6 / 40
第6話 静かな信頼
しおりを挟む
第6話 静かな信頼
それから数日、屋敷の空気はわずかに変わっていた。
劇的な出来事があったわけではない。
言葉を交わす回数が急に増えたわけでもない。
――けれど、ノインにはわかっていた。
(……フェルディナンド様、少しだけ楽そう)
執務室から出てくる足取りが軽くなった。
眉間に刻まれていた深い皺が、以前より薄い。
それだけで、胸の奥がふわりと温かくなる。
* * *
その日の午後、ノインは老執事に呼び止められた。
「ノイン様。公爵様が、少しお時間を取れるそうです」
「……え?」
思わず聞き返すと、老執事は微笑んだ。
「庭で、茶を、と」
胸が小さく跳ねる。
(……お話、ですか?)
用件があるのか、それとも――ただ、会いたいだけなのか。
どちらにしても、断る理由はなかった。
庭の東屋には、すでにフェルディナンドがいた。
テーブルには、湯気の立つ紅茶と、小さな菓子。
「……来てくれて、ありがとう」
以前なら考えられなかったほど、柔らかな声だった。
「いえ……こちらこそ」
ノインは、向かいの席に腰を下ろす。
一瞬、沈黙。
けれど、不思議と居心地は悪くなかった。
「……あの日」
フェルディナンドが、静かに口を開く。
「君が触れてくれたあと、夜まで頭痛が戻らなかった」
ノインは、そっと目を見開いた。
「……本当ですか?」
「ああ」
短く頷く。
「偶然かもしれない。だが……信じたいと思った」
その言葉に、胸が熱くなる。
「……無理は、なさらないでください」
「わかっている」
紅茶に視線を落としながら、彼は続けた。
「……だが、頼るということを、少しずつ覚えたい」
ノインは、思わず息を呑んだ。
頼る――
それは、この人が、誰よりも遠ざけてきた言葉だ。
「君は……見返りを求めない」
フェルディナンドの視線が、ノインに向く。
「それが、怖くもあり……同時に、救いでもある」
ノインは、そっと首を振った。
「見返りなんて……考えたこともありません」
少しだけ、笑う。
「わたし、昔から……誰かのそばにいられるだけで、十分だったので」
その言葉に、彼の瞳が揺れた。
「……孤児院の話は、聞いている」
「……はい」
隠すつもりはなかった。
「つらかったか?」
直球の問い。
ノインは、少し考えてから答えた。
「……つらかった、と思います。でも……」
指先を、そっと膝の上で握る。
「つらいって言える相手が、いなかっただけです」
フェルディナンドは、ゆっくりと息を吐いた。
「……似ているな」
「え?」
「私も……痛いと、言えなかった」
短い言葉。
けれど、その奥には、長い時間が詰まっている。
ノインは、そっと手を伸ばした。
触れる直前で、一度止める。
「……今日も、触れていいですか?」
フェルディナンドは、一瞬だけ迷い――頷いた。
「……頼む」
今度は、拒絶ではない。
選択だった。
ノインの手が、そっと彼の手に重なる。
以前より、震えは少なかった。
微かな温もりが、静かに伝わる。
フェルディナンドは目を閉じ、深く息を吸った。
「……不思議だ」
「はい?」
「誰かを信じるだけで……こんなにも、楽になるとは」
ノインは、微笑んだ。
「信じるって……勇気がいりますから」
手を離すと、彼はゆっくりと目を開けた。
「……ノイン」
名前を呼ばれ、胸が跳ねる。
「ありがとう」
それは、以前の謝罪とは違う。
“対等な言葉”だった。
その瞬間、ノインは確信する。
この人は、少しずつ――
孤独の殻を、脱ぎ始めている。
そして、自分はその傍にいる。
近づきすぎず、離れすぎず。
それでも、確かに。
ふたりの間に芽生えたものは――
もう、単なる同情でも、義務でもなかった。
静かで、揺るぎない。
信頼という名の絆だった。
それから数日、屋敷の空気はわずかに変わっていた。
劇的な出来事があったわけではない。
言葉を交わす回数が急に増えたわけでもない。
――けれど、ノインにはわかっていた。
(……フェルディナンド様、少しだけ楽そう)
執務室から出てくる足取りが軽くなった。
眉間に刻まれていた深い皺が、以前より薄い。
それだけで、胸の奥がふわりと温かくなる。
* * *
その日の午後、ノインは老執事に呼び止められた。
「ノイン様。公爵様が、少しお時間を取れるそうです」
「……え?」
思わず聞き返すと、老執事は微笑んだ。
「庭で、茶を、と」
胸が小さく跳ねる。
(……お話、ですか?)
用件があるのか、それとも――ただ、会いたいだけなのか。
どちらにしても、断る理由はなかった。
庭の東屋には、すでにフェルディナンドがいた。
テーブルには、湯気の立つ紅茶と、小さな菓子。
「……来てくれて、ありがとう」
以前なら考えられなかったほど、柔らかな声だった。
「いえ……こちらこそ」
ノインは、向かいの席に腰を下ろす。
一瞬、沈黙。
けれど、不思議と居心地は悪くなかった。
「……あの日」
フェルディナンドが、静かに口を開く。
「君が触れてくれたあと、夜まで頭痛が戻らなかった」
ノインは、そっと目を見開いた。
「……本当ですか?」
「ああ」
短く頷く。
「偶然かもしれない。だが……信じたいと思った」
その言葉に、胸が熱くなる。
「……無理は、なさらないでください」
「わかっている」
紅茶に視線を落としながら、彼は続けた。
「……だが、頼るということを、少しずつ覚えたい」
ノインは、思わず息を呑んだ。
頼る――
それは、この人が、誰よりも遠ざけてきた言葉だ。
「君は……見返りを求めない」
フェルディナンドの視線が、ノインに向く。
「それが、怖くもあり……同時に、救いでもある」
ノインは、そっと首を振った。
「見返りなんて……考えたこともありません」
少しだけ、笑う。
「わたし、昔から……誰かのそばにいられるだけで、十分だったので」
その言葉に、彼の瞳が揺れた。
「……孤児院の話は、聞いている」
「……はい」
隠すつもりはなかった。
「つらかったか?」
直球の問い。
ノインは、少し考えてから答えた。
「……つらかった、と思います。でも……」
指先を、そっと膝の上で握る。
「つらいって言える相手が、いなかっただけです」
フェルディナンドは、ゆっくりと息を吐いた。
「……似ているな」
「え?」
「私も……痛いと、言えなかった」
短い言葉。
けれど、その奥には、長い時間が詰まっている。
ノインは、そっと手を伸ばした。
触れる直前で、一度止める。
「……今日も、触れていいですか?」
フェルディナンドは、一瞬だけ迷い――頷いた。
「……頼む」
今度は、拒絶ではない。
選択だった。
ノインの手が、そっと彼の手に重なる。
以前より、震えは少なかった。
微かな温もりが、静かに伝わる。
フェルディナンドは目を閉じ、深く息を吸った。
「……不思議だ」
「はい?」
「誰かを信じるだけで……こんなにも、楽になるとは」
ノインは、微笑んだ。
「信じるって……勇気がいりますから」
手を離すと、彼はゆっくりと目を開けた。
「……ノイン」
名前を呼ばれ、胸が跳ねる。
「ありがとう」
それは、以前の謝罪とは違う。
“対等な言葉”だった。
その瞬間、ノインは確信する。
この人は、少しずつ――
孤独の殻を、脱ぎ始めている。
そして、自分はその傍にいる。
近づきすぎず、離れすぎず。
それでも、確かに。
ふたりの間に芽生えたものは――
もう、単なる同情でも、義務でもなかった。
静かで、揺るぎない。
信頼という名の絆だった。
2
あなたにおすすめの小説
余命3ヶ月と言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。
特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。
ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。
毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。
診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。
もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。
一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは…
※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いいたします。
他サイトでも同時投稿中です。
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
「可愛げがない」と婚約破棄された公爵令嬢ですが、領地経営をしていたのは私です
希羽
恋愛
「お前のような可愛げのない女との婚約は破棄する!」
卒業パーティの会場で、婚約者である第二王子デリックはそう宣言し、私の義妹ミナを抱き寄せました。 誰もが私が泣き崩れると思いましたが――正直、せいせいしました。 だって、王子の領地経営、借金返済、結界維持、それら全ての激務を一人でこなしていたのは「可愛げのない」私だったのですから。
「承知しました。では、あとはミナと二人で頑張ってください」
私は手切れ金代わりに面倒な仕事を全て置いて国を出ました。 すると、国境で待っていたのは、隣国ガルガディア帝国の冷徹皇太子ことクライド様。なぜか彼は私を溺愛し、帝国で最高の地位と環境を与えてくれて……。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました
ほーみ
恋愛
その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。
「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」
そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。
「……は?」
まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる