『婚約破棄されたので、せっかくの異世界を観光と遊びで満喫します!』

鷹 綾

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第二十九話 多忙につき

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第二十九話 多忙につき

王都からユニリーバ公爵領までは、
決して近い距離ではない。

街道を使えば日数がかかり、
魔法通信も軍事・外交優先で、
私的な情報は後回しにされる。

だからこの時点で――
王都が知っているのは、
「ティモテが公爵領に戻り、静かに暮らしているらしい」
という、曖昧な情報だけだった。

遊んでいるかどうか。
何をしているか。
それは、まだ誰も把握していない。


---

ユニリーバ公爵邸。

午後の柔らかな光が差し込む客間で、
ティモテ・ユニリーバは、
机に向かっていた。

ただし――
書類仕事ではない。

執事と向かい合い、
チェス盤を挟んでいる。

「……その手、手強いですわ」

駒を動かしながら、
ティモテが素直に感想を漏らす。

「公爵様のお相手をしてきた者でございますので……」

執事は控えめに答えた。

「お父様は、もっとお強いのですね」

ティモテは微笑み、
盤面を見つめる。

「ぜひ一度、挑戦しませんと……」

その穏やかな時間を遮るように、
別の執事が入室した。

「お嬢様。王都より書状が届いております」

差し出された封蝋には、
王家の紋章。

差出人――
アビュース・オブ・パワー王太子。

「……あら」

ティモテは、
ほんの少しだけ眉を上げた。

嫌悪でも、驚きでもない。
ただ、
「来たのね」
という事実確認。

「後ほど続けましょう」

チェス盤をそのままにし、
ティモテは書状を受け取った。

封を切り、
目を通す。

そこに書かれていたのは――
丁寧な言葉遣いで包まれた、
一つの要請。

公務の停滞。
殿下の多忙。
やむを得ない事情。

そして、

公務代行としての協力依頼。

「……そう」

ティモテは、
静かに息を吐いた。

(まだ、わかっていないのね)

(私が「戻らない」のではなく、
「もう関わらない」と決めたことを)

彼女の表情に、
怒りはなかった。

悲しみも、なかった。

あるのは――
すでに終わった場所から
呼び戻されることへの、
距離感だけ。

「お返事を差し上げますわ」

紙とペンが用意される。

ティモテは、
迷わず文字を綴った。

説明はしない。
理由も書かない。

王都が理解するのは、
もっと後でいい。

今はただ、
事実だけを伝える。

> とても光栄ではありますが、
多忙につき、
ご希望に添えません。



それだけ。

ペンを置き、
書状を封じる。

「これで」

執事は一礼し、
王都へ送る手配をした。

再び、
客間に静けさが戻る。

「続きをいたしましょうか」

執事がチェス盤を指す。

「ええ」

ティモテは席に戻り、
穏やかに微笑んだ。

(確かに、多忙ですもの)

(今は――
私の人生を生きるのに)

その意味を、
王都が知るのは、
もう少し先の話。

距離と時間が、
まだ彼らを隔てていた。

それはまだ、
王太子が何も理解していない段階での、
静かな拒絶だった。
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