公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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35話 踊り

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35話 踊り

 次の曲が始まる直前、殿下は再び私の前に立った。

「もう一曲」

 問いではない。確認でもない。

 宣言に近い。

 周囲の空気がわずかに引き締まる。

 王太子が同じ令嬢と二度続けて踊る。それは偶然ではなく、意志だと解釈される。

 私は一瞬だけ扇を閉じた。

 避ける理由はない。

 むしろ、避けないほうがよい。

「承知いたしました」

 差し出された手に自分の手を重ねる。

 今度の曲は、先ほどよりも速い。

 足さばきに迷いがあれば、すぐに乱れる。

 殿下の腕は安定している。訓練された動きだ。

「周囲が騒がしいな」

「殿下の人気の証でしょう」

「私のせいか」

「半分は」

「残りは?」

「学院のせいです」

 殿下の口元がわずかに緩む。

「君は、本当に揺れない」

「揺れるべき理由が見当たりません」

 回転する。

 ドレスの裾が広がり、光を拾う。

 広間の視線は私たちに集中している。

 若い令嬢の一団が、期待に満ちた目でこちらを見ている。

 王太子妃誕生の瞬間を、今にも目撃するかのように。

 だが私は、その期待を受け取らない。

「君は、自分の価値を理解しているか」

 殿下が低く問う。

「学院の創設者。貴族教育の改革者。女子教育の推進者」

「過大評価です」

「謙遜ではないな」

「制度が動いているだけです。私一人では何も」

「君が火をつけた」

 音楽が強くなる。

 私は殿下の視線を受け止める。

「火は、燃える場所があってこそ広がります」

「王家が薪を足せばどうなる」

「燃え方が変わります」

 殿下の手が、わずかに強くなる。

 すぐに元に戻る。

 自制は効いている。

 無能ではない。

 だからこそ、この会話は緊張を孕む。

「私は、君を王家に迎えたい」

 再びその言葉。

 周囲の音楽とざわめきの中で、静かに落ちる。

「理由を伺っても」

「王家には、君のような者が必要だ」

「私のような、とは」

「制度を作れる者だ」

 正直だ。

 恋ではない。

 必要。

 評価。

 政治。

 私は小さく笑う。

「光栄でございます」

「だが」

 殿下が続ける。

「君は、王家に入ることを望んでいない」

「望む、望まないの問題ではございません」

「では何だ」

「順序です」

 足を踏み替える。

 回転の最中、私は囁く。

「学院はまだ成長途中です。根が浅い。今、王家に入れば」

「王家のものになる、と?」

「そう解釈されます」

 殿下は否定しない。

 それが答え。

 曲が終盤に差しかかる。

 汗はかいていない。

 息も乱れていない。

 だが会話は鋭い。

「君は私を拒絶しているのか」

「いいえ」

 私は正直に言う。

「私は、父を盾にしております」

「それは知っている」

「盾があるから、今の私は自由です」

「盾がなくなれば?」

「考えます」

 殿下の目が細くなる。

「君の理想の結婚は何だ」

 まだ核心ではない。

 だが近い。

「理想を語る立場ではございません」

「私は聞いている」

「殿下は、政略結婚しか許されないお立場では」

 一瞬、殿下の動きが止まりかける。

 だが音楽が背中を押す。

 最後の回転。

 最後の拍。

 曲が終わる。

 拍手が起こる。

 形式的な、だが確かな拍手。

 私たちは中央で止まり、礼を交わす。

 周囲の視線は、先ほどよりも濃い。

 期待はさらに膨らんでいる。

 王太子は私を離さない。

 視線だけが続く。

「次の曲も」

「少し休ませてくださいませ」

 私は微笑む。

「考える時間が必要でございます」

「何を」

「殿下の問いを」

 殿下は一瞬だけ沈黙する。

 そして、ゆっくりと手を離す。

「逃げるな」

「逃げる理由があれば逃げます」

 私は礼をし、距離を取る。

 広間の空気は熱を帯びている。

 皆が思っている。

 今夜、何かが決まるのではないか。

 だが私は知っている。

 今夜は決まらない。

 決めない。

 学院は制度。

 私は個人。

 個人の感情で制度を揺らしてはならない。

 扇を開き、静かに息を整える。

 問いはまだ残っている。

 理想のタイプ。

 結婚の形。

 それは、次の一曲で投げられる。

 私は準備を整える。

 揺れない。

 揺らがない。

 そして必要な時だけ、言葉を置く。

 舞踏会は続く。

 だが、核心はもうすぐだ。
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