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第二十八話 やむを得ない、彼女を呼ぼう
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第二十八話 やむを得ない、彼女を呼ぼう――その頃、公爵邸では
王都。
夜になっても、
王太子執務室の灯りは消えなかった。
机の上には、
未処理の書類の山。
決裁待ちの案件。
地方からの嘆願。
減る気配は、ない。
「……進まないな」
アビュース・オブ・パワー王太子は、
椅子の背に身を預け、
深く息を吐いた。
判断はしている。
署名もしている。
だが――
追いつかない。
(……これが、本来の量なのか?)
思い出すのは、
かつての執務。
書類が滞ることはなかった。
夜まで残ることも、ほとんどなかった。
その理由を、
彼はもう理解している。
――ティモテ・ユニリーバ。
「……認めたくはないが」
呟きは、
誰に聞かせるでもない。
彼女がいたから、
回っていた。
それも、
王太子自身が気づかないほど
自然に。
エリーゼ・レッケルの顔が浮かぶ。
悪い人ではない。
誠実で、真面目で、
努力もしている。
だが――
判断を預けられるかと言われれば、
答えは明白だった。
「……やむを得ない」
その言葉に、
側近が反応する。
「殿下……?」
アビュースは、
ゆっくりと顔を上げる。
「ティモテ・ユニリーバを、
公務代行として雇う」
空気が、
一瞬で凍りつく。
「婚約は、すでに……」
「分かっている」
短く、遮る。
「だからこそ、
“公務代行”だ」
王太子妃候補ではない。
婚約者でもない。
ただの、
仕事の依頼。
(……それでいい)
そう、
自分に言い聞かせる。
「彼女なら、
この状況を整理できる」
それは、
信頼の言葉であり――
同時に、
屈辱でもあった。
側近たちは、
静かに頷く。
「では、
書状を用意いたします」
「ああ」
ペンを取る手が、
一瞬だけ止まる。
謝罪か。
依頼か。
命令か。
迷った末、
無難な文面を選んだ。
――「とても光栄に存じますが、
ご相談申し上げたく」
封を閉じる。
(……仕事だ)
(あくまで、仕事)
その夜、
王都から一通の書状が旅立った。
---
その頃。
ユニリーバ公爵邸。
静かな応接間で、
コツ、と
駒が盤に置かれる音が響いていた。
「……なるほど」
ティモテ・ユニリーバは、
盤面を眺め、
わずかに目を細める。
「手強いですわ」
対面に座るのは、
長年ユニリーバ家に仕える執事。
白髪交じりの彼は、
穏やかな笑みを浮かべた。
「恐れ入ります。
公爵様のお相手を
してきた者でございますので……」
「まあ」
ティモテは、
くすりと笑う。
「お父様は、
もっとお強いのですね」
盤上を指先でなぞり、
次の一手を考える。
「……ぜひ、挑戦しませんと」
そう言って、
駒を動かす。
執事は、
その手を見て、
わずかに目を見張った。
「……お見事です」
「ありがとうございます」
ティモテは、
楽しそうに微笑む。
勝ち負けは、
重要ではない。
考える時間。
読み合う静けさ。
互いを尊重するやり取り。
(……いい時間ですわね)
書類もない。
決裁もない。
急かされることもない。
ただ、
チェス盤と、
向かい合う相手がいるだけ。
そのとき。
廊下の奥で、
かすかに足音がした。
だが、
誰も急いで報告には来ない。
(……今は、遊びの時間ですもの)
ティモテは、
盤面に視線を戻す。
「次は……こちらですわ」
王都では、
必死に“彼女を呼び戻そう”としている。
だが当の本人は、
そんなことなど知らず――
静かな午後を、
心から楽しんでいた。
王太子が
遅すぎる決断を下したその頃。
ティモテ・ユニリーバは、
誰にも縛られない自由の中で、
チェス盤を前に微笑んでいた。
王都。
夜になっても、
王太子執務室の灯りは消えなかった。
机の上には、
未処理の書類の山。
決裁待ちの案件。
地方からの嘆願。
減る気配は、ない。
「……進まないな」
アビュース・オブ・パワー王太子は、
椅子の背に身を預け、
深く息を吐いた。
判断はしている。
署名もしている。
だが――
追いつかない。
(……これが、本来の量なのか?)
思い出すのは、
かつての執務。
書類が滞ることはなかった。
夜まで残ることも、ほとんどなかった。
その理由を、
彼はもう理解している。
――ティモテ・ユニリーバ。
「……認めたくはないが」
呟きは、
誰に聞かせるでもない。
彼女がいたから、
回っていた。
それも、
王太子自身が気づかないほど
自然に。
エリーゼ・レッケルの顔が浮かぶ。
悪い人ではない。
誠実で、真面目で、
努力もしている。
だが――
判断を預けられるかと言われれば、
答えは明白だった。
「……やむを得ない」
その言葉に、
側近が反応する。
「殿下……?」
アビュースは、
ゆっくりと顔を上げる。
「ティモテ・ユニリーバを、
公務代行として雇う」
空気が、
一瞬で凍りつく。
「婚約は、すでに……」
「分かっている」
短く、遮る。
「だからこそ、
“公務代行”だ」
王太子妃候補ではない。
婚約者でもない。
ただの、
仕事の依頼。
(……それでいい)
そう、
自分に言い聞かせる。
「彼女なら、
この状況を整理できる」
それは、
信頼の言葉であり――
同時に、
屈辱でもあった。
側近たちは、
静かに頷く。
「では、
書状を用意いたします」
「ああ」
ペンを取る手が、
一瞬だけ止まる。
謝罪か。
依頼か。
命令か。
迷った末、
無難な文面を選んだ。
――「とても光栄に存じますが、
ご相談申し上げたく」
封を閉じる。
(……仕事だ)
(あくまで、仕事)
その夜、
王都から一通の書状が旅立った。
---
その頃。
ユニリーバ公爵邸。
静かな応接間で、
コツ、と
駒が盤に置かれる音が響いていた。
「……なるほど」
ティモテ・ユニリーバは、
盤面を眺め、
わずかに目を細める。
「手強いですわ」
対面に座るのは、
長年ユニリーバ家に仕える執事。
白髪交じりの彼は、
穏やかな笑みを浮かべた。
「恐れ入ります。
公爵様のお相手を
してきた者でございますので……」
「まあ」
ティモテは、
くすりと笑う。
「お父様は、
もっとお強いのですね」
盤上を指先でなぞり、
次の一手を考える。
「……ぜひ、挑戦しませんと」
そう言って、
駒を動かす。
執事は、
その手を見て、
わずかに目を見張った。
「……お見事です」
「ありがとうございます」
ティモテは、
楽しそうに微笑む。
勝ち負けは、
重要ではない。
考える時間。
読み合う静けさ。
互いを尊重するやり取り。
(……いい時間ですわね)
書類もない。
決裁もない。
急かされることもない。
ただ、
チェス盤と、
向かい合う相手がいるだけ。
そのとき。
廊下の奥で、
かすかに足音がした。
だが、
誰も急いで報告には来ない。
(……今は、遊びの時間ですもの)
ティモテは、
盤面に視線を戻す。
「次は……こちらですわ」
王都では、
必死に“彼女を呼び戻そう”としている。
だが当の本人は、
そんなことなど知らず――
静かな午後を、
心から楽しんでいた。
王太子が
遅すぎる決断を下したその頃。
ティモテ・ユニリーバは、
誰にも縛られない自由の中で、
チェス盤を前に微笑んでいた。
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