『婚約破棄されたので、せっかくの異世界を観光と遊びで満喫します!』

鷹 綾

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第十話 王都、初日から詰みました

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第十話 王都、初日から詰みました

同じ頃――王都。

王城の執務棟は、朝から慌ただしかった。
いや、正確には慌ただしくしようとして、失敗している空気が漂っていた。

「……では、この案件から」

王太子アビュース・オブ・パワーは、いつもより少しだけ声を張って言った。

その隣に立つのは、新たな婚約者――
エリーゼ・レッケル伯爵令嬢。

淡い色のドレスに身を包み、背筋を伸ばしている。
表情は真剣。
やる気は、ある。

「こちらは、隣国との通商協定の再調整案です」

文官が説明を始める。

「現行案では関税が――」

「ええと……」

エリーゼは、資料を見下ろした。

数秒。
十秒。
さらに沈黙。

「……ごめんなさい」

小さく、しかし正直な声。

「その……どこから見ればよろしいのか……」

会議室が、凍りついた。

王太子が、ゆっくりと瞬きをする。

「……最初からだ」

「はい……」

エリーゼは頷き、ページをめくる。
だが、すぐに視線が迷子になる。

(……多い)

(文字が……多い……)

それはそうだ。
この資料は、本来――
事前に整理された要点を読んだうえで、最終確認として目を通すものだった。

だが今、その「要点」が存在しない。

「では、こちらの財政影響についてですが――」

別の文官が続ける。

「今年度と来年度の差分を見ていただければ……」

「さ……さぶん、とは……?」

「……」

誰かが、息を飲んだ。

王太子のこめかみに、うっすらと青筋が浮かぶ。

「……エリーゼ」

努めて穏やかに呼びかける。

「分からないなら、そう言えばいい」
「だが、その場合は――」

「はい、勉強します!」

即答だった。
やる気は、本当にある。

だが。

「……本日は、決裁が必要な案件です」

文官の声が、静かに追い打ちをかける。

「判断は……」

エリーゼは、固まった。

(決裁……?)
(私が……?)

助けを求めるように、王太子を見る。

王太子は、思わず口を開きかけ――
そして、止まった。

(……そういえば)

(今まで、どうしていた)

脳裏に浮かぶのは、
会議前に机に置かれていた整理済みの資料。
判断ポイントに付けられた付箋。
「ここを見れば分かる」という一言。

それを用意していたのは――

「……ティモテ」

無意識に、その名が零れた。

「え?」

エリーゼが、不安そうに首を傾げる。

「い、いえ……」

王太子は咳払いをする。

「とにかく、この案件は――」

だが、言葉が続かない。

判断材料が、揃っていない。
整理もされていない。

「……一度、保留だ」

そう告げた瞬間、
会議室の空気が、さらに重くなった。

一件、二件ならいい。
だが、この日は――
すべてが、同じ調子だった。

外交。
財政。
人事。

どれも、
「判断以前の整理」ができていない。

「……今日は、ここまでにしよう」

昼前には、そう言わざるを得なかった。

会議が終わり、
文官たちが退出する。

残されたのは、
王太子とエリーゼだけ。

「……ごめんなさい」

エリーゼは、深く頭を下げた。

「私、もっと……」
「ちゃんと、お役に立てると思って……」

「……いや」

王太子は、否定しかけて、止まった。

(性格が悪いわけじゃない)
(むしろ、真面目だ)

だが。

(……公務は)

(まるで、別物だ)

その現実を、
この半日で、嫌というほど思い知らされた。

「今日は、慣れないだけだ」

そう言いながら、
自分に言い聞かせているのが分かる。

「すぐに、慣れる」

エリーゼは、必死に頷いた。

だが、
王太子の胸の奥では、
小さな疑問が、はっきりと形を持ち始めていた。

(……あいつは)

(どれだけのことを、一人で回していたのだ)

その答えは、
王城のどこを探しても、もういない。

そしてこの日――
王都は、はっきりと理解した。

ティモテ・ユニリーバがいない王城は、
驚くほど、何も進まない。

だがその頃。

当の本人は――
海外のどこかで、
ゆっくりと昼寝をしていたことを、
王太子は、まだ知らなかった。
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