6 / 40
第6話 都合のいい理解者
しおりを挟む
第6話 都合のいい理解者
「殿下、こちらの書簡ですが……」
朝の執務室。
机の上には、処理を待つ書類がいくつも積み上げられている。
アークトゥルスはその山を一瞥し、わずかに肩をすくめた。
「……あとで、ミラに見てもらおう」
その言葉は、もはや口癖になりつつあった。
側近は一瞬、言葉に詰まる。だが、何も言わず一礼して下がった。
異議を唱えたところで、殿下が自分で判断することはない。
それが、ここ数日の共通認識になっていた。
ほどなくして、ミラが部屋に入ってくる。
「お呼びですか、殿下?」
「うん……これなんだけど……」
アークトゥルスは、書簡を差し出す。
地方の有力貴族からの要望書。内容は、税制の一部見直しについてだった。
ミラは一通り目を通し、柔らかく微笑む。
「難しいことは考えなくて大丈夫ですよ、殿下」
その言葉に、アークトゥルスの表情が緩む。
「この方々は、不安になっているだけです。
殿下が“民の声を大切にしている”と示してあげれば、それで……」
「……じゃあ、どう返せばいい?」
「そうですね……」
ミラは少し考え、すぐに答えを出した。
「今回は慎重に検討する、という形でお返事を。
決定は先送りで構いません」
それは、誰も傷つけない答えだった。
そして同時に、何も決めていない答えでもある。
「……それで、いいのかな」
「もちろんです」
ミラは、迷いなく頷く。
「殿下は、これ以上無理をなさる必要はありません。
以前、十分すぎるほど責任を果たされたのですから」
その言葉を聞き、アークトゥルスは胸の奥で小さく息を吐いた。
(そうだ……僕は、もう一度、国のために犠牲になった……)
婚約破棄。
あの場で流した涙。
それらはすべて、“責任を果たした証”として、彼の中で整理されていた。
だから今は、
誰かに理解され、肯定される時間が必要なのだと。
ミラは、そんな彼の心情を正確に察していた。
――否定しない。
――責めない。
――決断を迫らない。
それが、彼女なりの「支え方」だった。
「殿下は、とてもお優しい方です」
ミラは、静かに続ける。
「だからこそ、周囲の声に耳を傾けてしまう。
それを“弱さ”だと言う方もいるでしょうけれど……」
一拍置いて、微笑む。
「私は、そうは思いません」
アークトゥルスは、その言葉に深く頷いた。
「……ありがとう、ミラ」
その一言で、彼の中のわずかな迷いが、また一つ消えていく。
自分は間違っていない。
自分は責められるべきではない。
そう思わせてくれる存在が、そばにいる。
それで、十分だった。
一方で――
別の場所では、冷ややかな視線が向けられていた。
「殿下は……変わられましたな」
重臣の一人が、低い声で言う。
「いえ……変わったのではなく、
“決めなくなった”のです」
別の者が応じる。
「以前は、最後にあの令嬢が整理し、
殿下ご自身が決断していた」
「今は……」
「理解者に、甘えておられる」
その言葉に、誰も反論しなかった。
夜。
執務室を出る前、アークトゥルスはミラに向き直る。
「……これからも、そばにいてくれるよね?」
不安を隠しきれない問い。
ミラは、少しも迷わず答えた。
「もちろんです、殿下」
それは、優しい言葉だった。
だが同時に――
彼が“自分で立つ理由”を、完全に失わせる言葉でもあった。
こうしてアークトゥルスは、
都合よく理解してくれる存在に包まれながら、
少しずつ、確実に――
王太子としての輪郭を失っていくのだった。
「殿下、こちらの書簡ですが……」
朝の執務室。
机の上には、処理を待つ書類がいくつも積み上げられている。
アークトゥルスはその山を一瞥し、わずかに肩をすくめた。
「……あとで、ミラに見てもらおう」
その言葉は、もはや口癖になりつつあった。
側近は一瞬、言葉に詰まる。だが、何も言わず一礼して下がった。
異議を唱えたところで、殿下が自分で判断することはない。
それが、ここ数日の共通認識になっていた。
ほどなくして、ミラが部屋に入ってくる。
「お呼びですか、殿下?」
「うん……これなんだけど……」
アークトゥルスは、書簡を差し出す。
地方の有力貴族からの要望書。内容は、税制の一部見直しについてだった。
ミラは一通り目を通し、柔らかく微笑む。
「難しいことは考えなくて大丈夫ですよ、殿下」
その言葉に、アークトゥルスの表情が緩む。
「この方々は、不安になっているだけです。
殿下が“民の声を大切にしている”と示してあげれば、それで……」
「……じゃあ、どう返せばいい?」
「そうですね……」
ミラは少し考え、すぐに答えを出した。
「今回は慎重に検討する、という形でお返事を。
決定は先送りで構いません」
それは、誰も傷つけない答えだった。
そして同時に、何も決めていない答えでもある。
「……それで、いいのかな」
「もちろんです」
ミラは、迷いなく頷く。
「殿下は、これ以上無理をなさる必要はありません。
以前、十分すぎるほど責任を果たされたのですから」
その言葉を聞き、アークトゥルスは胸の奥で小さく息を吐いた。
(そうだ……僕は、もう一度、国のために犠牲になった……)
婚約破棄。
あの場で流した涙。
それらはすべて、“責任を果たした証”として、彼の中で整理されていた。
だから今は、
誰かに理解され、肯定される時間が必要なのだと。
ミラは、そんな彼の心情を正確に察していた。
――否定しない。
――責めない。
――決断を迫らない。
それが、彼女なりの「支え方」だった。
「殿下は、とてもお優しい方です」
ミラは、静かに続ける。
「だからこそ、周囲の声に耳を傾けてしまう。
それを“弱さ”だと言う方もいるでしょうけれど……」
一拍置いて、微笑む。
「私は、そうは思いません」
アークトゥルスは、その言葉に深く頷いた。
「……ありがとう、ミラ」
その一言で、彼の中のわずかな迷いが、また一つ消えていく。
自分は間違っていない。
自分は責められるべきではない。
そう思わせてくれる存在が、そばにいる。
それで、十分だった。
一方で――
別の場所では、冷ややかな視線が向けられていた。
「殿下は……変わられましたな」
重臣の一人が、低い声で言う。
「いえ……変わったのではなく、
“決めなくなった”のです」
別の者が応じる。
「以前は、最後にあの令嬢が整理し、
殿下ご自身が決断していた」
「今は……」
「理解者に、甘えておられる」
その言葉に、誰も反論しなかった。
夜。
執務室を出る前、アークトゥルスはミラに向き直る。
「……これからも、そばにいてくれるよね?」
不安を隠しきれない問い。
ミラは、少しも迷わず答えた。
「もちろんです、殿下」
それは、優しい言葉だった。
だが同時に――
彼が“自分で立つ理由”を、完全に失わせる言葉でもあった。
こうしてアークトゥルスは、
都合よく理解してくれる存在に包まれながら、
少しずつ、確実に――
王太子としての輪郭を失っていくのだった。
0
あなたにおすすめの小説
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果
藍田ひびき
恋愛
「アンジェリカ、君を愛することはできない」
結婚式の後、侯爵家の騎士のレナード・フォーブズは妻へそう告げた。彼は主君の娘、キャロライン・リンスコット侯爵令嬢を愛していたのだ。
アンジェリカの言葉には耳を貸さず、キャロラインへの『真実の愛』を貫こうとするレナードだったが――。
※ 他サイトにも投稿しています。
【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」
婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からなくなっていました。
婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。
ハッピーエンド確定
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/10/01 FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過
2022/07/29 FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過
2022/02/15 小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位
2022/02/12 完結
2021/11/30 小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位
2021/11/29 アルファポリス HOT2位
2021/12/03 カクヨム 恋愛(週間)6位
【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~
キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。
両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。
ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。
全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。
エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。
ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。
こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。
悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!
ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」
特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18)
最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。
そしてカルミアの口が動く。
「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」
オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。
「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」
この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる