『泣きながら婚約破棄されたので了承しました ――なぜ婚約破棄した側の殿下が取り乱しているのですか? 捨てられたのは私では?――』

鷹 綾

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第22話 甘えという選択肢

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第22話 甘えという選択肢

 王宮に、ささやかな噂が流れ始めていた。

「最近の殿下は……少し、変わられた」

「決めるのが遅いのは相変わらずだが、
 逃げなくなった、と」

 それは、称賛とも不安ともつかない評価だった。
 だが、確実に以前とは違う。

 当の本人――アークトゥルスは、その変化を自覚していなかった。

「……疲れたな……」

 夜の執務室。
 机に突っ伏しそうになるのを、どうにかこらえる。

 以前なら、ここでミラを呼んでいた。
 「どうすればいい?」と。
 「代わりに考えて」と。

 だが、今は――

(……呼ばない)

 そう決めていた。

 けれど、決めたからといって、楽になるわけではない。

 扉の向こうで、控えめな足音が止まった。

「……殿下」

 ミラの声。

「まだ、お仕事中ですか」

 アークトゥルスは、一瞬だけ迷い――
 そして、答えた。

「……うん。
 でも……正直に言うと、少し、限界かもしれない」

 扉が、静かに開く。

 ミラは、以前のように机へ直行しなかった。
 一歩距離を保ったまま、彼を見る。

「それは……
 “助けてほしい”という意味ですか?」

 その問いは、優しいが、逃げ道を塞いでいた。

 アークトゥルスは、唇を噛む。

「……そう、かもしれない」

 絞り出すような声。

「でも……
 全部を任せたいわけじゃない」

 ミラの目が、わずかに揺れる。

「……続けてください」

「……一緒に、考えてほしい」

 沈黙。

 それは、彼にとって小さな賭けだった。
 甘えか、依存か。
 その境界を、自分で選ぶという賭け。

 ミラは、ゆっくりと息を吐いた。

「……分かりました」

 彼女は、机の向かいに座る。

「では、殿下。
 まず、殿下のお考えを聞かせてください」

 アークトゥルスは、驚いたように目を瞬かせる。

「……僕の?」

「はい」

 即答。

「私ではなく」

 彼は、しばらく黙り込んだあと、
 拙いながらも言葉を紡ぎ始めた。

 論理は粗い。
 視点も偏っている。

 それでも――
 彼自身の思考だった。

 ミラは、遮らない。
 否定もしない。

 ただ、問いを返す。

「それは、なぜですか」
「別の可能性は?」
「その場合、誰が困りますか」

 時間は、以前よりもずっとかかった。
 だが、不思議と、苦しくはなかった。

「……あ」

 アークトゥルスが、ふと顔を上げる。

「……これなら……」

 言葉が、つながった瞬間だった。

 作業が終わったころ、
 窓の外は、すでに白み始めていた。

「……ありがとう、ミラ」

 アークトゥルスは、疲れた笑顔で言う。

「……正直に言うと……
 少し、楽しかった」

 ミラは、一瞬驚き――
 そして、静かに微笑んだ。

「それは、良かったです」

 立ち上がりながら、続ける。

「殿下。
 “甘える”ことと、“委ねる”ことは、違います」

 アークトゥルスは、ゆっくりと頷いた。

「……うん。
 今なら……少し、分かる気がする」

 そのやり取りを、遠くから見ていた者はいない。
 けれど、この夜は、確かに違っていた。

 誰かに代わってもらう夜ではない。
 一緒に考え、
 自分で決めるための夜。

 そして、ミラもまた、理解し始めていた。

(……私は、殿下を“守る役”でなくていい)

 隣で歩くことを、
 少しずつ、選び直しているのだと。

 その静かな変化は、
 確実に――
 三人それぞれの未来を、別の形へ導き始めていた。
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