『身代わりに差し出された令嬢ですが、呪われた公爵に溺愛されて本当の幸せを掴みました』

鷹 綾

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第19話 奪われる側ではない

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第19話 奪われる側ではない

 エドラー伯爵家の馬車が、屋敷の正門を出ていくのを、ノインは遠くから見送っていた。

 背中が、小さくなる。
 けれど――胸は、不思議なほど静かだった。

 「……終わりましたね」

 隣に立つマリオンが、そっと声をかける。

 「はい」

 短く答えたその声に、震えはなかった。

 かつては、彼らの背中を見るだけで、
 胸の奥が冷え、言葉が喉に詰まった。

 今は違う。

 (もう……奪われる側じゃない)

 ノインは、はっきりとそう思えた。

 * * *

 その日の夕方、フェルディナンドは執務室にノインを呼んだ。

 いつもの重厚な机。
 けれど、彼は椅子に座らず、窓辺に立っている。

 「……後悔は、ないか」

 振り返らずに投げられた問い。

 ノインは、少し考えてから答えた。

 「……いいえ」

 即答ではない。
 だが、迷いでもない。

 「怖かったです。
 でも……怖いまま、言えたことが……嬉しかった」

 フェルディナンドは、静かに頷く。

 「それでいい」

 彼は、ゆっくりとこちらを向いた。

 「過去と向き合うとは、
 打ち負かすことでも、赦すことでもない」

 金の瞳が、真っ直ぐにノインを見る。

 「……“選び直す”ことだ」

 その言葉が、胸に深く落ちた。

 (選び直す……)

 孤児院。
 エドラー伯爵家。
 身代わりとして差し出された日。

 あのとき、ノインに“選択”はなかった。

 けれど今は――

 「……わたしは、ここを選びました」

 自然と、言葉がこぼれる。

 フェルディナンドは、一瞬だけ目を伏せ、
 そして、はっきりと言った。

 「……我もだ」

 その一言で、ノインの胸が、静かに満たされる。

 * * *

 その夜。

 ノインは、自室で小さな違和感に気づいた。

 胸の奥――
 あの“温かい感覚”が、微かに揺れている。

 (……公爵閣下?)

 立ち上がり、廊下に出る。

 扉の向こうから、抑えた息遣いが聞こえた。

 ノインは、迷わずノックする。

 「フェルディナンド様……?」

 返事はない。
 だが、気配は確かにある。

 「……入っても、よろしいですか?」

 数秒の沈黙のあと、低い声が返る。

 「……ああ」

 部屋に入ると、フェルディナンドは椅子に腰掛け、
 片手で額を押さえていた。

 角の付け根が、淡く光っている。

 「……これは……?」

 「……呪い、ではない」

 彼は、息を整えながら言った。

 「むしろ……反応だ」

 ノインは、理解した。

 今日――
 過去と断ち切り、
 自分を“選んだ”こと。

 それが、核に触れている。

 「……触れても、いいですか?」

 フェルディナンドは、顔を上げる。

 迷いはなかった。

 「……頼む」

 それは、はっきりとした“求め”だった。

 ノインは、ゆっくりと近づき、
 今度は胸ではなく――

 そっと、彼の手を取った。

 指先が、絡まる。

 瞬間、温かい光が、ふたりを包む。

 意識が、深く、静かな場所へ沈む。

 * * *

 鎖は、さらに減っていた。

 少年は、もう俯いていない。

 《……戻らなかったんだね》

 その声は、穏やかだった。

 「はい」

 ノインは、微笑む。

 「奪われる場所には、戻りません」

 少年は、少しだけ笑った。

 《……それで、いい》

 最後に残った鎖が、
 小さく音を立てて、緩む。

 * * *

 現実に戻ると、フェルディナンドは驚いたように息を呑んだ。

 「……今のは……」

 「はい」

 ノインは、手を離さずに答える。

 「“選び直した”反応です」

 彼は、自分の手を見つめる。

 「……触れられているのに、
 怖くない……」

 その声は、確かに震えていたが、
 それは恐怖ではなかった。

 ノインは、静かに言った。

 「もう……奪われる側じゃありませんから」

 フェルディナンドは、ゆっくりと頷く。

 「……ああ」

 その夜。

 呪いは、確実に“弱体化”していた。

 そして何より――

 ノイン自身が、
 自分の人生を“取り戻し始めている”ことを、
 はっきりと感じていた。

 次に壊れるのは、
 呪いか、
 それとも――過去の執着か。

 答えは、もうすぐ見えてくる。
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