29 / 40
第二十九話 多忙につき
しおりを挟む
第二十九話 多忙につき
王都からユニリーバ公爵領までは、
決して近い距離ではない。
街道を使えば日数がかかり、
魔法通信も軍事・外交優先で、
私的な情報は後回しにされる。
だからこの時点で――
王都が知っているのは、
「ティモテが公爵領に戻り、静かに暮らしているらしい」
という、曖昧な情報だけだった。
遊んでいるかどうか。
何をしているか。
それは、まだ誰も把握していない。
---
ユニリーバ公爵邸。
午後の柔らかな光が差し込む客間で、
ティモテ・ユニリーバは、
机に向かっていた。
ただし――
書類仕事ではない。
執事と向かい合い、
チェス盤を挟んでいる。
「……その手、手強いですわ」
駒を動かしながら、
ティモテが素直に感想を漏らす。
「公爵様のお相手をしてきた者でございますので……」
執事は控えめに答えた。
「お父様は、もっとお強いのですね」
ティモテは微笑み、
盤面を見つめる。
「ぜひ一度、挑戦しませんと……」
その穏やかな時間を遮るように、
別の執事が入室した。
「お嬢様。王都より書状が届いております」
差し出された封蝋には、
王家の紋章。
差出人――
アビュース・オブ・パワー王太子。
「……あら」
ティモテは、
ほんの少しだけ眉を上げた。
嫌悪でも、驚きでもない。
ただ、
「来たのね」
という事実確認。
「後ほど続けましょう」
チェス盤をそのままにし、
ティモテは書状を受け取った。
封を切り、
目を通す。
そこに書かれていたのは――
丁寧な言葉遣いで包まれた、
一つの要請。
公務の停滞。
殿下の多忙。
やむを得ない事情。
そして、
公務代行としての協力依頼。
「……そう」
ティモテは、
静かに息を吐いた。
(まだ、わかっていないのね)
(私が「戻らない」のではなく、
「もう関わらない」と決めたことを)
彼女の表情に、
怒りはなかった。
悲しみも、なかった。
あるのは――
すでに終わった場所から
呼び戻されることへの、
距離感だけ。
「お返事を差し上げますわ」
紙とペンが用意される。
ティモテは、
迷わず文字を綴った。
説明はしない。
理由も書かない。
王都が理解するのは、
もっと後でいい。
今はただ、
事実だけを伝える。
> とても光栄ではありますが、
多忙につき、
ご希望に添えません。
それだけ。
ペンを置き、
書状を封じる。
「これで」
執事は一礼し、
王都へ送る手配をした。
再び、
客間に静けさが戻る。
「続きをいたしましょうか」
執事がチェス盤を指す。
「ええ」
ティモテは席に戻り、
穏やかに微笑んだ。
(確かに、多忙ですもの)
(今は――
私の人生を生きるのに)
その意味を、
王都が知るのは、
もう少し先の話。
距離と時間が、
まだ彼らを隔てていた。
それはまだ、
王太子が何も理解していない段階での、
静かな拒絶だった。
王都からユニリーバ公爵領までは、
決して近い距離ではない。
街道を使えば日数がかかり、
魔法通信も軍事・外交優先で、
私的な情報は後回しにされる。
だからこの時点で――
王都が知っているのは、
「ティモテが公爵領に戻り、静かに暮らしているらしい」
という、曖昧な情報だけだった。
遊んでいるかどうか。
何をしているか。
それは、まだ誰も把握していない。
---
ユニリーバ公爵邸。
午後の柔らかな光が差し込む客間で、
ティモテ・ユニリーバは、
机に向かっていた。
ただし――
書類仕事ではない。
執事と向かい合い、
チェス盤を挟んでいる。
「……その手、手強いですわ」
駒を動かしながら、
ティモテが素直に感想を漏らす。
「公爵様のお相手をしてきた者でございますので……」
執事は控えめに答えた。
「お父様は、もっとお強いのですね」
ティモテは微笑み、
盤面を見つめる。
「ぜひ一度、挑戦しませんと……」
その穏やかな時間を遮るように、
別の執事が入室した。
「お嬢様。王都より書状が届いております」
差し出された封蝋には、
王家の紋章。
差出人――
アビュース・オブ・パワー王太子。
「……あら」
ティモテは、
ほんの少しだけ眉を上げた。
嫌悪でも、驚きでもない。
ただ、
「来たのね」
という事実確認。
「後ほど続けましょう」
チェス盤をそのままにし、
ティモテは書状を受け取った。
封を切り、
目を通す。
そこに書かれていたのは――
丁寧な言葉遣いで包まれた、
一つの要請。
公務の停滞。
殿下の多忙。
やむを得ない事情。
そして、
公務代行としての協力依頼。
「……そう」
ティモテは、
静かに息を吐いた。
(まだ、わかっていないのね)
(私が「戻らない」のではなく、
「もう関わらない」と決めたことを)
彼女の表情に、
怒りはなかった。
悲しみも、なかった。
あるのは――
すでに終わった場所から
呼び戻されることへの、
距離感だけ。
「お返事を差し上げますわ」
紙とペンが用意される。
ティモテは、
迷わず文字を綴った。
説明はしない。
理由も書かない。
王都が理解するのは、
もっと後でいい。
今はただ、
事実だけを伝える。
> とても光栄ではありますが、
多忙につき、
ご希望に添えません。
それだけ。
ペンを置き、
書状を封じる。
「これで」
執事は一礼し、
王都へ送る手配をした。
再び、
客間に静けさが戻る。
「続きをいたしましょうか」
執事がチェス盤を指す。
「ええ」
ティモテは席に戻り、
穏やかに微笑んだ。
(確かに、多忙ですもの)
(今は――
私の人生を生きるのに)
その意味を、
王都が知るのは、
もう少し先の話。
距離と時間が、
まだ彼らを隔てていた。
それはまだ、
王太子が何も理解していない段階での、
静かな拒絶だった。
2
あなたにおすすめの小説
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
【完結】今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~
コトミ
恋愛
結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。
そしてその飛び出した先で出会った人とは?
(できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる