『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第5話 触れられることの意味

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第5話 触れられることの意味

 フェルディナンド公爵が屋敷に戻ると、ノインは自然とその動線を意識するようになっていた。

 廊下で足音を聞けば立ち止まり、遠くに姿を見つければ一歩下がる。
 近づきすぎない。けれど、離れすぎない。

 ――昨夜の言葉が、胸に残っていたからだ。

「距離を取る者ばかりだった。だが君は……近づきすぎる」

 それは責めではなかった。
 むしろ、戸惑いに近い響きだった。

(……触れられるのが、苦手なのかもしれない)

 呪われた姿。
 恐れられ、忌避され、石を投げられた過去。

 想像するだけで、胸が痛む。

 だからノインは、決めていた。
 自分から、無理に近づかないこと。
 それでも、必要なときは、離れないこと。

 * * *

 その日の午後。

 フェルディナンドは執務室で書類に目を通していた。
 机に積まれた紙束は、どれも領地の民に関わるものだ。

 ――そんな彼の様子を、ノインは扉の外から見ていた。

(……忙しそう)

 声をかけるべきか、迷う。
 けれど、老執事から託された言葉が、背中を押した。

「公爵様は、最近、ひどく頭痛を訴えておられます」

 ノインは、そっと扉をノックした。

「……入れ」

 低い声。

「失礼します」

 控えめに扉を開くと、フェルディナンドは顔を上げた。

「どうした?」

「……お邪魔でしたら、すぐに――」

「構わない。用件は?」

 短い言葉。だが、拒絶ではない。

 ノインは一歩だけ、近づいた。

「……お身体、つらそうに見えました」

 フェルディナンドは、わずかに眉をひそめた。

「気のせいだ」

「……本当に?」

 問い返すと、彼は沈黙した。

 沈黙は、肯定だった。

 ノインは、胸の前で手を握りしめる。

「……触れても、いいですか?」

 その言葉に、空気が変わった。

 フェルディナンドの指が、机の端を強く掴む。

「……理由を聞いても?」

「わたし……昔から、人の痛みを和らげることが、できるんです」

 自分でも、不思議な力だと思っている。
 説明は、いつも曖昧になる。

「でも……無理なら、しません」

 そう言って、一歩下がろうとした瞬間。

「……待て」

 呼び止める声。

 ノインが顔を上げると、フェルディナンドは視線を逸らしながら言った。

「……一度だけだ」

 短い許可。

 ノインは、息を整え、そっと彼の手に触れた。

 鱗の感触。
 冷たく、硬い――はずなのに。

(……温かい)

 触れた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 ノインの掌から、ほのかな温もりが伝わっていく。

 フェルディナンドは、驚いたように息を吸った。

「……これは……」

「……大丈夫です。少しだけ、楽になります」

 数秒。
 それだけで、彼の肩から力が抜けた。

「……痛みが、引いた」

 呟きは、確かな実感を伴っていた。

 ノインは、そっと手を離す。

「……ごめんなさい。勝手なことを」

「いや……」

 フェルディナンドは、自分の手を見つめていた。

「……触れられて、怖くなかったのは……初めてだ」

 その言葉に、ノインの胸が、きゅっと縮む。

「……それなら、よかったです」

 それ以上、何も言えなかった。

 触れることは、傷つけることではない。
 近づくことは、奪うことではない。

 そう、少しだけ信じてもらえた気がしたから。

 執務室を出たあと、ノインは廊下で立ち止まった。

(……触れられることは、拒絶だけじゃない)

 それを、教えてくれたのは――
 “化け物”と呼ばれた、ひどく優しい公爵だった。

 ふたりの距離は、また一歩。

 音もなく、けれど確かに、近づいていた。
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