ、明日の夜が一つの区切りになると、わかっているだけだ。
王太子殿下は、きっと来る。
そして、何かを確かめようとする。
婚約の再打診か。
あるいは、別の形の探りか。
いずれにせよ、私が言うことは変わらない。
決定権は父にある。
それがこの世界の規則。
そして今は、それを利用する。
母が私の髪を整えながら、ふと微笑む。
「あなたは、お父様に似ていますね」
「それは光栄です」
「似ているからこそ、危ういのかもしれません」
私は鏡越しに母を見る。
母は政略結婚で父の妻となった。
けれど父は、母に可能な限りの自由を与えた。社交も、読書も、慈善活動も。形式だけの妻ではなく、意思を持つ伴侶として扱った。
母はその自由に惹かれたのだと言う。
自由は、与える側の覚悟がなければ成立しない。
父はそれを知っている。
だからこそ、私に言った。
「世界はまだお前を許さない。お前がお前を許す世界を作るのだ。それまで私を盾にしろ」
私は盾を使っている。
堂々と。
父の名は、今の私にとって最大の防壁だ。
それを卑怯とは思わない。
戦略だ。
「お父様は、明日も前に立たれるのでしょうか」
「ええ。けれど必要がなければ、口は挟まないでしょう」
それもわかっている。
父は、私が自分で立てる場では立たせる。
そして、本当に危うい時だけ前に出る。
私は椅子に腰かけ、ゆっくりと息を吐く。
明日の舞踏会は華やかな夜になる。
けれど、私にとっては観測の場だ。
王太子殿下は何を望むのか。
王家は何を求めるのか。
保守派はどこまで揺らいでいるのか。
そして、私自身はどこまで譲れるのか。
女子学院は軌道に乗った。
男子との共通講義も成果を出している。
女子が論理で勝つ場面が増え、男子は負けじと努力する。
効率化という建前は機能している。
だが本当の狙いは別にある。
女が、学ぶこと。
女が、考えること。
女が、選ぶこと。
それを当たり前にする。
今はまだ、婚約に有利という名目が必要だ。
より条件の良い相手を射止めるための教養。
家が金を出す理由。
男社会で受け入れられる形。
だが、その中身は違う。
知識は武器になる。
思考は防具になる。
そして選択肢は、鎖を緩める。
私はまだ未来を知らない。
父のような転生者が他に現れるかもしれない。
世界が急に変わるかもしれない。
あるいは何も変わらないかもしれない。
わからない。
わからないから、未来という。
私はただ、その時その時で最良を選ぶ。
自分で終わらせられなくてもいい。
達成されるなら、それでいい。
ノックの音がする。
「お嬢様、公爵様がお呼びです」
父の書斎へ向かう。
扉を開けると、父は書類から顔を上げた。
「明日だな」
「ええ」
「怖いか」
「いいえ」
父は目を細める。
「強いな」
「強く見せているだけです」
「それで十分だ」
父は立ち上がり、私の前に来る。
「明日は好きにやれ。だが忘れるな。世界はまだお前を許さない」
「わかっています」
「許される世界を作るまでは、私を使え」
「はい」
一瞬、沈黙が落ちる。
私はふと笑う。
「お父様が、お父様でなければ、お父様に恋をしていたかもしれません」
父は吹き出す。
「光栄だね」
「お母様に嫉妬しそうです」
「彼女に自慢してもいいかな」
「恥ずかしいのでやめてください」
「そうだな、やめておこう」
軽口の裏にあるのは、確かな信頼だ。
私は守られている。
その現実を忘れない。
守られているからこそ、前に出られる。
書斎を出ると、夜風が少し冷たい。
空を見上げる。
星はいつも通り瞬いている。
世界は変わっていない。
けれど、学院は生まれた。
女子も学び始めた。
それだけで、昨日とは違う。
明日の舞踏会で、何が起きるかはわからない。
けれど私は踊るだろう。
笑顔で。
観測者として。
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未来は、まだ白紙だ。
だからこそ、書く価値がある。
私は静かに目を閉じ、明日の夜を思い描いた。
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