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33話 華やかな夜
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33話 華やかな夜
王宮の大広間は、光に満ちていた。
幾重にも吊るされた燭台が、金の装飾を反射させ、磨き上げられた大理石の床に揺らめく影を落とす。天井画には歴代国王の戦勝と祝宴が描かれ、今日の夜もまた、その歴史の一枚に加えられるのだとでも言いたげだった。
舞踏会。
貴族社会における最も華やかで、最も政治的な場。
私はその入口に立ち、一瞬だけ目を細めた。
「お嬢様」
付き添いの侍女が小声で囁く。
「参りましょう」
「ええ」
背筋を伸ばす。
群青のドレスは、派手さこそないが確かな存在感を放っていた。宝石は最小限。首元に一粒、深い青の石。主張は布と姿勢で足りる。
私は踊りに来たのではない。
観測に来たのだ。
大広間に足を踏み入れた瞬間、いくつもの視線が集まる。
好奇、評価、警戒、羨望。
学院を創った公爵令嬢。
女子学院まで作ってしまった娘。
女のくせに学問を語る存在。
そして、王太子殿下が欲しがっていると噂の令嬢。
視線の質は様々だが、共通しているのは無視できない存在だという認識だ。
それでいい。
音楽が鳴り始める。
弦の響きが空間を満たし、貴族たちはゆるやかに動き出す。笑顔の裏に計算を隠しながら、言葉を交わし、距離を測る。
「レクチャラー嬢」
最初に声をかけてきたのは、若い伯爵令息だった。
「学院のご活躍、見事でございます」
「ありがとうございます。ご子息も来年から入学をご検討とか」
「ええ。妻が強く希望しておりまして」
妻が。
その一言に、私は小さく頷く。
女子学院の効果は、こうして静かに広がっている。
令嬢たちが学び、考え、家に戻り、母となり、助言者となる。
男たちは、気づかぬうちに影響を受ける。
それが底上げだ。
選ばれた者だけを磨くのではない。
全体を少しずつ上げる。
数曲が流れ、何人かと形式的に言葉を交わした頃、空気が微かに変わった。
ざわめきが一方向へと寄る。
王太子、ウォーク・アロング殿下の入場。
濃紺の礼装に身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿は、確かに王家の血を感じさせる。
無能ではない。
むしろ優秀だ。
だからこそ厄介でもある。
殿下の視線が、広間を一巡し、そして私のもとで止まる。
わかっていた。
今夜は、避けられない。
殿下は周囲の貴族と短く言葉を交わしながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
逃げる理由はない。
逃げる必要もない。
私は静かに一礼した。
「ご機嫌よう、殿下」
「ご機嫌よう、レクチャラー嬢」
声は穏やかだ。
だが、その奥に探る色がある。
「今宵は一段とお美しい」
「光栄に存じます」
形式的な言葉。
けれど周囲の耳は敏感だ。
王太子が誰を褒め、誰に近づくか。それだけで意味を持つ。
「一曲、よろしいかな」
断る理由はない。
断れば騒ぎになる。
受ければ観測できる。
私は手を差し出した。
「喜んで」
周囲が道を開ける。
視線が集中する。
音楽が変わる。
ゆったりとした三拍子。
殿下の手が私の背に触れる。礼儀に則った距離。過不足ない。
私は足を運ぶ。
ドレスの裾が床を滑る。
「学院は順調のようだね」
「おかげさまで」
「父上も高く評価しておられる」
「恐れ入ります」
無難な会話。
けれどこれは前座だ。
本題は別にある。
私は殿下の呼吸を読む。
少しだけ間を取り、言葉を選んでいる。
やがて殿下は、低く問いかけた。
「女子学院も、思いのほか成果を出している」
「努力の賜物ですわ」
「男たちが焦っている」
「良いことです」
私は微笑む。
「競争は、双方を高めます」
「女が男を高める、と?」
「女も男も、ですわ」
一瞬、殿下の口元がわずかに上がる。
楽しんでいる。
試している。
そして、迷っている。
踊りは続く。
広間の中央で、私は殿下と向き合いながら、静かに思う。
この夜は華やかだ。
だが、ただの宴ではない。
学院が根を張った証。
女子が学ぶことを誰も否定できなくなった証。
そして、王家がそれを無視できなくなった証。
殿下は私を必要としている。
だが私は、必要とされるだけでは動かない。
音楽が高まり、回転する。
視界が一瞬、煌めく光で満たされる。
その中心で、私は冷静だった。
今夜は始まりに過ぎない。
問いはまだ投げられていない。
けれど、投げられる。
その時、私はいつも通り答えるだけだ。
盾はある。
覚悟もある。
舞踏会は華やかに進む。
だがこの夜は、ただの祝宴では終わらない。
私は確信していた。
王宮の大広間は、光に満ちていた。
幾重にも吊るされた燭台が、金の装飾を反射させ、磨き上げられた大理石の床に揺らめく影を落とす。天井画には歴代国王の戦勝と祝宴が描かれ、今日の夜もまた、その歴史の一枚に加えられるのだとでも言いたげだった。
舞踏会。
貴族社会における最も華やかで、最も政治的な場。
私はその入口に立ち、一瞬だけ目を細めた。
「お嬢様」
付き添いの侍女が小声で囁く。
「参りましょう」
「ええ」
背筋を伸ばす。
群青のドレスは、派手さこそないが確かな存在感を放っていた。宝石は最小限。首元に一粒、深い青の石。主張は布と姿勢で足りる。
私は踊りに来たのではない。
観測に来たのだ。
大広間に足を踏み入れた瞬間、いくつもの視線が集まる。
好奇、評価、警戒、羨望。
学院を創った公爵令嬢。
女子学院まで作ってしまった娘。
女のくせに学問を語る存在。
そして、王太子殿下が欲しがっていると噂の令嬢。
視線の質は様々だが、共通しているのは無視できない存在だという認識だ。
それでいい。
音楽が鳴り始める。
弦の響きが空間を満たし、貴族たちはゆるやかに動き出す。笑顔の裏に計算を隠しながら、言葉を交わし、距離を測る。
「レクチャラー嬢」
最初に声をかけてきたのは、若い伯爵令息だった。
「学院のご活躍、見事でございます」
「ありがとうございます。ご子息も来年から入学をご検討とか」
「ええ。妻が強く希望しておりまして」
妻が。
その一言に、私は小さく頷く。
女子学院の効果は、こうして静かに広がっている。
令嬢たちが学び、考え、家に戻り、母となり、助言者となる。
男たちは、気づかぬうちに影響を受ける。
それが底上げだ。
選ばれた者だけを磨くのではない。
全体を少しずつ上げる。
数曲が流れ、何人かと形式的に言葉を交わした頃、空気が微かに変わった。
ざわめきが一方向へと寄る。
王太子、ウォーク・アロング殿下の入場。
濃紺の礼装に身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿は、確かに王家の血を感じさせる。
無能ではない。
むしろ優秀だ。
だからこそ厄介でもある。
殿下の視線が、広間を一巡し、そして私のもとで止まる。
わかっていた。
今夜は、避けられない。
殿下は周囲の貴族と短く言葉を交わしながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
逃げる理由はない。
逃げる必要もない。
私は静かに一礼した。
「ご機嫌よう、殿下」
「ご機嫌よう、レクチャラー嬢」
声は穏やかだ。
だが、その奥に探る色がある。
「今宵は一段とお美しい」
「光栄に存じます」
形式的な言葉。
けれど周囲の耳は敏感だ。
王太子が誰を褒め、誰に近づくか。それだけで意味を持つ。
「一曲、よろしいかな」
断る理由はない。
断れば騒ぎになる。
受ければ観測できる。
私は手を差し出した。
「喜んで」
周囲が道を開ける。
視線が集中する。
音楽が変わる。
ゆったりとした三拍子。
殿下の手が私の背に触れる。礼儀に則った距離。過不足ない。
私は足を運ぶ。
ドレスの裾が床を滑る。
「学院は順調のようだね」
「おかげさまで」
「父上も高く評価しておられる」
「恐れ入ります」
無難な会話。
けれどこれは前座だ。
本題は別にある。
私は殿下の呼吸を読む。
少しだけ間を取り、言葉を選んでいる。
やがて殿下は、低く問いかけた。
「女子学院も、思いのほか成果を出している」
「努力の賜物ですわ」
「男たちが焦っている」
「良いことです」
私は微笑む。
「競争は、双方を高めます」
「女が男を高める、と?」
「女も男も、ですわ」
一瞬、殿下の口元がわずかに上がる。
楽しんでいる。
試している。
そして、迷っている。
踊りは続く。
広間の中央で、私は殿下と向き合いながら、静かに思う。
この夜は華やかだ。
だが、ただの宴ではない。
学院が根を張った証。
女子が学ぶことを誰も否定できなくなった証。
そして、王家がそれを無視できなくなった証。
殿下は私を必要としている。
だが私は、必要とされるだけでは動かない。
音楽が高まり、回転する。
視界が一瞬、煌めく光で満たされる。
その中心で、私は冷静だった。
今夜は始まりに過ぎない。
問いはまだ投げられていない。
けれど、投げられる。
その時、私はいつも通り答えるだけだ。
盾はある。
覚悟もある。
舞踏会は華やかに進む。
だがこの夜は、ただの祝宴では終わらない。
私は確信していた。
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