『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第4話 優しすぎる距離

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第4話 優しすぎる距離

 応接室を出たあとも、ノインの胸は落ち着かなかった。

(……謝られた)

 それだけのことなのに、心の奥がざわついている。
 伯爵家でも、孤児院でも、誰かがノインに謝ることなどなかった。

 ――存在しているだけで迷惑。
 ――役に立たないなら、邪魔。

 それが、彼女に向けられてきた“当たり前”だったから。

 部屋へ戻る廊下で、先ほどの老執事が待っていた。

「お会いになられましたか?」

「……はい」

 短く答えると、老執事は安堵したように目を細める。

「驚かれたでしょう」

「……少しだけ」

 少し、どころではなかった。
 けれど、その言葉が正直すぎる気がして、控えめに濁す。

「公爵様は、噂ほど恐ろしい方ではないでしょう?」

 その問いに、ノインは足を止めた。

「……はい。とても……お優しい方だと思いました」

 老執事は、一瞬だけ目を見開き、それから深く息を吐いた。

「そう言っていただけるのは、久しぶりです」

 廊下の先に続く影が、やけに長く伸びていた。

 * * *

 翌朝。

 ノインは早く目を覚ました。
 習慣のようなものだ。孤児院でも伯爵家でも、寝坊は許されなかった。

 身支度を整え、静かに部屋を出る。
 屋敷の中はまだ眠っているようで、人の気配はほとんどない。

(……なにか、できることはないかな)

 自分が“客人”として扱われていることに、どうしても落ち着かなかった。
 誰かの役に立たなければ、ここにいてはいけない気がする。

 厨房の方から、かすかな音が聞こえた。

 覗くと、朝食の準備をしている料理人と目が合う。

「あ……あの……!」

 声をかけると、料理人は驚いた顔をした。

「ノイン様!? どうなさいました」

「なにか……お手伝いできることはありませんか?」

 一瞬の沈黙。

 それから、料理人は困ったように笑った。

「お気持ちはありがたいのですが……公爵様から、“ノイン様に働かせるな”と厳命されておりまして」

 ノインは、きょとんとした。

「……え?」

「婚約者様に雑用をさせるなど、あってはならない、と」

 言葉が、胸に落ちる。

(……わたしが、婚約者……)

 それは、昨夜も聞いたはずの言葉なのに、今さら実感が湧いてくる。

「……そう、ですか」

 引き下がるしかなかった。

 そのまま庭へ出ると、朝露に濡れた花々が、柔らかな光を反射していた。
 思わず、しゃがみ込んで眺める。

 指先に触れた花びらが、ひどく冷たかった。

 そのとき。

「そんなところで、何をしている?」

 背後から声がした。

 振り返ると、フェルディナンドが立っていた。
 昨日と同じ、落ち着いた装い。
 だが、朝の光の中では、呪いの痕がよりはっきりと見える。

 それでも――怖くはなかった。

「……お花が、綺麗だなと思って」

 そう答えると、彼は一瞬、意外そうな顔をした。

「……そうか」

 短い返事のあと、少し間を置いて続ける。

「この庭は、昔……母が好んで世話をしていた」

 ぽつりとした声だった。

「亡くなってからは、誰も近づかなくなったが……」

 ノインは、そっと立ち上がった。

「……優しい方だったんですね」

「……ああ」

 フェルディナンドは、庭を見渡しながら言った。

「だから、この庭を見ると……少し、息がしやすくなる」

 ノインは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

「……わたしも、ここ、好きです」

 自然と、そう口にしていた。

 彼が、こちらを見る。

 少しだけ、驚いたような目。

「……無理をしているわけでは、ないな?」

「はい」

 はっきりと、答えた。

「怖くは……ありません」

 フェルディナンドは、わずかに目を伏せた。

「……君は、不思議だ」

 それは、責めでも疑いでもない。

「距離を取る者ばかりだった。だが君は……近づきすぎる」

 ノインは、小さく首を振る。

「近づいている、というより……離れない、だけです」

 そう言うと、彼の肩がわずかに揺れた。

「……なるほど」

 それ以上、言葉は続かなかった。
 けれど、沈黙は、不思議と重くなかった。

 朝の庭で並んで立つ、その距離は、まだ遠い。
 それでも――昨日より、確かに近づいている。

 ノインは、心の中でそっと思う。

(……この人は、優しすぎるから、ひとりになってしまったんだ)

 だからこそ。

 この距離を、少しずつ埋めていけたら――
 そんな願いが、胸に芽生え始めていた。

 “化け物公爵”と呼ばれた人と、
 名もなき少女の間に。

 静かで、確かな絆が、生まれつつあることを――
 まだ、誰も知らない。
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