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第三十話 理由判明
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第三十話 理由判明
王都の執務室は、
今日も変わらず、重苦しい空気に満ちていた。
机の上には決裁待ちの書類が山を成し、
床際には仕分けすら終わっていない箱が積まれている。
窓の外はすでに夕闇が迫っているというのに、
仕事は一向に終わる気配を見せなかった。
アビュース・オブ・パワー王太子は、
椅子に深く腰掛けたまま、額を押さえた。
「……なぜ、ここまで回らない」
声に出したところで、
状況が改善されるわけではない。
エリーゼ・レッケルは誠実だ。
努力もしている。
だが——
決断ができない。
責任を引き受けられない。
一つ一つの案件に時間をかけすぎる。
(……ティモテなら)
その名が浮かんだ瞬間、
王太子はわずかに眉をひそめた。
あの女は、
書類を一瞥しただけで要点を掴み、
即座に判断を下した。
反対意見が出れば、
それも含めて責任を負った。
(……追い出した、か)
婚約破棄。
「優雅さがない」という言葉。
引き継ぎも不要だと告げ、
席を空けろと命じた。
多少の後ろめたさが、
胸の奥に残っていたのは事実だ。
だからこそ——
「公務代行として雇う」という案を、
自分は譲歩だと思っていた。
だが、
返ってきたのは拒絶。
> とても光栄ではありますが、
多忙につきご希望に添えません。
「……多忙、ね」
王太子は書状を机に置き、
側近を呼び寄せた。
「ユニリーバ公爵領の近況を」
側近は一瞬だけ間を置き、
淡々と報告を始める。
「ティモテ様は、公爵領に滞在中です」
「現在、王都との公式なやり取りはありません」
「では、何をしている?」
「……余暇を」
王太子の指が、
わずかに止まった。
「具体的に言え」
側近は覚悟を決めたように、
続ける。
——朝は庭園で散歩。
——昼は敷地内で乗馬。
——午後はジュ・ド・ポームやアーチェリー。
——夕刻には音楽鑑賞。
——夜は屋敷で食事会。
さらに——
「最近は、執事とチェスを楽しまれているとのことです」
「『手強いですわ』と笑っておられたとか」
◇ ◇ ◇
同じ頃。
ユニリーバ公爵邸の庭園は、
穏やかな陽光に包まれていた。
白い回廊の奥、
整えられた芝生の上で、
ティモテ・ユニリーバは
軽く息を弾ませながらラケットを握っていた。
「この遊び、面白いですわね」
ジュ・ド・ポーム——
テニスの原型ともいえる遊戯。
動きやすい膝丈の衣装に身を包み、
彼女は軽やかに球を打ち返す。
相手は、
普段は厳格な表情のメイドだったが、
今は楽しそうに笑っている。
「少し休憩しましょう」
木陰に用意された椅子に腰掛け、
冷えた飲み物を口にする。
風が心地いい。
「……責任がないって、
こんなにも静かで、楽しいのですね」
午後にはチェス盤を囲み、
執事と向かい合った。
「手強いですわ」
「公爵様のお相手をしておりましたので」
「お父様は、
もっとお強いのですね。
ぜひ挑戦しませんと」
それは、
仕事でも、義務でもない。
ただの遊び。
ただの時間。
◇ ◇ ◇
報告を聞き終え、
王太子は沈黙した。
「……遊んでいる、ということか」
「はい」
「それが、多忙の理由だと?」
「……そのようです」
後ろめたさは、
完全に消えた。
代わりに、
胸の奥に、
重く、冷たい感情が沈殿する。
(王都が、この有様の時に)
(責任を放り出して、
笑っていると?)
王太子は、
静かに息を吐いた。
「……そうか」
声は低く、
感情を抑え込んだものだった。
「理由は、十分に理解した」
机の上の書状を見つめながら、
王太子は確信する。
ティモテ・ユニリーバは、
もう戻らない。
——戻る必要が、
どこにもないのだから。
王太子はついに知った。
「多忙」の正体と、
自らが失ったものの大きさを。
王都の執務室は、
今日も変わらず、重苦しい空気に満ちていた。
机の上には決裁待ちの書類が山を成し、
床際には仕分けすら終わっていない箱が積まれている。
窓の外はすでに夕闇が迫っているというのに、
仕事は一向に終わる気配を見せなかった。
アビュース・オブ・パワー王太子は、
椅子に深く腰掛けたまま、額を押さえた。
「……なぜ、ここまで回らない」
声に出したところで、
状況が改善されるわけではない。
エリーゼ・レッケルは誠実だ。
努力もしている。
だが——
決断ができない。
責任を引き受けられない。
一つ一つの案件に時間をかけすぎる。
(……ティモテなら)
その名が浮かんだ瞬間、
王太子はわずかに眉をひそめた。
あの女は、
書類を一瞥しただけで要点を掴み、
即座に判断を下した。
反対意見が出れば、
それも含めて責任を負った。
(……追い出した、か)
婚約破棄。
「優雅さがない」という言葉。
引き継ぎも不要だと告げ、
席を空けろと命じた。
多少の後ろめたさが、
胸の奥に残っていたのは事実だ。
だからこそ——
「公務代行として雇う」という案を、
自分は譲歩だと思っていた。
だが、
返ってきたのは拒絶。
> とても光栄ではありますが、
多忙につきご希望に添えません。
「……多忙、ね」
王太子は書状を机に置き、
側近を呼び寄せた。
「ユニリーバ公爵領の近況を」
側近は一瞬だけ間を置き、
淡々と報告を始める。
「ティモテ様は、公爵領に滞在中です」
「現在、王都との公式なやり取りはありません」
「では、何をしている?」
「……余暇を」
王太子の指が、
わずかに止まった。
「具体的に言え」
側近は覚悟を決めたように、
続ける。
——朝は庭園で散歩。
——昼は敷地内で乗馬。
——午後はジュ・ド・ポームやアーチェリー。
——夕刻には音楽鑑賞。
——夜は屋敷で食事会。
さらに——
「最近は、執事とチェスを楽しまれているとのことです」
「『手強いですわ』と笑っておられたとか」
◇ ◇ ◇
同じ頃。
ユニリーバ公爵邸の庭園は、
穏やかな陽光に包まれていた。
白い回廊の奥、
整えられた芝生の上で、
ティモテ・ユニリーバは
軽く息を弾ませながらラケットを握っていた。
「この遊び、面白いですわね」
ジュ・ド・ポーム——
テニスの原型ともいえる遊戯。
動きやすい膝丈の衣装に身を包み、
彼女は軽やかに球を打ち返す。
相手は、
普段は厳格な表情のメイドだったが、
今は楽しそうに笑っている。
「少し休憩しましょう」
木陰に用意された椅子に腰掛け、
冷えた飲み物を口にする。
風が心地いい。
「……責任がないって、
こんなにも静かで、楽しいのですね」
午後にはチェス盤を囲み、
執事と向かい合った。
「手強いですわ」
「公爵様のお相手をしておりましたので」
「お父様は、
もっとお強いのですね。
ぜひ挑戦しませんと」
それは、
仕事でも、義務でもない。
ただの遊び。
ただの時間。
◇ ◇ ◇
報告を聞き終え、
王太子は沈黙した。
「……遊んでいる、ということか」
「はい」
「それが、多忙の理由だと?」
「……そのようです」
後ろめたさは、
完全に消えた。
代わりに、
胸の奥に、
重く、冷たい感情が沈殿する。
(王都が、この有様の時に)
(責任を放り出して、
笑っていると?)
王太子は、
静かに息を吐いた。
「……そうか」
声は低く、
感情を抑え込んだものだった。
「理由は、十分に理解した」
机の上の書状を見つめながら、
王太子は確信する。
ティモテ・ユニリーバは、
もう戻らない。
——戻る必要が、
どこにもないのだから。
王太子はついに知った。
「多忙」の正体と、
自らが失ったものの大きさを。
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