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34話 視線
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34話 視線
踊りの一曲目が終わると同時に、広間の空気がわずかに揺れた。
王太子と私が中央で踊ったという事実は、ただそれだけで十分な意味を持つ。
拍手は控えめだが、視線は遠慮がない。
興味。
期待。
計算。
そして――推測。
私は殿下の腕から静かに離れ、優雅に一礼した。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
殿下の表情は崩れない。だがその瞳は、まだ私を離していない。
距離ができても、視線は続く。
広間の端へ移動しながら、私は周囲の反応を観測する。
年配の侯爵夫人が扇の陰で何かを囁く。
若い令嬢たちが、控えめにこちらを見ては目を逸らす。
男子学院出身の令息たちは、妙に神妙な顔をしている。
まるで、試験の結果発表を待つ生徒のように。
可笑しい。
婚約が決まったわけでもない。
宣言があったわけでもない。
ただ踊っただけ。
だが、この世界では「ただ」では済まない。
私は飲み物を受け取り、柱の近くに立つ。
視線はまだ続いている。
殿下は他の令嬢とも踊り始めたが、その動きはどこか機械的だ。
本命とそうでない者の違いは、本人が隠しても周囲が察する。
だからこそ危うい。
「お嬢様」
侍女がそっと耳打ちする。
「噂が走っております」
「走らせておきなさい」
「よろしいのですか」
「止める方が目立ちます」
噂は風だ。
逆らえば強くなる。
放っておけば、いずれ形を変える。
私は扇を軽く開く。
視線を感じる方向に、ゆっくりと顔を向ける。
殿下。
こちらを見ている。
遠くから。
試すように。
求めるように。
だが私は、微笑みを返すだけだ。
近づかない。
手を伸ばさない。
向こうから来るなら受ける。
来ないなら、それまで。
それが私の立ち位置。
観測者。
感情の一歩外側。
しかし今夜は、少しだけ違う。
観測しているのは殿下だけではない。
私は自分自身も観測している。
動揺はないか。
高揚はないか。
期待はないか。
静かだ。
胸は凪いでいる。
それを確認し、私は安心する。
学院は制度だ。
私は個人。
制度を個人の感情に結びつけてはならない。
やがて殿下が再び近づいてくる。
今度は踊りではない。
歩みはゆっくりだが、まっすぐ。
周囲の視線がさらに濃くなる。
「少し、お話を」
「ここで、でございますか」
「聞かれて困ることはないだろう」
確かに。
隠すものはない。
けれど言葉は刃物だ。
場所を選ばなければならない。
私は柱の陰へと一歩下がる。
完全な密談にはならない。
だが無遠慮な耳は遠ざけられる距離。
殿下の声が低くなる。
「君は、私を避けているのか」
直球。
私は瞬きを一つ。
「避ける理由がございません」
「では、近づいても来ない」
「殿下が近づいてくださいますから」
一瞬、殿下が息を止める。
攻めているつもりはない。
事実を述べているだけ。
「私は君を王家に迎えたい」
ついに言葉が形になる。
広間の喧騒は続いている。
だが私の耳には、その一文だけがはっきりと届く。
「光栄なお言葉です」
「形式的な返事は望んでいない」
「では率直に」
私は殿下の瞳を見る。
「私は、学院を育てている最中です」
「それは知っている」
「まだ根が浅いのです」
「王家が支えればよい」
強い言葉。
だがそれは支援であり、同時に掌握でもある。
私は静かに首を振る。
「支えは、盾の外側にあるべきです」
殿下の眉がわずかに動く。
「父上を盾にしている、と噂だ」
「事実です」
隠す気はない。
「殿下。私はまだ、この世界を変えられるほど強くはありません」
「変えるつもりはあるのか」
「底を上げたいだけです」
革命ではない。
崩壊でもない。
積み重ね。
殿下は黙る。
その沈黙の間にも、視線は集まり続ける。
王太子が、学院の創設者と何を話しているのか。
皆が推測している。
私は思う。
この視線こそが、今夜の本質だ。
王家と学院。
男社会と、静かな挑戦。
婚約の打診は、個人の話に見えて、実は制度の話。
私を王家に迎えることは、学院を王家の傘下に置くこと。
私は微笑む。
「殿下、今夜は祝宴でございます」
「そうだな」
「学院の話は、日を改めて」
「逃げるのか」
「踊り場で議論するのは、非効率ですわ」
殿下が小さく笑う。
「君は本当に、効率が好きだな」
「無駄が嫌いなだけです」
音楽が次の曲へと変わる。
広間が再び動き出す。
殿下は一歩下がり、形式通りに一礼する。
「次は、逃がさない」
「逃げる理由があれば、逃げます」
言葉を交わしながら、私たちは距離を取る。
視線はまだ消えない。
だが今夜の主導権は、どちらにも渡っていない。
均衡。
それが現状。
私は深く息を吸う。
舞踏会は続く。
問いはまだ核心に触れていない。
だが近づいている。
理想のタイプ。
結婚の形。
それらが、やがて言葉になる。
その瞬間まで、私は静かに立つ。
観測し、計算し、そして必要なときだけ答える。
視線は熱を帯びている。
だが私は、まだ揺れない。
踊りの一曲目が終わると同時に、広間の空気がわずかに揺れた。
王太子と私が中央で踊ったという事実は、ただそれだけで十分な意味を持つ。
拍手は控えめだが、視線は遠慮がない。
興味。
期待。
計算。
そして――推測。
私は殿下の腕から静かに離れ、優雅に一礼した。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
殿下の表情は崩れない。だがその瞳は、まだ私を離していない。
距離ができても、視線は続く。
広間の端へ移動しながら、私は周囲の反応を観測する。
年配の侯爵夫人が扇の陰で何かを囁く。
若い令嬢たちが、控えめにこちらを見ては目を逸らす。
男子学院出身の令息たちは、妙に神妙な顔をしている。
まるで、試験の結果発表を待つ生徒のように。
可笑しい。
婚約が決まったわけでもない。
宣言があったわけでもない。
ただ踊っただけ。
だが、この世界では「ただ」では済まない。
私は飲み物を受け取り、柱の近くに立つ。
視線はまだ続いている。
殿下は他の令嬢とも踊り始めたが、その動きはどこか機械的だ。
本命とそうでない者の違いは、本人が隠しても周囲が察する。
だからこそ危うい。
「お嬢様」
侍女がそっと耳打ちする。
「噂が走っております」
「走らせておきなさい」
「よろしいのですか」
「止める方が目立ちます」
噂は風だ。
逆らえば強くなる。
放っておけば、いずれ形を変える。
私は扇を軽く開く。
視線を感じる方向に、ゆっくりと顔を向ける。
殿下。
こちらを見ている。
遠くから。
試すように。
求めるように。
だが私は、微笑みを返すだけだ。
近づかない。
手を伸ばさない。
向こうから来るなら受ける。
来ないなら、それまで。
それが私の立ち位置。
観測者。
感情の一歩外側。
しかし今夜は、少しだけ違う。
観測しているのは殿下だけではない。
私は自分自身も観測している。
動揺はないか。
高揚はないか。
期待はないか。
静かだ。
胸は凪いでいる。
それを確認し、私は安心する。
学院は制度だ。
私は個人。
制度を個人の感情に結びつけてはならない。
やがて殿下が再び近づいてくる。
今度は踊りではない。
歩みはゆっくりだが、まっすぐ。
周囲の視線がさらに濃くなる。
「少し、お話を」
「ここで、でございますか」
「聞かれて困ることはないだろう」
確かに。
隠すものはない。
けれど言葉は刃物だ。
場所を選ばなければならない。
私は柱の陰へと一歩下がる。
完全な密談にはならない。
だが無遠慮な耳は遠ざけられる距離。
殿下の声が低くなる。
「君は、私を避けているのか」
直球。
私は瞬きを一つ。
「避ける理由がございません」
「では、近づいても来ない」
「殿下が近づいてくださいますから」
一瞬、殿下が息を止める。
攻めているつもりはない。
事実を述べているだけ。
「私は君を王家に迎えたい」
ついに言葉が形になる。
広間の喧騒は続いている。
だが私の耳には、その一文だけがはっきりと届く。
「光栄なお言葉です」
「形式的な返事は望んでいない」
「では率直に」
私は殿下の瞳を見る。
「私は、学院を育てている最中です」
「それは知っている」
「まだ根が浅いのです」
「王家が支えればよい」
強い言葉。
だがそれは支援であり、同時に掌握でもある。
私は静かに首を振る。
「支えは、盾の外側にあるべきです」
殿下の眉がわずかに動く。
「父上を盾にしている、と噂だ」
「事実です」
隠す気はない。
「殿下。私はまだ、この世界を変えられるほど強くはありません」
「変えるつもりはあるのか」
「底を上げたいだけです」
革命ではない。
崩壊でもない。
積み重ね。
殿下は黙る。
その沈黙の間にも、視線は集まり続ける。
王太子が、学院の創設者と何を話しているのか。
皆が推測している。
私は思う。
この視線こそが、今夜の本質だ。
王家と学院。
男社会と、静かな挑戦。
婚約の打診は、個人の話に見えて、実は制度の話。
私を王家に迎えることは、学院を王家の傘下に置くこと。
私は微笑む。
「殿下、今夜は祝宴でございます」
「そうだな」
「学院の話は、日を改めて」
「逃げるのか」
「踊り場で議論するのは、非効率ですわ」
殿下が小さく笑う。
「君は本当に、効率が好きだな」
「無駄が嫌いなだけです」
音楽が次の曲へと変わる。
広間が再び動き出す。
殿下は一歩下がり、形式通りに一礼する。
「次は、逃がさない」
「逃げる理由があれば、逃げます」
言葉を交わしながら、私たちは距離を取る。
視線はまだ消えない。
だが今夜の主導権は、どちらにも渡っていない。
均衡。
それが現状。
私は深く息を吸う。
舞踏会は続く。
問いはまだ核心に触れていない。
だが近づいている。
理想のタイプ。
結婚の形。
それらが、やがて言葉になる。
その瞬間まで、私は静かに立つ。
観測し、計算し、そして必要なときだけ答える。
視線は熱を帯びている。
だが私は、まだ揺れない。
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