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第18話 過去は、牙を剥く
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第18話 過去は、牙を剥く
応接室の空気は、ひどく重かった。
エドラー伯爵は背筋を正し、ぎこちなく咳払いをする。
その隣で、エミリアは不満を隠そうともせず、椅子に浅く腰掛けていた。
(……変わっていない)
ノインは、そう静かに思った。
言葉遣いも、視線も、
“自分が上である”という前提から、一歩も動いていない。
「……それで?」
最初に口を開いたのは、エミリアだった。
「あなた、ここで“本気”のつもりなの?
呪いが解けたら、用済みでしょう」
ノインの胸が、わずかに痛む。
だが、その痛みは――昔のように、心を縛らなかった。
「……用済みかどうかを決めるのは」
ノインは、静かに視線を上げる。
「あなたではありません」
エミリアの眉が、ぴくりと動いた。
「何ですって?」
「わたし自身です」
淡々とした声。
だが、その芯は揺れていない。
伯爵が、慌てたように割って入る。
「ノイン……感情的になる必要はない。
我々は、君の将来を案じて――」
「案じて?」
ノインは、はっきりと問い返した。
「では、孤児院で“みそっかす”と呼ばれていたとき、
伯爵は、わたしの将来を案じていましたか?」
空気が、凍りつく。
伯爵の口が、開いたまま止まる。
「エドラー家に引き取られたあと、
食事を与えられず、教育も受けさせられず、
“エミリア様の身代わり”とだけ言われ続けた日々を――」
ノインは、ひとつ、息を吸う。
「それを、“案じていた”と?」
伯爵は、視線を逸らした。
その沈黙が、答えだった。
エミリアが、苛立ったように立ち上がる。
「そんな昔のこと、今さら――!」
「今さら、だからです」
ノインは、彼女をまっすぐ見据える。
「今さらだから、言えます。
……あの頃、わたしは確かに弱かった」
エミリアは、嘲るように笑う。
「でしょう?
だから、身代わりに――」
「でも」
ノインは、静かに言葉を重ねた。
「今は違います」
その一言で、エミリアの表情が歪む。
「……何が違うっていうの?
あなた、結局は“化け物公爵”に拾われただけでしょう?」
次の瞬間。
重く、低い声が部屋を満たした。
「――拾った、だと?」
フェルディナンドが、ゆっくりと立ち上がる。
角と鱗はまだ残っている。
だが、その姿は、もはや“恐怖”ではない。
“威厳”だった。
「我が婚約者を、物のように扱う発言は許さん」
エミリアは、思わず一歩後ずさる。
「……っ、脅しのつもり?」
「事実だ」
フェルディナンドは、淡々と言った。
「ノインは、自らここに立っている。
誰かに“差し出された”のではない」
伯爵が、顔色を変える。
「公爵閣下……しかし、婚約は――」
「成立している」
きっぱりとした断言。
「そして、仮ではない」
ノインは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
フェルディナンドは、ノインの方を見る。
「……続けろ。
言いたいことは、すべて言え」
ノインは、ゆっくりと頷いた。
「……わたしは、戻りません」
その言葉は、もはや宣言だった。
「エドラー伯爵家にも、
“身代わり”として生きる日々にも」
エミリアが、唇を噛みしめる。
「……後悔するわよ」
ノインは、静かに微笑んだ。
「いいえ。
後悔するのは……奪う側です」
その瞬間。
ノインは、はっきりと感じた。
――過去は、牙を剥いた。
だが、それに噛み砕かれるほど、
自分はもう、弱くない。
フェルディナンドの存在が、背後にある。
触れなくても、
確かに“共に立っている”という確信があった。
エドラー伯爵家との会談は、
決裂に近い形で終わった。
だが、ノインの胸には、不思議と後悔はなかった。
むしろ――
(……やっと、言えた)
過去は、確かに牙を持つ。
けれど、それを恐れなくなったとき――
人は、次の場所へ進めるのだと、
ノインは初めて、実感していた。
応接室の空気は、ひどく重かった。
エドラー伯爵は背筋を正し、ぎこちなく咳払いをする。
その隣で、エミリアは不満を隠そうともせず、椅子に浅く腰掛けていた。
(……変わっていない)
ノインは、そう静かに思った。
言葉遣いも、視線も、
“自分が上である”という前提から、一歩も動いていない。
「……それで?」
最初に口を開いたのは、エミリアだった。
「あなた、ここで“本気”のつもりなの?
呪いが解けたら、用済みでしょう」
ノインの胸が、わずかに痛む。
だが、その痛みは――昔のように、心を縛らなかった。
「……用済みかどうかを決めるのは」
ノインは、静かに視線を上げる。
「あなたではありません」
エミリアの眉が、ぴくりと動いた。
「何ですって?」
「わたし自身です」
淡々とした声。
だが、その芯は揺れていない。
伯爵が、慌てたように割って入る。
「ノイン……感情的になる必要はない。
我々は、君の将来を案じて――」
「案じて?」
ノインは、はっきりと問い返した。
「では、孤児院で“みそっかす”と呼ばれていたとき、
伯爵は、わたしの将来を案じていましたか?」
空気が、凍りつく。
伯爵の口が、開いたまま止まる。
「エドラー家に引き取られたあと、
食事を与えられず、教育も受けさせられず、
“エミリア様の身代わり”とだけ言われ続けた日々を――」
ノインは、ひとつ、息を吸う。
「それを、“案じていた”と?」
伯爵は、視線を逸らした。
その沈黙が、答えだった。
エミリアが、苛立ったように立ち上がる。
「そんな昔のこと、今さら――!」
「今さら、だからです」
ノインは、彼女をまっすぐ見据える。
「今さらだから、言えます。
……あの頃、わたしは確かに弱かった」
エミリアは、嘲るように笑う。
「でしょう?
だから、身代わりに――」
「でも」
ノインは、静かに言葉を重ねた。
「今は違います」
その一言で、エミリアの表情が歪む。
「……何が違うっていうの?
あなた、結局は“化け物公爵”に拾われただけでしょう?」
次の瞬間。
重く、低い声が部屋を満たした。
「――拾った、だと?」
フェルディナンドが、ゆっくりと立ち上がる。
角と鱗はまだ残っている。
だが、その姿は、もはや“恐怖”ではない。
“威厳”だった。
「我が婚約者を、物のように扱う発言は許さん」
エミリアは、思わず一歩後ずさる。
「……っ、脅しのつもり?」
「事実だ」
フェルディナンドは、淡々と言った。
「ノインは、自らここに立っている。
誰かに“差し出された”のではない」
伯爵が、顔色を変える。
「公爵閣下……しかし、婚約は――」
「成立している」
きっぱりとした断言。
「そして、仮ではない」
ノインは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
フェルディナンドは、ノインの方を見る。
「……続けろ。
言いたいことは、すべて言え」
ノインは、ゆっくりと頷いた。
「……わたしは、戻りません」
その言葉は、もはや宣言だった。
「エドラー伯爵家にも、
“身代わり”として生きる日々にも」
エミリアが、唇を噛みしめる。
「……後悔するわよ」
ノインは、静かに微笑んだ。
「いいえ。
後悔するのは……奪う側です」
その瞬間。
ノインは、はっきりと感じた。
――過去は、牙を剥いた。
だが、それに噛み砕かれるほど、
自分はもう、弱くない。
フェルディナンドの存在が、背後にある。
触れなくても、
確かに“共に立っている”という確信があった。
エドラー伯爵家との会談は、
決裂に近い形で終わった。
だが、ノインの胸には、不思議と後悔はなかった。
むしろ――
(……やっと、言えた)
過去は、確かに牙を持つ。
けれど、それを恐れなくなったとき――
人は、次の場所へ進めるのだと、
ノインは初めて、実感していた。
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