『婚約破棄されたので、せっかくの異世界を観光と遊びで満喫します!』

鷹 綾

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第三十一話 届かぬ怒り

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第三十一話 届かぬ怒り

ユニリーバ公爵邸の朝は、
驚くほど穏やかだった。

高い天井の窓から差し込む光が、
淡いカーテンを揺らし、
鳥のさえずりが目覚まし代わりになる。

「……よく眠れましたわ」

ティモテ・ユニリーバは、
ゆっくりと身体を起こした。

王都にいた頃は、
夢の中まで書類が追いかけてきた。
目覚めた瞬間から、
判断と責任が待ち構えていた。

だが今は違う。

今日は、
なにをしてもいい日。
なにもしなくてもいい日。

「さて……午前はどうしましょうか」

侍女が差し出した予定表には、
空白しかない。

ティモテは満足そうに頷いた。

「では、庭園へ」

◇ ◇ ◇

庭では、
すでに準備が整えられていた。

鷹狩り用の手袋、
弓と矢、
そして芝生の向こうには
乗馬用の馬が待機している。

「今日は、どれにしますか?」

執事の問いに、
ティモテは少し考え——
微笑んだ。

「全部ですわ」

まずは乗馬。

仕事の移動ではなく、
ただ風を感じるために馬に乗る。

「……速くなくていいのですね」

馬の首を撫でながら、
ティモテはそう呟いた。

次に、アーチェリー。

的を狙い、
矢を放つ。

命中しても、
外しても、
誰も評価しない。

「点数をつけられない遊び、
新鮮ですわ」

最後は、
回廊でのジュ・ド・ポーム。

メイドたちと笑い合いながら、
軽く身体を動かす。

息が上がれば、
すぐ休憩。

「これが……
優雅、というものかもしれませんね」

◇ ◇ ◇

同じ時刻。

王都の執務室では、
空気が張り詰めていた。

アビュース・オブ・パワー王太子は、
白紙の前に立ち、
一切の迷いなくペンを走らせる。

長い文章は不要。
理屈も、説明も、意味がない。

必要なのは、
感情そのもの。

> ふざけるな。



それだけを書き、
封をする。

「使者を」

短い命令。

書状は、
即座に王都を発った。

距離はある。
数日はかかる。

それでも構わない。

——この怒りは、
届くはずだ。

王太子は、
そう信じていた。

◇ ◇ ◇

その頃。

ユニリーバ公爵邸では、
昼食の準備が進んでいた。

テラスに並ぶ料理は、
豪華だが気取らない。

「今日は外でいただきましょう」

ティモテは椅子に腰掛け、
青空を見上げた。

「……静かですわね」

誰かに急かされることもなく、
決断を求められることもない。

そこへ、
執事が声をかける。

「午後は、室内遊戯はいかがでしょう」

「チェスですか?」

「はい。
それから、バックギャモンも」

「では、全部」

午後の陽射しの中、
ティモテはチェス盤に向かい、
静かに駒を動かす。

「……次は、こちらですわ」

「お見事です」

勝敗は重要ではない。

考えること自体が、
楽しいのだ。

◇ ◇ ◇

王都から放たれた怒りは、
まだ届かない。

距離があり、
時間があり、
そして——

受け取る側には、
その怒りを受け止める
義務も理由も、すでになかった。


怒りは書状となって旅立ち、
ティモテは、
今日も変わらず遊んでいる。

そのすれ違いこそが、
もはや決定的な隔たりであることを、
王太子だけが、まだ知らなかった。
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