公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―

鷹 綾

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36話 問い

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36話 問い

 休憩を挟んだあと、殿下は三度目の申し出をした。

「最後に、もう一曲」

 断れば、それ自体が意味を持つ。

 受ければ、期待が膨らむ。

 だが私は計算する。

 ここで距離を曖昧にするより、はっきりさせた方がよい。

「承知いたしました」

 広間の空気は、もはや隠そうともしていない。

 王太子と公爵令嬢。

 三度目の踊り。

 誰もが、何かが起きると感じている。

 曲はゆったりとしている。

 言葉を交わすのに十分な間。

 殿下の手は、これまでと同じ礼儀正しい位置にある。

 だが、今度は迷いがない。

「一つ聞いてもいいか」

 来た。

 私は視線を外さない。

「なんでしょう」

「君の理想のタイプは」

 周囲の音が遠のく。

 音楽は続いているはずなのに、鼓動の方が近い。

 理想。

 この世界で、その言葉は贅沢だ。

 政略結婚が当然の立場にある者が、理想を問う。

 私は瞬きを一つ。

「殿下」

「答えにくいか」

「いえ。ただ、少々不思議に思いました」

「何が」

「政略結婚しか許されないようなお立場の方が、そのようなことをお尋ねになるとは」

 殿下の目が細くなる。

「後学のためだ」

 後学。

 私は内心で首を傾げる。

 何の後学なのかしら。

 だが顔には出さない。

 足を踏み替え、回転する。

 ドレスが円を描く。

「そうですわね」

 答えは決めてある。

 即興ではない。

 計算済み。

「お父様のような方でしょうか」

 言葉を落とした瞬間、殿下の足がわずかに乱れた。

 ほんの一瞬。

 すぐに立て直す。

 だが私は見逃さない。

「……公爵か」

「ええ」

 私は静かに続ける。

「理性があり、冷静で、私を盾にしてくださる方」

「盾」

「はい。世界がまだ私を許さぬ間、前に立ってくださる方」

 殿下は黙る。

 音楽は流れ続ける。

 だが私たちの周囲だけ、空気が変わった。

「君は、恋を望んでいないのか」

 率直だ。

 私はわずかに首を傾げる。

「望む、望まないではなく」

「では何だ」

「許されるかどうか、でございます」

 殿下の視線が強まる。

「許されないとは思わない」

「殿下のお立場では、でございます」

 私は微笑む。

「私の立場では、決定権は父にあります」

 殿下は息を吐く。

「君は、本当に父を盾にするな」

「盾をくださったのは父です」

 回転。

 再び向き合う。

「君の結婚は、きっと政略ではないのだろうね」

 その問いは、少しだけ弱い。

 確信ではなく、願いが混じっている。

「さあ」

 私は正直に答える。

「それも、お父様にお尋ねくださいませ」

 殿下の表情が、わずかに揺れる。

 怒りではない。

 失望でもない。

 理解。

 そして、届かないという自覚。

 曲が終わりに近づく。

 最後の旋律が高まり、やがて静まる。

 拍手。

 周囲は固唾をのんでいた。

 何か決定的な言葉が出ると期待して。

 だが何も起きない。

 婚約の宣言も、約束も。

 ただの会話。

 けれど、十分だった。

 殿下は私の手を離す。

「公爵に、改めて話をする」

「それが正しい順序ですわ」

「君は、私を試しているのか」

「いいえ」

 私はまっすぐに見る。

「私は、順序を守っているだけです」

 殿下は、ほんのわずかに笑う。

「難しいな、君は」

「単純ですわ」

 私は一礼する。

「私の未来は、まだ未定でございます」

 殿下はそれ以上何も言わない。

 ただ一歩下がり、形式通りの礼を返す。

 広間は再びざわめきに包まれる。

 期待は満たされなかった。

 だが失望もない。

 王太子は無理をしなかった。

 私は拒絶しなかった。

 均衡。

 それだけが残った。

 私は静かに柱の影へと戻る。

 胸は凪いでいる。

 揺れていない。

 理想を問われた。

 私は父の名を出した。

 それは逃げではない。

 私の現実だ。

 この世界で、私が自由でいられるのは、盾があるから。

 盾がなくなったとき、どうするのか。

 それはまだ分からない。

 未来は未定。

 未定だからこそ、今は積み重ねる。

 舞踏会は続く。

 だが核心は、もう語られた。

 殿下は届かないと悟った。

 私は、まだ渡らないと決めた。

 それだけで、今夜は十分だ。
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